暴れん坊爺さん その2(後編) | 八光流 道場記

八光流 道場記

京都で約30年、師範をやっております。
つれづれなるままに書き綴ってまいります。

おれと爺さんは、人気の無い林をうろついていて路上強盗に狙われたようだ。


この男は、小学生を連れた小柄な爺さんだから ちょっと脅せば有り金巻き上げるのは簡単だと思ったのが運の尽きだった。


男が、爺さんの目の前でフォールディングナイフをカチッと開いて見せた。と思った時には、既に爺さんは男の後ろに回って男のナイフを持った右手首を右手で掴み左手で男の後ろ首を掴んでいた。

その直後「ヒーッ いててて」と男は悲鳴を上げながら前方の松の木に叩き付けられ1、2秒後ズルズルと地面に俯せに倒れて動かなくなった。


爺さんは、男の脈と呼吸を確認して「脳震盪やのう」と言うと男のナイフを自分のズボンのポケットに入れると歩き出した。

そして「この事は、絶対婆さんに言うなよ」とおれに言った。

婆さんの喧嘩嫌いは、おれもよく知っていたので「分かった」と頷いた。


やがて帰宅したおれ達は、二人でスイカを食べてから地虫を20匹位蚊帳の中に放してその蚊帳の中で寝た。


夜中に2回「ぼん 地虫観察しとけ」と爺さんが起こすのも毎年の事だ。

爺さんは、京都人の呼び方に習っておれを「ぼん」と呼んでいた。


地虫達は、背中が割れて真っ白な蝉の体が出て来る。

完全に地虫の殻を脱いで白い蝉になり段々クマゼミになる。


地虫採集の翌日は、蝉に成った奴らを虫かごに入れて採集した所へ返しに行く。

「こいつらは、長年暗い地中で暮らし やっと地上で蝉に成ったと思ったら一週間程で死ぬ 何か憐れな一生やのう」と爺さんは、毎年同じ事をしんみり言う。

そして飛んで行く蝉達を「元気に飛んで行くのう 例え一週間でも精一杯生きて行けよ」と優しい笑顔で見送る。


その日 蝉を放した帰り 昨夜男が出て来た松林の傍を通ったが、そこには誰も居なかった。


おれは、喧嘩が強くてデンジャラスな暴れん坊爺さんと蝉のような昆虫を優しい笑顔で見送る爺さんの二つの顔を知っていた。


そんな爺さんと過ごした日々が、現在のおれにどう影響しているのかは分からない。


しかし気が付けば このおれも武道家になっていた。