再会と別れ (後編) | 八光流 道場記

八光流 道場記

京都で約30年、師範をやっております。
つれづれなるままに書き綴ってまいります。

伏見の師匠の家は、来客用の駐車スペースが無いと言うので電車で行った。


向こうの駅を出ると頭の白くなった師匠が迎えに来ていた。


歳のせいで少し小さくなっていたが紛れも無く宇郷公山その人だった。


おれ達は、師匠の自宅に向かった。


その道すがら「相変わらず姿勢が悪いのう」と師匠は早速説教がましい言葉を掛けて来た。


「おれの頸椎は、生れつき前傾しているので仕方が無いと昔から何度も言ってましたよね」と反論していたら師匠の家に到着した。


師匠の自室兼治療室に入るとおれは「渡す物って何ですか?」と聞いたが「その前に姿勢を直してからじゃ」と師匠は、おれの姿勢を指圧で矯正するので治療台に俯せになるように言った。


おれが言われるままに俯せになると思った以上に目茶苦茶な治療が始まった。


手法や手順は間違い無いが全く力加減が無い。

こんなのは、皇法指圧と言うより八光流柔術の技だ。


おれの八光流柔術で鍛えた耐久性を試しているのか?と思い師匠の指圧して来る部位に八光流の心的作用を集中してバリアーを張った。


普通の人間なら15分位で意識を失う所だが、おれが一見平然としているので師匠は意地になって2時間以上も治療を続けた。


師匠は、さすがに疲れたのか「こんなもんじゃ」と治療を終えてから自作の木工製品を二品出しておれの前に置いた。


師匠の木工細工の腕前は、プロ級だ。

二品共 主にバランス感覚を養う為のアイテムだった。


師匠はそれらの使用法を説明してから「これ持って帰れ」と紙袋に入れてくれた。そしてそれと一緒に八光流について師匠が経験上気付いた事や独自の鍛練法を纏めた冊子2冊も同じ紙袋に入れてくれた。


治療後お互いに疲れたのでおれは帰宅する事にした。

師匠は、駅まで送ってくれたが二人共殆ど話もせず歩いた。


駅前で別れ際に「それじゃ また来ます」とおれが言うと師匠が「ああ またな」と何処か寂しそうに言った。


結局おれ達は、この10年以上の間にあった事や昔の思い出話をする事は無かった。


改札口で振り向いたら少し小さくなった師匠の背中が遠ざかって行くのが見えた。


帰りの電車の中で師匠に貰った冊子を開いてそれを読んでいる内に治療の疲れが出ておれは眠りに落ちた。


そして昔師匠と練習していた頃の夢を見た。

「まったく おかしな奴じゃ」とおれの言動に呆れて大笑いした師匠に

「おかしくなけりゃ 誰かさんの弟子は務まらねぇ」とおれが膨れっ面で言った場面をまるで昨日の事のように夢の中で思い出した。


やがて目覚めたおれは、師匠がもう再び胴着を着る事が無い現実を受け入れるしか無い悲しみを実感した。


もしかしたら柔術も指圧も辞めた師匠とおれは、もう会う事は無いかも知れない。


だが、感傷に浸っていては、いけない。


一人の武道家の あの宇郷公山と言う達人の技を引き継いで行く事 

それが、弟子であるおれに託された使命なのだから。