再会と別れ (前編) | 八光流 道場記

八光流 道場記

京都で約30年、師範をやっております。
つれづれなるままに書き綴ってまいります。

数ヶ月前 師匠公山先生から約10年ぶりに突然電話が掛かった。


おれが「お久しぶりです」と言うと「おお どうしとるんじゃ?」と相変わらず社交辞令的な挨拶抜きで聞いて来た。


「どうしとるんじゃ?て先生こそ黙って広島に帰ってしまうとは、どう言う事ですか?」おれは自分の近況報告より先にどうしても聞きたかった事を質問した。


「えっ?広島には帰っとらんよ」と師匠からすっとぼけた返事が返って来た。


話が噛み合わない状態で暫くああだ こうだ言い合ってる内に事実が判明した。


師匠は、広島に帰ったのでは無く広島の両親を自宅に引き取りその後両親介護の利便性を考えて伏見に引っ越した。

現在は、母親が90代後半で亡くなり師匠も70歳を過ぎたので整体業も柔術も辞めて108歳の父親の世話に専念していると言う事だ。


要するに師匠は、親孝行な男だった。


それが、何処で食い違ったのか師匠が広島に帰った事になっていた。


長年師匠のモガモガした話しぶりに慣れているおれでさえ この男の話は、すんなり理解出来ない事があるのだから師匠が広島に帰ったと思った人が居ても何の不思議も無い。


「それにしても全く連絡も付かないし音沙汰無いので噂通り広島におられるんだと思ってました」とおれが少し腹立たしげに言うと 「何かと忙しかったんで連絡するのを忘れとったんじゃ」と言った後 話の間が空いた。師匠と会話すると時々妙な間が空く。


そこで おれから「で 今日は、何を思い出したんです?」と話の続きを促した。


師匠の話を要約すると 師匠からおれに渡したい物があるから取りに来いという事だ。


それで おれは、次の週の休日に師匠の引っ越し先に伺う約束をして電話を切った。


久しぶりに師匠と30分程話しただけだが、師匠と電話で話すのは、師匠と柔術の練習をするより疲れるような気がする。



後編に続く