パンドラの箱 | 八光流 道場記

八光流 道場記

京都で約30年、師範をやっております。
つれづれなるままに書き綴ってまいります。

去年からコロナ騒動の為に陰鬱な日々が続いている。

高齢者や呼吸器疾患の人達は、死と隣り合わせの恐怖に怯え健康な者も感染を恐れ思うように行動出来ない。

かと思えば 必要も無いのにわざわざ集まってバカ騒ぎしてドンドン感染者が増えて行く。

そんな奴らも含めてコロナは、人災の部分が大きい。


ギリシャ神話のパンドラの箱と言う話は、ゼウスがパンドラと言う女に持たせた箱には、あらゆる災いが詰まっていた。
その箱をパンドラが開けてしまったので中からあらゆる災いが飛び出し人間は、苦しみや悲しみを課せられる事になった。

確かそんな話だった。これは、けっこう知られた話だ。

コロナウイルスは、パンドラの箱だ。
この箱が開いたせいで世界中に死や苦しみ、悲しみ、憎しみ そして人間不信や貧困を始めとするあらゆる災いが広がった。

神話によるとパンドラの箱の片隅に最後に残ったのは、希望だと言う。

おれは、コロナと言うパンドラの箱の中にも希望が残ったと思いたい。

だから我々は、その希望を捨てずに自粛生活にも耐えて それぞれ自分の出来る事をやるしかない。

こんな時に自分の出来る事って何があるのか分からないが、せめてマスクもせず多人数でねっとり密着して楽しそうに集団でバカ騒ぎしない事も世の中の為だろう。

考えたら おれは、子供の頃から協調性が無く集団行動を無理強いさせられては、息苦しい思いをしたものだ。

だが、そんなアウトサイダーなおれみたいな奴らが、この時代には順応して行けるような気がする。

全くもって皮肉な話だ。