黒犬伝 その7(後編) | 八光流 道場記

八光流 道場記

京都で約30年、師範をやっております。
つれづれなるままに書き綴ってまいります。

夜になってもアクは帰って来なかった。

それでもおれは、奴を信じていた。

やがて夜が明け おれが洗面所で顔を洗っていると玄関の方から
「ウオォ~ッ」とアクの遠吠えが聞こえて来た。

「おいおい 朝帰りか?」と呆れつつ玄関の引き戸を開けてやるとアクが座っていた。

そのアクからは、異臭が漂っていた。

「これは血の匂いか?」おれは、半ば本能的に異臭の正体を察知した。

何気なくアクの額に触れたら妙にべたつくので触れた掌を見たら思わず「ウッ!」と声が出た。
掌には、固まりかけた血が着いていた。
よく見ると前足にも赤黒い血が泥と一緒に付着している。

「お前 怪我してるのか?」とアクの身体を調べたが無傷だ。
「外で何やってた?」とおれは、背中に冷たい物を感じながらアクを見たが、奴はおれに目を合わさず自分の小屋に入って眠り始めた。

餌をやっても食べないので腹を触ったら明らかに満腹状態だ。

夕方アクを散歩に連れ出した時 糞を見たら不気味な真っ黒い色をしていた。

思う所があって早速獣医に検便してもらった結果思った通りあいつは動物の内臓を食った可能性が高い。

獣医と二人で昨日姿を眩ましてからのアクの行動を推理して見た所 奴は、イノシシを追跡し最終的に咬み殺し狼の習性に従って内臓だけを食ってその後山中で疲れを癒やしてから朝帰りとなったんだろう。

おれは、アクを洗ってやりながら「お前って奴は犬を飼ってる気がせんなぁ」と呟いた。

結局 おれと獣医の推理が正しかったかどうかは、今もって分からない。

ただアクと言う犬は、野生と飼い犬の間を彷徨っているような奴だった。

そしてあいつが完全に野生にならないように引き止めるのがおれの役割だったのかも知れない。


昔 悪い神が熊に化けて人々を襲った。それを見かねた良い神が怒り犬に化けて熊を倒した。
北海道の先住民アイヌの神話にそんな話がある。