京都人(後編) | 八光流 道場記

八光流 道場記

京都で約30年、師範をやっております。
つれづれなるままに書き綴ってまいります。

京美人の患者は、強度の肩凝りとヘルスケアの為におれの治療室に来ていた。

おれは、京都人の古臭いしきたりや思考形態を彼女から色々聞いて呆れたり感心したりしていた。
彼女は、おれの人に合わせる事の無い自由で偏屈な生き方に纏わる話を面白そうに聞いて笑っていた。

おれと彼女を取り巻く環境や常識のギャップが妙に新鮮に思えた。

彼女はある時「最近は京都でも古臭い伝統や考え方は、段々薄らいで来てますが私の家は、まだぜんぜん駄目です」と言って寂しげに微笑んだ。


やがて一年半過ぎた頃 治療後彼女は「私ね…」とポツリと切り出した。
おれが「ん?」と聞き返すと「来年結婚する事になったんです」とまたポツリと言った。

「ふぅん 相手はどんな男?」と聞くと彼女は「さあ? 子供の頃から親同士が決めてた人で先週形式的にお見合いしました」と少し視線を落として言った。

「そんな決め方でいいのか?」如何にも京都人らしい考え方だが おれは聞き流す事が出来なかった。

「悪い人じゃないみたいだし…」それだけ言うと彼女は黙り込んでしまった。

その話を聞いた次の月 彼女は、後2回限りで治療に来れなくなった事をおれに告げた。
それも京都人のモラルなんだろう。


彼女の最後の治療日 おれは偶然京都市内に出張治療に出る事になり出張先が
電車の方が便利なので帰宅する彼女を送りがてら同じ電車に乗る事にした。

おれ達は、並んで何も話さず吊革に身を委ねていた。

おれの降りる駅は、彼女の降りる駅より二駅前だった。
おれが降りる時「お幸せに」と言うと彼女は「ありがとうございます 先生もお元気で」と静かに言った。

電車を降りた時 背中に視線を感じて振り向いたら彼女が閉まったドアの向こうに立っておれを見送ってくれていた。

おれは、電車が地下の闇に消えて行くのを見送ってから駅を出た。

そして 今にも泣き出しそうな曇天の歩道を歩きながら 早春に来て晩秋に去って行った京女の何処か寂しげな笑顔を思い出していた。