薄紫色の花 | 八光流 道場記

八光流 道場記

京都で約30年、師範をやっております。
つれづれなるままに書き綴ってまいります。

早朝から小雨が降っていた。

新型コロナウイルス蔓延の為 やむを得ず柔術も整体業も自粛モードになっていた。

八光流柔術も整体も出来ない自分に存在価値が有るのか?とさえ思えて気分が落ち込んでしまう。

ポッカリ空いた時間に何をしたら有意義に過ごせるのか?
考えてみたら 近頃のおれは、仕事以外に何かを楽しむ事を忘れかけていた。

手持ち無沙汰でゴロゴロしてテレビを点けたら アナウンサーや医者達が鬱陶しい顔で目処の立たないコロナの話をしていた。

「あああっ もう うるせえ」とテレビを消しておれは、散歩に出る事にした。
傘を持って出ようと外を見たら雨が上がっていた。

玄関を出て引き戸の前の狭いスペースにふと目を向けると薄紫色の小さな花が幾つも咲いていた。
いつの間にこんなに咲いていたのか?

我が家は山の麓に在るので風や鳥がよく植物の種を運んで来る。

(何て健気な花だ)と思った。
おれは、その花を見ている内に本来の自分を取り戻していった。

おれは30年前に痛みに負けじと健気に頑張る人の味方になろうと自分の中で誓った筈じゃ無かったのか?

柔術にしても 元々武道や格闘技の心得のある強い弟子を指導するより初心者で弱小の弟子が必死におれに着いて来る健気な姿に背中を押された事もあった。


待とう コロナ騒動が収束する事を信じて。
そしておれが、その日までにやる事は、自分がコロナに感染しないように細心の注意を払う事と 弟子や患者さん達に再会した時「あんた腕が落ちたな」と言われないように柔術や治療の腕を錆び付かせない為の鍛練だ。

おれは、地面をしっかり踏みしめて歩き出した。


竹薮の中で鶯が、胸の空くような清々しい声で鳴いていた。