約束(後編) | 八光流 道場記

八光流 道場記

京都で約30年、師範をやっております。
つれづれなるままに書き綴ってまいります。

石屋のオヤジの治療は、週に2回だった。
おれは、皇法指圧とオステオパシーを駆使して治療に当たった。

時には、激痛を伴う治療だったがオヤジは、自分で言っていた通り辛抱強く我慢していた。

1ヶ月は、瞬く間に過ぎ 石屋のオヤジの右肩は何とか石工の仕事が出来るようになった。

石屋のオヤジは、大喜びで「ありがとう 来週から東京に行けます」と言った。
そして わざわざ右手を振って帰って行った。

おれは、約束が果たせて良かったと心から思った。


ところが、その1週間後石屋のオヤジの奥さんから電話が掛かって話を聞いたおれは、絶句してしまった。

石屋のオヤジは、東京の仕事先の宿泊施設で倒れていた。
脳溢血だった。

「あんなに嬉しそうに出て行ったのに」と奥さんが言った。
そして「経過が悪いのでたぶんもう…。」と声を詰まらせた。

「こんな事なら 右肩治せない方が良かった」とおれがやるせなく言うと奥さんが「いいえ 先生が約束を守ってくれたと言って本当に喜んでましたから」と涙声で言った。

「ご主人がもし…もし意識が戻ったら直ぐに連絡して下さい」とおれが言うと「わかりました」と奥さんは、それだけ言って電話を切った。

おれは、乱暴に受話器を置くと獣のように唸りながら事務机を掌で思い切りバシッと叩いた。

おれは、暫く 呆然と立ち尽くしていた。

結局その後 石屋のオヤジは再び来る事は無かった。

今でもおれは、桜が咲きやがて散って行くのを見ていると石屋のオヤジの右手を振って帰って行った嬉しそうな顔を思い出す事がある。


患者の痛みを治療する事が、おれの仕事だ。
それ以外の事は、おれには関係無い。

治療師が、患者に感情移入し過ぎると ろくな事が
無い。
だが、そんな事は分かっているのに深入りして その度に一つずつ悲しみを胸に刻んで行くのがおれの悪い癖だ。