正義感 | 八光流 道場記

八光流 道場記

京都で約30年、師範をやっております。
つれづれなるままに書き綴ってまいります。

八光流柔術は、護身武道だ。
護身武道に正義も悪も無い。自分の身を護る為にあるだけだ。

武道は、八光流に限らず使い手によって正義にも悪にも力を与える。

只 八光流柔術は、護身に特化した武道だから悪用には向かないとおれは、思っている。

しかし八光流は、護身武道といえども少し応用を利かすだけで非常に危険な技に変化する。
簡単に相手を殺傷するような技にも成り得る。

そこで師範に必要なのは、技の形を伝授するだけじゃなく技を悪用しない正義感をも育てる事が出来るかが大切だ。
だから師範は、自ら正義を示せる人格でなくてはならない。

おれは、自分じゃ正義の人だと思っている。
だが、おれの正義感は昔から分かり辛いようだ。
大見得切って正義の味方ぶるのは、おれにはどうも性に合わない。

人間なんて生き物は、大抵 正義と悪の間をフラフラしてるもんだ。
それがおれの持論だ。

そんなおれが弟子達に正義感を説くなんざ片腹痛い話だ。

もしかしたら奴らは、おれよりよっぽど正義感の大切さを理解しているのかも知れない。

おれの正義感は、分かり辛いが断じて悪じゃない。
おれは、おれ成りの正義を貫いて生きている。

それを信じて おれの下に集まった弟子達を 決して裏切らない事こそが、おれの道場に於ける正義感だ。