確かに似た奴(後編) | 八光流 道場記

八光流 道場記

京都で約30年、師範をやっております。
つれづれなるままに書き綴ってまいります。

この当て身の勢いは、尋常じゃないが何故か何処かで見たような気がする。

そして その他の技を掛けると さすがにあいつもおれの技には逆らえない。
ただ 隙あらばこちらに攻撃を仕掛けて来る気配を感じる。
残心を怠ると反撃を食らう事は間違い無い。

そろそろ練習を終わる頃おれは、この男に雅勲(経絡に痛覚刺激を与える技)を掛けて見た。

思った通りあいつは、必死に平静を装っている。
「変に我慢すると身体に悪いぜ」とおれが言うと あいつは悔しげにマットを叩いて降参の意思表示をした。

男の顔色は真っ青になっていた。
「素直に降参すればいいものを ひねくれた奴だ」とおれはそこまで言った時
「痩せ我慢しおって ひねくれた奴じゃ」と師匠が昔おれに言った言葉を思い出した。

何て事だ。この男誰かに似ていると思ったら昔のおれにそっくりだった。

技の掛け方や受け方そして意地の張り方がよく似ている。

「オーストラリアじゃ皆そんな練習の仕方なのか?」とおれが聞くとあいつは「いや ぼくだけです」と言って少し笑った。

練習が終わりオーストラリア帰りの青年は「楽しかったです ありがとうございました」と礼を言って道場を出て行った。

彼の相手をした黒帯の弟子が「風変わりな奴だったけど技の感じが何処となく先生に似てましたね」と言った。
「ああ 昔のおれとそっくりだった」とおれは、苦笑した。

その時 おれの脳裏に「ひねくれた奴じゃ」と笑っていた師匠の顔が浮かんで消えて行った。

そして若かりし頃「ひねくれた奴」と言われながらも屈託無くひたむきに八光流に打ち込んでいた日々が無性に懐かしくなった。