母と | 八光流 道場記

八光流 道場記

京都で約30年、師範をやっております。
つれづれなるままに書き綴ってまいります。

週に一回位の頻度で母に会いに行く事にしている。

母に会うと色んな話をする。
話と言っても愚痴が多い。

この日は、滋賀県の立木山(安養寺)に行った報告をした。

「あの石段 何とかならないかなぁ800段以上ある」
「上まで一気に上がったけど10数年前に上がった時に比べると少々疲れた おれも歳って事かな?」

「おれが子供の頃 正月には毎年 立木山と石清水八幡と伏見稲荷は、家族揃って行ってたの覚えてるか?」

「神社仏閣てのは、どうして長ったらしい石段が付き物なのかねぇ」

「毎年 石段は、しんどかったけど家族揃って出掛けるなんて正月位だから おれは子供心に少し楽しかった」

「子供の頃からおれは、いつもふてくされた顔をしていたけど本当は皆でいる事はそれなりに嬉しかったんだ」

「懐かしいよなぁ」

おれは、そんな事を心の中で母に話し掛けていた。

その時 病室にナースが入って来た。

母は、脳梗塞を三回も繰り返した結果 寝たきりになり5年過ぎた。
食事は鼻から注入して目は開けていても無表情で今となっては感情も殆ど動かないようだ。
2年前に父が先立った事も分かっていない。

こちらから話し掛けても母は一言も話さない。

それでもおれは、この老人病院に週に一回位見舞いに来る。

「またな」とこれは声に出して言い 母の頭を2、3回撫でてからナースに「お願いします」と会釈して母の病室を出た。

物言わずとも母との会話は、何となく心が落ち着く。

思えば母が元気な頃はこれ程ゆっくり話し合う事は無かった。
こんな事ならもっと一杯話をしておけば と思っても今更遅過ぎる。

「この世で たった一つ憩いの場所があるとするなら それは母親の膝の上である」

母の病室を出たおれは、いつか何処かで聞いたそんな言葉を噛み締めながら長い病院の廊下を肩を落として歩いていた。