底無し沼(後編) | 八光流 道場記

八光流 道場記

京都で約30年、師範をやっております。
つれづれなるままに書き綴ってまいります。

教師の支持によってロープで救出された生徒は、半泣きで怒りをぶちまけた。
「こんな実習何でやらなあかんね!おれは農業なんて関係ないのにしんどい事ばっかりさせやがって!」

その頃 農業科の同級生は、色んな訳ありで普通科に入れなかったアウトローの集まりでクラス全員中農家の子供は1割程だった。

そんな連中にとっては、農業実習は只の強制労働でしかなかつた。

底無し沼の男が言った通り農業実習は、将来農業関係の仕事を志す者以外には何の関係もない授業だった。

泥だらけの男を見て確かにそうだとおれも思った。
おれは、農業実習を高校卒業の資格を得る為にやるしかない修業だと思っていた。


しかし現在 八光流の師範になってあの頃を振り返ってみると 農業実習で培った精神力や身体能力が確実に役に立っている。

おれの技には、鍬や鎌を使う事で身に付いたグリップやリストの力 そして足腰のバランスや踏み込む早さと強さは、底無し沼のような水田で鍛えた賜物だ。

人は、何かの目標に向かって必死に努力した事が何の役にも立たない事がある。
だが逆に何の役にも立たないと思っていた事が自分を支えてくれる事もある。
全くもって皮肉な話だが案外世の中の仕組みって奴は、そんな一面もあるのかも知れない。