すれ違った奴 | 八光流 道場記

八光流 道場記

京都で約30年、師範をやっております。
つれづれなるままに書き綴ってまいります。

夜9時半から出張治療に出た。
出張先は、隣町の駅近くのマンションだった。

駐車場に車を停めてマンションの玄関の方へ歩いて行くと小型犬らしき物体がこちらに向かってやって来る。

街灯が逆光で どんな犬か分からないが歩き方とシルエットでそれが柴犬くらいの犬のように思えた。

そいつは、どんどん近づいて来る。
やがて20メートル前方に来た時それが犬ではない生き物だと気付いた

そいつは、犬に成りすまして歩いて来る。
実際 普通の人間なら犬だと思ってやり過ごしただろう。
だが、おれは子供の頃 人間より犬の友達の方が多く野良犬の集団とも付き合いがあった。
そんなおれが、犬と他の動物を見間違う筈がない。

いよいよ そいつとすれ違う時おれは、そいつに声を掛けた。
「君 タヌキだよなぁ」
おれに声を掛けられたタヌキは、ピタッと立ち止まっておれの顔を見上げた。
そして照れくさそうにニタッと笑った。
いや 確かに笑ったように見えた。

笑ってからそいつは、夜の闇の中に姿を消した。

おれは、出張先の婆さんに笑うタヌキの話をしたが「タヌキが笑った? 先生だいぶ疲れてるんやねぇ」と婆さんは心配そうに言った。

笑いは、人間だけの特権だと言う。

しかしすれ違った奴は、確かに笑った。

あのタヌキは、闇の中に消えたが 自分の巣に帰って自分の家族に「今日 変な人間に正体を見破られて声を掛けられてなぁ」と話していたに違い無い。