現役インターネット販売員しか知らされていない、極め効率的通信費用削減術 -14ページ目

現役インターネット販売員しか知らされていない、極め効率的通信費用削減術

副業を「サラリーマン」としての安定的な立場を活用して、世間体を無視して、口にしてはいけない本音を語り、水面下でお金をコツコツと稼ぐ 常識を破壊して正しいと思う事を自己責任の基で、試練を強行突破するブログ。

中学校に入学と同時に転校した。クラスメイトの親は医者や大学教授、官僚などが比較的に多かった。

しかし、そのせいか、何か勘違いをしているクラスメイトが何人もいました。


太郎君は全くそんな事は興味がありませんでした。


太郎君はひたすら、興味があることに淡々と追求していきました。


当時好きだったのは、F1ドライバーの『佐藤琢磨』でした。太郎君が三歳の時から、理由がありませんでしたが、車が好きでした。


車を何時間見ていても全く飽きません。


好きな車は、その時々変わりましたが、好きな車は写真も撮っていました。角度を変えて、違うアングルから、撮っていました。



それくらい好きでした。その時にTOYOTAが独自のエンジンを開発して参戦する事が発表されました。そして、久しぶりに日本人F1ドライバーが出場する事になりました。


この二つの出来事がきっかけになりました。

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そこからF1ドライバーと車体に興味を持ち始めました。


気になれば、徹底的に調べるのが、基本姿勢でした。


学校が終われば、宿題を適当に済ませて、インターネットを使って、F1チームの情報を集めて、レース開催される間に行われる、テスト走行のデータを集めて、各チームのコンディションを見ていました。


そのデータを印刷して、学校に持っていき、授業中に次に開催されるグランプリの順位予想をしていました。


授業中に最初だけ話を聞いてましたが、F1の事が気になり、授業開始10分後には、様々な予想を立ててました。

当然、授業は聞かないで、終わるのが常でした。そのために、突然当うてられた時は、いつも答えられませんでした。


成績も上がる事もありませんでした。ひたすら、低空飛行を続けていました。
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周りから、馬鹿にされるようになりまりした。しかし、そんなのは全く無視してひたすらF1の事だけを考えていました。


それが高校受験に大きな影響を与えることを太郎君は全く気づいていませんでした。
中学に入学して、小学校と変わらない生活を続けていると、さすがに気を揉み出した太郎パパとママが、太郎君の勉強に対して、干渉をしてくるようになりました。


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もちろん、太郎君はあくまでも平均点を維持すること。その以上の努力はしないと決めていました。

しかし、平均点を取ってきていましたが、親は納得してませんでした。


太郎君のパパとママは進学高出身でした。その為に、太郎パパとママの学生時代の評価も好成績でした。


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しかし、一年生の初めての定期試験は平均点かそれ以下でした。学年300人中230位でした。

この結果に太郎パパとママは愕然としていました。

その中で現状回復に向けた、特訓がスタートしました。





太郎パパ→理系出身、得意科目→数学、

太郎ママ→文系主審、得意科目→国語、英語


理系と文系の間の太郎君でした。

太郎君→得意科目 →歴史(日本史)

勉強に対して重要性も価値も無いとおもっているので、頭を使わないで、ひたすら、機械的に暗記できる科目は常に一夜漬けで対応していました。



しかし、数学系や国語系の頭を使う科目は大の苦手でした。

英語に関しては、文法を覚える事や構文を暗記するのが嫌なので、ひたすら、適当にフィーリングで答案を埋めていく作戦を展開していきました。




太郎パパとママ:「お前は馬鹿か?どうしたら、その点数が取れるの?」

太郎君:「勉強をしないのと授業中は先生の話を聞かないで、頭で車のこと考えている」

太郎パパとママ:「それじゃ点数は取れないよ」「これから特訓だ!」


太郎君:「あのー頼んでないんですけど。。。」


太郎パパとママ:「そのままじゃ、話にならないだろ。一から特訓だ」


太郎パパ→短気、教える能力→弱小 

太郎パパの指導の仕方は私に教える前に、軽く教科書を読むだけです。ただ、自分で問題を解くだけです。

太郎パパ:「ここはこうして。。 ここはあーして」

太郎君:「よくわかないんだけど。。。」

太郎パパ「何でわからないの?」「だからここはこうして。。。」




このやりとりが3回以上続くと、太郎パパを怒鳴りながら怒ります。



太郎パパ:「お前は馬鹿だらできないんだ!!」


太郎パパ:「もう勉強なんかしなくていいビリでも何でもとってこい」

太郎君;「そもそも俺はお願いした覚えはないし、怒られる意味がわからない。最後まで根気強く教える気がないら、最初から教えるなんて言うなよ!」



これで大げんかして、勉強がストップして、週末は勉強から開放されていました。



太郎ママ→ 親父よりは忍耐力は有
      勉強で問題を理解しない毎に、ボールペンで刺されたり、物が飛んでくる。


問題を誤解した時の口癖→「は? 何でそうなるの? お前は馬鹿か?」

太郎ママ:「とりえあえず、ここの問題を解いてみて!」最初は口調が穏やか

太郎君は太郎ママの顔色を伺いながら、答えを言う戦法にでました。

当然その時は、怒られるのが嫌で、いかに怒られないようにすり抜けるかのみ考えていました


当然、頭に勉強の事が入ってきません。


途中で種中力がきれた瞬間に、適当に答えていきました。


次第に太郎ママの堪忍袋が切れて、怒り爆発!!


次の瞬間に、平手打ちが飛んできました。


それでも、太郎ママは勉強が止まる事がありません。むしろ、勉強の進捗が段々早くなっていきます。


そうなると、何とかして、強制勉強を止まめる方法を考えるようになりました。


太郎パパより、多少の忍耐力があるので、太郎君がわざと揚げ足取りを連続でやってみました。


そうしたら、10回目前後で、限界に達する事を知る事ができました。


そうなれば、太郎君が飽きてきたタイミングを見計らって、いかに太郎ママを怒らせるを、探るようになりました。

しかししそれに対する代償ありました。


必ず叩かれる事。それをやれた瞬間に終了です。


この繰り返しで、太郎パパとママの強制勉強は行われていました。
はみ出しサラリーマン太郎は、高校に入学するまでは、真剣に勉強をしないと決めていました。



勉強することで何を得られるのか? テストの点数を多くとって、県内の上位高校に進学して、旧帝国7大学か私立有名大学に進学することがステイタスと徹底的に叩きこまれた。

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しかし、中学生に入ってから、とても違和感を感じるようになりました。

その知識やその肩書が何に役に立つのか?



何故か、この時ばかりは、担任の教師や進路指導部長の全体集会での会話も、素直に入ってこない。


この時の太郎君のマインドセットは、必要になった時にやればいい。

何か見えない将来の為に、無作為に準備することに対する拒絶反応がありました。


全員で同じ方向に向って行けば、点数で順列をつけようとしたら、上も下もはっきりする。



この時から、私自身は天性的頭脳の持ち主では無いことを悟っていました。



努力型で攻めていく事が必須であることを何か感じていました。

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太郎君は、中学入学すると同時に引っ越しをしました。市内で隣学区でした。そこに集まる同級生がプライドが高くて、医者や大学教授、官僚が比較的多かったです。


そのせいか、やたら勉強熱心とプライドが高い人が多数いました。


もともと、勉強家ではなく、小学校の延長線でしか考えていなかった太郎君は、その点においては違和感を感じていました。



中学校に入っても勉強は殆どしていませんでした。宿題がだされれば、合格点がもらえる程度にやるくらいでした。宿題すら抵抗がありました。



太郎君;「勉強は何のためにやるんですか?」

担任教師:「学生は仕事の代わりに勉強をするのです」

太郎君:「これはわかりやすいですね。理屈はわかりました。」

     「学生には選択肢は無いのでしょうか?」

担任教師「勉強は将来どんな場面でも役に立つよ」

太郎君「具体的にどう役に立つのですか?」

担任教師「それは、これから進路を進むときに、選択肢を広げる事になる」


太郎君「なるほど、それはわかりました。しかし、もし会社設立して事業を起こす場合は、有名大学に入る意味はどのくらいありますか?


担任教師:「そこで、ビジネスパートナーが見つかるかもしれない。」




理屈はわかるけど、何か太郎君は違和感が拭えない状況のままでした。

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太郎君は、とりあえず平均点程度の点数を維持することを最低限の目標として、見せかけの勉強はしました。


この時は、必要になったら、真剣にやれば間に合うと考えていた。だから、試験も直前に資料を見ておけばいい。そんな考え方でした。

太郎君クラスメイトは、親からの多くの期待とプレッシャーを与えられて、相当なストレスを抱えていました。


太郎君は決めていました。好きな事を徹底的する。嫌なものは一切やらないと決意しました。

これが、はみ出しサラリーマン太郎の骨格を形成する事になります。

放課後の無償のお使いに嫌気が指した、サラリーマン太郎はお金を搾取する行動にでました。


そのお金で、買い食いを開始しました。ポテトチップスや唐揚げ、チョコレートと言ったジャンクフードを放課後に食べ歩いていたで、1年で10kgづつ増加していきました;





特に運動もしているわけでも無かったので、簡単に体重は増加しました。




小学校4年生で慎重は150センチで体重50kgを超えてました。普段着は伸縮性がある、ジャージ系を着るようになりました。




ジーパン等はサイズが大きすぎるので、太りきった、太郎君にあるサイズがありません」


倹約家である太郎ママが服に高額な費用を出すわけがありません。




夏になれば、水着も小学生サイズでは履けません。


おじさん体型の用のトランクスのようなダサイ水着しか着れません。


それからクラスメイトからついたアダ名は「トランクスおじさん」


理由は非常に単純でした。見たままの格好です。


「デブ」「トランクスおじさん」


サイズが通常の小学生ではありませんでした。


この呼ばれ方は非常に不満でした。しかし、自分を家にある全身鏡で見た時にその事を熟知しました。


この時の私は、食べることを優先しました。これは小学校卒業するまで続きました。

大学生に入学して、一人暮らしが始まりました。

高校までと違って、学校側も家でも指摘する人がいません。はみ出しサラリーマン太郎の行動の元年です。


まずに、入学式の不参加から始まりました。


元々、大学入試に失敗して、滑り止めとして入っただけなので、太郎君はとても不満でした。


サークル勧誘がありましたが、新入生勧誘の在学生に思いっきり、メンチを切ってました。

基本的に女の子は、私から避けるように、道を開けてくれました。


約200mある花道の中を歩いてもらったビラはたったの一枚でした。


嫌な事は一切やらないと決めていました。

それに関しては、発言も含まれていました。


思っている事は全て口にしていました。


当然、友達はとても狭まれてきました。


大学生活は、オレンジデイズのような、キャンパスライフを思い描いていました。しかし、実際は、ほとんど友達はなし。

選択科目は、基本的に一人で授業を受けていました。


気のしれた仲間はいませんでした。

丸二ヶ月ある夏休みと春休みは友達と出かけることなく、ひたすら、一人で黙々とバイトしてました。


時間を持て余していました。何か没頭する事もありませんでした。


この頃は、親から言われ通りの安定思考をしていました。

好き勝手やっていましが、何か中途半端さが是面に出ていました。


言っている事と行動がブレていました。それが余計に太郎君は大学入学早々から孤立するはめになりました。

はみ出しサラリーマン太郎は、はみ出しサラリーマン太郎ママの財布の中身を抜き取ることで、ストレス解消をしていました。


段階を踏んで、一万円札の搾取まで成功しました。


しかし、好きな物はゲームでした。形が残るものでは、私がお金を抜き取っている事がばれてしまいます。

そこで、買い食いに走る事になりました。今まで身近にあって、買えなかったものを買い漁りました。


まずは、近所にあるコロッケ屋でメンチカツ、トンカツ、男爵コロッケをファンタオレンジジュースの組み合わせで、帰宅すると常にいきました。

そのあとは2キロ先にある、マクドナルドでチョコシェイクとハンバーガーを3つ。

ポテトもLサイズを頼んでいました。


そのあとにゲーム屋でチョコレートとスナック菓子を持ち込んで、夜の六時まで過ごしていました。


帰り道も途中でコンビニに寄って唐揚げ君とホットドッグをかぶり付きなきながら帰宅してました。



帰った後も山盛りご飯二杯と大量のおかずでした。


ここに生活を始めてから、ブクブクと風船のように太り出しました。

毎年10kgのペースで人っていきました。


この頃から、小学校のクラスメイトから、デブと呼ばれるようになりました。


また、放課後に買い食いしている様子をクラスメイトに何度も目撃されました。


その大食い、早食いの姿はフードファイティングと呼ばれる原因にもなりました。

まさか、大食いが贅肉として蓄積される事にことに気がついてませんでした。

はみ出しサラリーマン太郎が強制お使いに疲れて、日が立つにつれて、どんどんストレスが増していきました。小学生の太郎君の趣味は食べること!!
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特にポテチや揚げ物、チョコレート系のお菓子は大好物でした。



徐々に学年が上がるにつれて、周りの友人達はお小遣いを貰えるようになっていきました。
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太郎君も同じように過ごしたいので、母親に懇願しましたが、拒否されてしまいました。


その詳細は→をクリックして見てください。http://ameblo.jp/hakaimax/entry-11711603500.html


私はもらえないならば、取りに行こうとしました。


お金を太郎ママの財布から獲得することできました。しかし、ゲームも好きでした。しかし、形が残るものは買えません。それが見つかれば、お小遣いを貰っていない私に、購入資金はどこから調達したのか?


この問いただす所から始まるからである。それはなんとか避けたい。


その結果、お金の使い道は「買い食い」に走る事になった。


ひたすら好きなポテチとフライドポテトを食べる事になった。




食べることで、どんどん太っていくが、太郎ママとパパはすぐに気づくことはありませんでした。




最初に行ったのがマクドナルド。普段買ってもらえない、ビックマックとダブルチーズバーガーを食べ続けました。そしてマックシェイクのチョコ味にフライドポテト。


これが、しばらくの放課後の日課になりました。


そのために、どんな遠い所でも、太郎ママに大量のお使いや、スーパーを3店回らないといけない所も文句を一切言わず、素直に引き受けていきました。



しかし、太郎君の機嫌を悪くするような事をされると、言葉で言い返して反抗していました。


この頃から、太郎君はママからの財布からお金を抜き取る頻度が増していきました。
はみ出しサラリーマン太郎は小学6年までおこずかい制度はありませんでした。

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何度もサラリーマン太郎ママに直談判しても、全く相手にしてもらえません。

それが小学校の2年から続きました。


しかし、また今度とはぐらかされるようになりました。しかし、お使いの頻度は上がっていくばかりでした。


お使いも商品を間違えると、商品交換させらに2キロ先のスーパまで行かされたこともあります。


流石に、徐々に苛立ちが大きくなりました。


太郎君は考えました。もらえないのならば、貰いにいけばいい!!

この発想の転玄関をお使い思いついたのが、小学校4年生の時でした。


初犯行は『お釣りのネコババ』でした。


これは母親がお釣りを、貰い忘れてました。

太郎君も同様に忘れていました。

太郎君はそれを素直に差し出さず、ネコババしていきました。


お釣りと言っても、小銭だけです。それも徐々にお金が足りなくなっていきます。


それならば、次の目標は1000円札の抜き取りでした。


これも何楽成功しましたそれから3ヶ月は地道に1000円札の抜き取りを実行しました。


しかし、1000円札はすぐになくなってしまいます。

その為に、次は1万円札を取ることを決意しました。


最初の一ヶ月は勇気が出なくて、太郎ママがお風呂に入っている時に、1000円札を財布から盗んでいました。


渾身の勇気を振り絞って、何とか1万円を抜き取ることができました。ここで、やっと気がはれてきました。


はみ出しサラリーマン太郎君は、お使いが日々の日韓になっていました。

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きっかけは、小学校の規定で小学校4年生以降は、自転車移動は学区内【管轄地域指定された小学校エリア全て】に範囲が広がった事でした。

それまでの規定は自宅から半径300m程しかありませんでした。



それまでも、規定違反をおかして、学区外にあるゲーム屋に遊びに行くことや、駄菓子屋に行ってました。

それは、はみ出しサラリーマン太郎君のママも知っていました。


それもあってか、小学校のエリア限定解除と同時に、学区内の店に買い出しに行かされました。


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店の場所は太郎ママなら絶対に自転車では行かない場所でした。

そのスーパーは毎週木曜日に特売セールをやっていました。

太郎ママは行きたくないけど、そこで売られている商品は激安生鮮食料品が集まるスーパーでした。

普通なら諦める所ですが太郎ママは簡単に諦めるような人ではありません。

車の運転ができない太郎ママのとった手段として、太郎君本人を利用することでした。

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遊びに行く時間を一時間延長する代わりに、そのスーパーで買い物する事でした。



それも、時に家族4人の一週間分に匹敵する分量でした。


もちろん、それに対するおこずかいは一切ありません。元々おこずかい制度は存在してませんでした。

最初は買い物の分量が少なかったのが、徐々に多くなっていきました。



気がついた時にはママチャリの荷台とカゴの大量につめた食料品の買い出しに出かけることが日課になりました。


その結果、毎週木曜日は買い物DAYに太郎ママによって指定されてしまいました。


その時はイライラしていました。報酬がないとで後々、太郎パパとママに反旗を繰り出すことになるとは、太郎ママは知りませんでした。
大学に入学するために、地元の山形から、上京してきました。 上京することは小学校の頃から決めていました。

やっと解放される、一人暮らしができる。

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また高校と違って、クラスがあるわけではないので、嫌な人とグループワークをやる必要がありません。

私を他人から勉強面以外評価をつけられる事はありません。

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それがわかった瞬間、個性を殺していた、高校時代の我慢が爆発しました。


徹底的に好きなものと、嫌いなものに分別していました。


大学時代も好きな人達としかつるまなくなりました。

大学に入学してからの意味のない式典や行事には一切参加しませんでした。

そして、一発目が




【入学式の不参加】

サラリーマン太郎は上京して来たこととに加えて、大学入学が一年遅れていたので、同い年の高校の友人は既に大学生をしていた。

友人も仲間もいない事に加えて、形式の式典に参加する意味はないと判断しました。

入学式の日は、一年先に入学していた10年以上連んでいた友人と遊んでいました。




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一人暮らしを始めて、私の育った環境は、同年代に合わないこと事が、わかりました。


それまで、絶対安定思考だったものが、徐々にリスクを負う思考にシフトしていきました。


実家暮らしの時は、親のいう事が絶対でしたが、一人暮らしを始めて、カラオケでオールなど、大した事ではありませんが、この行為は両親が許してくれませんでした。

しかし,管理する人はもういません。


好き放題できる楽しみを20歳の太郎君は知ってしまいました。


ここから、それまで蓄積された、秘められた性格が開化する事になるのでした。