体調不良でしばらく休んでしまった
仕事も溜まっていたので
戻ってくるタイミングを逸していた
こうやって、ブログをやめていく人も多いんだろうな
その間、いろいろあったけど
やはり、大谷翔平のドジャース入りは
大きなニュースだ
久しぶりなので語らせてほしい
私は、ドジャースファンだ
勿論、大谷が入団して
活躍してくれることを
心から祈っている
年俸とか全く興味はない
久々にドジャースに
凱歌があがることを期待している
しかし
これでにわかファンが増えるのを
私はちょっと苦々しい目で見ている
弱い頃から応援し続けている
阪神ファンならわかると思う
あの感情だ
野茂英雄がドジャースを出て
放浪の旅に出た後
またLAに戻ってきた頃
私は縁があってロサンゼルスの住人になった
野茂が投げる試合も
何試合か観に行った
敵地サンフランシスコまで観に行ったこともある
その野茂が故障して
リハビリで、当時ドジャースのAAAだった
ラスベガス51`Sで投げることになった
「ほんまに投げるんやろなぁ」と
電話で確認した後ホテルを予約して
車をぶっ飛ばしてラスベガスに観に行ったことを思い出す
↑その時のピンボケの写真
野茂がラスベガスで投げたのはこの1試合だけだ
私はフェルナンド・ヴァレンズエラが
衝撃的なデビューを飾った頃からの
ドジャースのファンだ
それ以前の選手についても
それほど熱心にではないが
興味を持つようになっていった
語学学校の会話の授業で
先生(私がドジャースファンだと知っていた)が
教材に登場した人名「Sandy」を取り上げ
「Red(私の愛称)、野球選手でサンディといえば?」
まだまだ(今もそうだが)英語の聞き取りは
大したことなかったが
その時ばかりは間髪を入れず
「サンディ・コーファックス!」と
私は答えた
他の生徒は、何のことか全くわからなかっただろう
その頃、ドジャースタジアムには
年間20試合ぐらい観にいっていた
一番安い席は6ドルだった
今、その席が35ドルするらしい
招待で、一番高い席(当時200ドルくらいだったかな)に
座ったこともある
食事も、飲み物もついている席だ
貴族になった気分だった
一時期、邦字誌の記者をしていた時には
当時在籍していた齋藤隆にインタビューをしたこともある
だから、来シーズンから大谷が使う
あのベンチやロッカールームに入ったことがある
生涯最高の瞬間だったかもしれない
球場ではサインもたくさんもらったが
ホセ・リマと斎藤のものだけを残して
日本に帰る時に断捨離した
そういえばちょうど、デーヴ・ロバーツ監督が
現役で、トップバッターだったころだ
弱いとまではいかないが
弱々しいチームだった
監督のジム・トレーシーは
お世辞にも選手起用が上手いとは言えなかったし
フロントは、安上がりのビッグネームを買ってくるだけだった
大好きだったのは
2番、キャッチャー、ポール・ラ・ドゥーカ
そして、のちに移籍してきた
かつてレッドソックスの顔だった
ノーマー・ガルシアパーラ
斎藤がリリーフ登板したある日
珍しく打ちこまれ、逆転された
4点差がついてしまったが
「サイトー、俺たちが取り戻してやるよ」
誰が言ったかは覚えていないが
落ち込む斎藤に誰かがそう囁いた
その言葉は現実となった
4者連続ホームランで同点!
そして、延長に入って
ガルシアパーラが
Walk off、つまり、サヨナラホームランを放ったのだ
人気があったロバーツやラドゥーカは
フロントの「マネー・ボール」の余波で放出
ロバーツはレッドソックスで
あの盗塁(読者よ、思い出せ!)で
レッドソックスにかかっていた呪いを解いたのだ
語り出せばキリがない
というわけで
にわかドジャースファンと一緒にされたくない
ということなのだ
目立たないように
いつものチームキャップはやめて
2020年ワールドチャンピオンの帽子を
これからは被ることにしよう
少なくとも
大谷が来る前からファンだったと
証明するために