子規随筆の中の俳句・短歌(5) | 俳句の里だより2

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俳句の里に生まれ育った正岡子規と水野広徳を愛する私のひとりごと

「松羅玉液」(5)

 

ここでは、脊椎カリエスにより寝たきりの人生を送った時代に書かれた4大随筆(「松羅玉液」「墨汁一滴」「仰臥漫録」「病牀六尺」)の中の俳句や短歌について紹介しているが、その他に、人力車で短時間外出した際に詠んだ短歌(「亀戸まで」)についても紹介することとする。


最初は、子規が28~29歳の時の随筆「松羅玉液」の中の俳句268句(子規;131句、他;137句)について、5回に分けて紹介するが、「松羅玉液」は明治29年(1896年)4月21日から同年12月31日まで、計32回にわたり断続的に新聞「日本」に掲載された。この「松羅玉液」には、当時はまだ珍しい「遊戯」だったベースボールについての詳しい紹介(7月19日~7月27日)や、俳句の類似性・剽窃などの例(10月5日~10月19日)が記載されている。前回(4回目)は、上記に述べた10月5日から10月19日までの53句(俳句の類似性についての例句)を紹介したが、今回(5回目)では、12月23日から12月31日までの81句を紹介し、「松羅玉液」の中の俳句の紹介を終えることとする。

 

◎12月23日

〇5年前に京都の高尾など紅葉見物をし、宿屋で楓の葉を砧と槌でハンケチに打ち込んだこと、その時虚子が来て夜遅くまで話し合ったことなどを思い出し詠んだ句

 手拭に 紅葉打ち出す 砧かな

 

〇翌日、虚子と嵐山などを散策した後夜宿屋に戻り、学校の試験と縁を切ったこと、また虚子とあった喜びに浸ったことを思い出し詠んだ句

 木老いて 帰り花だに 咲かざりき

 

〇ある夜、虚子とともに東山清水の畔にある天田愚庵の草庵を訪れ、三人で炉を囲み茶を飲みながら話している時に、持って来た柚味噌を差し出すと、愚庵が手を打って喜んだので詠んだ句

 老僧や 掌に柚味噌の 味噌を点ず

 

〇愚庵は炉上の釜を指して、これは浄林の作で草庵の宝であると言ったが、今春愚庵が上京して自分(子規)の庵を訪れたので、彼の顔を見ると昔と変わらなかったが、思い出すのは釜のことで詠んだ句

 凩の 浄林の釜 恙なきや

 

◎12月24日

〇明治28年、体調を崩していた愚庵は退院して京都の清水に戻り、庵から見える風景十二景を選び「愚庵十二勝」として発表、新聞「日本」で同志を募った。寒川鼠骨から子規が病気のことを聞いた愚庵は、12月9日に子規に見舞状を送り、自分(愚庵)で4句(「まだ死ぬな 雪の中にも 梅の花」「独して 急ぐ旅かは 雪のそら」「こたつして 君和韻せよ 十二勝」「浄林の 釜に我を独で しぐらすな」)を詠んで、「句になるものありや否や、もし万一死期近きにありと思わば、片身と思い、十二勝を和してくれ給え」と記し、最後に「見舞ひして 我先立つも知れず 雪の路」と詠んだ。

 

そして、この愚庵の見舞い状に応え、子規は俳句の仲間たちと「愚庵十二勝」に唱和し、この内容を12月24日の新聞「日本」の「松蘿玉液」に載せた。それが以下の、碧梧桐、虚子、把栗、子規の4人による俳句十二首である。

●帰雲巌

 秋落葉 石冷えて雲 帰るべく (碧梧桐)

 午頃に しぐれし岩の 夕日かな (虚子)

 吹きたまる 岩の窪みの 霰かな (把栗)

 雲消えて 花ふる春の 夕かな (子規)

 

●霊石洞

 石を為す 鍾乳の露 滴るよ (碧梧桐)

 雪を丸めて 仏を造る 雪の朝 (虚子)

 仏の灯 清水にうつる 洞午なり (把栗)

 春風や 眼も鼻も無き 石仏 (子規)

 

●梅花𧮾

 白梅は 紅梅に劣る 厠かな (碧梧桐)

 散る梅の 掃かれずにある 窪みかな (虚子)

 暁の 山に月出づ 梅の花 (把栗)

 活けんとす 梅こぼれけり 維摩経 (子規)

 

●紅杏林

 君心ありて 伐り捨てざりし 杏かな (碧梧桐)

 鴉ありて 白李の種を 盗みけん (虚子)

 鳥啼くや 杏の花に 日三竿 (把栗)

 霊聖女 来らず杏 腐り落つ (子規)

 

●清風関

 更衣 出べくとして我 約ありし (碧梧桐)

 敲けども 敲けども水鶏 許されず (虚子)

 竹林に 昼の月見る 涼しさよ (把栗)

 涼風や 愚庵の門は 破れたり (子規)

 

●碧梧井

 桐にして かぶさる井戸の 青葉かな (碧梧桐)

 桐を栽ゑて 古びし井戸を 新らしむ (虚子)

 山の井の 底に沈める 一葉かな (把栗)

 桐掩ふ 庭の清水に 塵もなし (子規)

 

●棗子逕

 長い棗 円い棗も 熟しけり (碧梧桐)

 熟したる 棗の下に 径を為す (虚子)

 鉄鉢に 棗盛りたる 僧奇なり (把栗)

 行脚より 帰れば棗 熟したり (子規)

 

●採菊籬

 菊一籬 ここに愚庵 十二勝を成す (碧梧桐)

 鋏誤つて 白菊を切る 黄菊かな (虚子)

 昼鎖す 間に菊花の 乱れ咲く (把栗)

 霊山の 麓に白し 菊の花 (子規)

 

●錦風崕

 僧僧を 送り出でて紅葉 夕日なり (碧梧桐)

 崖の上に 鳴かざる鹿の 馴れて来る (虚子)

 崖を削つて 道つくるべく 蔦紅葉 (把栗)

 紅葉散りて 夕日すくなし 苔の道 (子規)

 

●嘯月壇

 物干に 月一痕の 夜半かな (碧梧桐)

 犢鼻褌を 干す物干の 月見かな (虚子)

 松はしぐれ 月山角に 出でんとす (把栗)

 嘯けば 月あらはるる 山の上 (子規)

 

●欄柯石

 寒夜 一棋石盤を うつて嗚る (碧梧桐)

 石の上に 春帝の駕の 朽ちてあり (虚子)

 閑古鳥 僧石に詩を 題し去る (把栗)

 野狐死して 尾花枯れたり 石一つ (子規)

 

●古松塢

 松に蔦 風吹き荒れて 塚ならざる (碧梧桐)

 草枯れて 松緑なる 御法かな (虚子)

 蛇の衣の かかる木末や 雲の峰 (把栗)

 冬枯や 日<庭前の 松樹子 (子規)

 

◎12月28日

〇月末は貧しいが、年の暮はさらに貧しい。自分(子規)のように病気に悩まされている者は、いたずらに病魔に愚弄されることは忍び難く、年末に自ら叱咤激励し文章を書くと、その様子を見ている悪魔が笑うので詠んだ2句

 行く年を 母すこやかに 吾病めり

 また生きて 借銭乞に 叱らるる

 

〇果物はいろいろな種類がありそれぞれ美味しいが、自分(子規)もこの夏頃から果物に力を借りて貪り食いながら書き物をしている。そんな気持ちを詠んだ5句

 日毎日毎 十顆の梨を 喰ひけり

 小刀や 鉛筆を削り 梨を剥ぐ

 朱硯に 葡萄のからの 散乱す

 書に倦みて 燈下に柿を 剥ぐ半夜

 柿くふて 洪水の詩を 草しけり

 

◎12月30日

〇11月半ばに病気になり、人々が交代で見舞いに来るが、中でも碧梧桐と虚子は常に看護をしてくれ、自分の命は彼らのお陰であり、詠んだ9句

 窓の影 小春の蜻蛉 稀に飛ぶ

 胃痛やんで 足のばしたる 湯婆かな

 詩腸枯れて 病骨を護す 蒲団かな

 看病の 吾を取り巻く 冬籠

 碧梧桐の 吾をいたはる 湯婆かな

 しぐるるや 蒟蒻冷えて 臍の上

 小夜時雨 上野を虚子の 来つつあらん

 木の葉をりをり 病ひの窓を 打て去る

 茶の花の 二十日余りを われ病めり

 

〇ある夜、病が小康状態になり、何故か頭には柚味噌のことが思い出されて、その句が20句ばかり浮かび、虚子を呼び起こしてその句を記述させた中の6句

 われ病んで 京の柚味噌の 喰ひたかり

 柚味噌買ふて 吉田の里に 帰りけり

 柚の木兀として 京極に 柚味噌出づ

 柚味噌の蓋 釜の蓋程に 切り抜けり

 柚味噌尽きて 更に梅干を 愛すかな

 昨夜星落ち 今朝柚味噌到る

 

〇琵琶に関して、薩摩琵琶よりも琵琶法師が平家物語を語ることが印象深く、それを読んだ6句

 頭巾着て 平家を語る 法師かな

 蝋燭の 涙を流す 寒さかな

 琵琶冴えて 星落ち来る 台かな

 嘈々と しぐるる音や 四つの糸

 琵琶迫れば 凩さつと 燭を吹く

 四絃一斉 霰たばしる 畳かな

 

◎12月31日

〇「松羅玉液」は清国の陳玄子の号であり、今から30余年前に日本に来たが、昨年秋に故郷に帰った時に自分は偶然に彼に会い親交をむすんだ。しかし1年余り後、残念ながら死去したので、追悼の思いを込めて詠んだ句

 詩百篇 君去つて歳 行かんとす

                 (了)