子規紀行文の中の俳句(13) | 俳句の里だより2

俳句の里だより2

俳句の里に生まれ育った正岡子規と水野広徳を愛する私のひとりごと

「散策集」(3)

 

ここでは、先の芭蕉シリーズと同様に、正岡子規が全国を旅しながら残した紀行文(年代順に、「水戸紀行」「かけはしの記」「旅の旅の旅」「高尾紀行」「鎌倉一見の記」「はて知らずの記」「散策集」)の中に記載されている俳句(及び短歌)について紹介しており、その7回目として「散策集」の中の俳句142句を紹介する。

 

「散策集」は、子規が病気療養のため、明治28年(1895年)8月下旬から10月中旬まで松山へ帰郷した際に、松山に住む俳句仲間たちと吟行に出かけ(9月20日、21日、10月2日、6日、7日の5回)、俳句を詠んで記録した紀行文である。前回は、9月21日午後、柳原極堂の他、俳句仲間の中村愛松、大島梅屋の3名とともに御幸寺山の麓まで往復した際に詠んだ24句と、10月2日午後、一人で中の川から八軒家を経て石手川の土手まで往復した際に詠んだ21句(他1句)の計46句を紹介したが、今回は10月6日、夏目漱石とともに道後を散策し、帰途、松山市内(大街道)の芝居小屋(新栄座)で狂言を見た際に詠んだ18句と、10月7日、松山郊外の今出に住む村上霽月を訪れた際に詠んだ33句の計51句を紹介して、この「散策集」の俳句の紹介を終えることとする。

 

◎明治28年10月6日、夏目漱石とともに道後を散策し、帰途、松山市内の芝居小屋で狂言を見た際に詠んだ18句

〇道後温泉の三層楼(本館)(前年の明治27年に落成)から眺望して詠んだ句

 柿の木に とりまかれたる 温泉哉

 

〇道後温泉から鷺谷墓地を訪れる途中の坂で詠んだ3句(「黄檗の山門」は、坂の突き当りにあった大禅寺のこと)

 山本や うしろ上りに 蕎麦の花

4

 稲の穂に 温泉の町低し 二百軒

 

●鷺谷墓地の小島久(子規の曽相祖母)の墓を尋ねたが、墓地に墓が多くなり見つけることが出来ず詠んだ句

 花芒 墓いづれとも 見定めず

 

〇鷺谷墓地から引き返して鴉渓(からすだに)の花月亭(現在の「ふなや旅館」付近にあった小料亭)で詠んだ3句

 柿の木や 宮司が宿の 門がまへ

 百日紅 梢ばかりの 寒さ哉

 亭ところどころ 渓に橋ある 紅葉哉

 

〇道後松ヶ枝町(宝厳寺門前にあった遊廓)を過ぎ、宝厳寺(一遍上人誕生の地)に参詣した際に、妓廓門前の柳が往来の人を招かず、むなしく一遍上人誕生地の古碑に枝垂れかかるのが哀れに覚えて詠んだ句

 古塚や 恋のさめたる 柳散る

 

〇宝厳寺の山門に腰掛けて詠んだ句

 色里や 十歩はなれて 秋の風

 

〇道後からの帰途、松山市内(大街道)の芝居小屋(新栄座)で照葉狂言(能・狂言に踊や俗謡をまじえて三味線の囃子を加えた演芸のこと;この時は、泉祐三郎、小さく夫妻の一座の芝居が出し物)を見た際に、戯れに詠んだ7句

 紅梅の ちりぢりに敵 逃げにけり (能楽 箙)

 狂ひ馬 花見の人を 散らしけり (狂言 止動方角)

 蝋燭に すさまじき夜の 嵐哉 (能楽 鉄輪)

 長き夜や 夢にひろひし 二貫文 (狂言 磁石)

 剛力に なりおほせたる 若葉哉 (能楽 安宅) 

 三人の かたはよりけり 秋の暮 (狂言 三人片輪)

 蜘殺す あとの淋しき 夜寒哉 (能楽 土蜘)

 

●小さく(狂言役者:泉祐三郎の妻)が、女ながらも天晴な腕前なので詠んだ句

 男郎花は 男にばけし 女哉

 

◎明治28年10月7日、松山郊外の今出に住む村上霽月を訪れた際に詠んだ33句

〇今出の村上霽月を訪れる約束をしていたが、長雨などで実現せず、ようやく10月7日に天候も回復し、人力車で今出へ出発、その途中、正宗寺住職の一宿(山本仏海:子規の門人)を訪れ、一緒に行こうと誘ったが叶わず詠んだ句(正宗寺には、現在「子規堂」や正岡家累代の墓など、子規に関係する多くのものがある)

 朝寒や たのもとひびく 内玄関

 

〇正宗寺から小栗神社(雄郡神社)辺りに出て詠んだ7句

 男ばかりと 見えて案山子の 哀れ也

 稲筵 朝日わづかに 上りけり

 鉄砲の かすかにひびく 野菊哉

 御所柿に 雄郡祭の 用意哉

 秋茄子 小きはものの なつかしき

 稲の穂や うるちはものの いやしかり

 六尺の 庭にふさがる 芭蕉哉 

 

〇子規が小さい時、いつも余戸の叔父(佐伯政房:子規の父常尚の兄)の所へ通っていた道である、小栗神社から土居田村の御旅所の松、鬼子母神(善復寺境内にあるお堂)、保免の宮(日招八幡大神社)、土井田の社(素鵞神社)を今通ると懐かしく思い出されて詠んだ句

 鳩麦や 昔通ひし 叔父が家

 

〇余戸の三島大明神境内にある竹の宮の手引松は今もまだ残っており、二十年前に比べて大きくなっているとも見えず詠んだ句

 行く秋や 手を引きあひし 松二木

 

〇余戸も過ぎて道は一直線に長く、そのあたりの風景を詠んだ3句

 渋柿の実 勝になりて 肌寒し

 村一つ 渋柿勝に 見ゆるかな

 山尽きて 稲の葉末の 白帆かな

 

〇ようやく今出の三嶋大明神社の向かいにある村上霽月の自宅に到着し、詠んだ3句

 粟の穂に 雞飼ふや 一構

 鵙木に啼けば 雀和するや 蔵の上

 萩あれて 百舌啼く松の 梢かな

 

〇村上霽月と歌や俳句の話をした後、午後散歩に出かけたが、この辺りは今出鹿摺(いまづかすり)といい、鹿摺を織り出す所とのことで詠んだ2句

 花木槿 家ある限り 機の音

 汐風や 痩せて花なき 木槿垣

 

〇海辺に佇むと興居島が右に聳え、由利島が正面にあるが、今日は伊予の御崎(佐田岬)は見えず詠んだ2句

 見ゆるべき 御鼻も霧の 十八里

 夕栄や 鰯の網に 人だかり

 

〇その後海岸に沿って南に行き東に折れ今出村を一周して帰ったが、その際に詠んだ4句(「薯蕷」は「いも」)

 鶺鴒や 波うちかけし 岩の上

 新田や 潮にさしあふ 落し水

 薯蕷積んで 中島船の 来りけり

 浜荻に 隠れて低し 蜑が家

 

●俄かに風吹き起り詠んだ句(「砂糖木」は「さとうきび」、「牛蒡」は「ごぼう」、「藪寺」は霽月邸隣の常光寺)

 方十町 砂糖木畠の 野分哉

 稲の穂の 嵐になりし 夕かな

 牛蒡肥えて 鎮守の祭 近つきぬ

 賤か家に 花白粉の 赤かりき

 山城に 残る夕日や 稲の花

 藪寺の 釣鐘もなし 秋の風

 

〇夕暮れに今出を出発し、人力車で余戸の森円月宅を訪れた際に、柱かくしに題せよと言われて詠んだ句

 籾干すや 雞遊ぶ 門のうち

 

〇森円月宅で漢詩を詠んだ後、帰り際に詠んだ句

 白萩や 水にちぎれし 枝のさき

 

〇人力車で愚陀仏庵へ帰宅する途中、しきりに考えることがあり詠んだ句

 行く秋や 我に神なし 仏なし

                (了)