子規紀行文の中の俳句(12) | 俳句の里だより2

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俳句の里に生まれ育った正岡子規と水野広徳を愛する私のひとりごと

「散策集」(2)

 

ここでは、先の芭蕉シリーズと同様に、正岡子規が全国を旅しながら残した紀行文(年代順に、「水戸紀行」「かけはしの記」「旅の旅の旅」「高尾紀行」「鎌倉一見の記」「はて知らずの記」「散策集」)の中に記載されている俳句(及び短歌)について紹介しており、その7回目として「散策集」の中の俳句142句を紹介する。

 

「散策集」は、子規が病気療養のため、明治28年(1895年)8月下旬から10月中旬まで松山へ帰郷した際に、松山に住む俳句仲間たちと吟行に出かけ(9月20日、21日、10月2日、6日、7日の5回)、俳句を詠んで記録した紀行文である。前回は、9月20日午後、友人の柳原極堂(碌堂)と二人で松山市内や石手寺、道後へ出かけた時に詠んだ45句を紹介したが、今回は翌9月21日午後、柳原極堂の他、俳句仲間の中村愛松、大島梅屋の3名とともに御幸寺山の麓まで往復した際に詠んだ24句と、10月2日午後、一人で中の川から八軒家を経て石手川の土手まで往復した際に詠んだ21句(他1句)の計46句を紹介する。

 

◎明治28年9月21日午後、柳原極堂(碌堂)、中村愛松、大島梅屋とともに、松山城の東麓(今の東雲神社周辺)を通り、御幸寺山麓までの往復の際に詠んだ24句

〇毘沙門坂付近で(「毘沙門阪」は、加藤嘉明が松山城を築城した際、城の北東の位置に鬼門避けとして毘沙門堂を建て、毘沙門天を祀って城の平安を祈ったことから、そのあたりの坂を「毘沙門坂」と呼ぶようになった。「社壇百級」は東雲神社の石段のことで200段ある。)

 秋の城山は 赤松ばかり哉

 牛行くや 毘沙門阪の 秋の暮

 社壇百級 秋の空へと 登る人

 

〇常楽寺二句(「常楽寺」は加藤嘉明が建てた寺院で、境内には鬼門避けに榎木が植えられていた。そこに住み着いたのが「六角堂狸」で、この狸は「榎大明神」として人々に信仰された。また、常楽寺の境内には稲荷神社があり、田の神として祀られ、その田の神の使者が狐とされた。)

 狸死に 狐留守なり 秋の風

 松が根に なまめき立てる 芙蓉かな

 

〇常楽寺から御幸寺山麓まで

 箒木の 箒にもならず 秋暮れぬ

 ところどころ 家かたまりぬ 稲の中

 稲の花 四五人語りつつ 歩行く

 道の辺や 荊がくれに 野菊咲く

 堂崩れて 地蔵残りぬ 草の花

 道ばたに 蔓草まとふ 木槿哉

 叢や きよろりとしたる 曼珠沙花

 蓼の穂や 裸子桶を さげて行く

  秋水二句、どちらかいいか

 静かさに 礫うちけり 秋の水

 投げこんだ 礫沈みぬ 秋の水

 

〇千秋寺(御幸寺山麓の黄檗宗の寺)で

 山本や 寺は黄檗 杉は秋

 画をかきし 僧今あらず 寺の秋

 秋の水 天狗の影や うつるらん

 

〇千秋寺から練兵場を通り、松山市内(毘沙門坂)に戻るまで(「高石懸」は、松山城の北の郭のこと)

 松山の 城を載せたり 稲むしろ

 稲の香の 雨にならんとして 燕飛ぶ

 秋の日の 高石懸に 落ちにけり

 草の花 練兵場は 荒れにけり

 武家町の 畠になりぬ 秋茄子

 人もなし 杉谷町の 藪の秋

 

◎明治28年10月2日午後、一人で中の川から八軒家を経て石手川の土手まで往復した際に詠んだ21句(他1句)

〇俳句仲間と句会を連日催したため、9月25日朝には鼻血が出て、翌9月26日にもまた鼻血が出た。その朝戯れに詠んだ句

 逆上の 人朝がほに 遊ぶべし

 

〇その後、静養したため28日には鼻血が止まり、4,5日後には病も癒えて10月2日午後から一人で散歩に出かけ、藤野漸(子規の義理の叔父:藤野古白の父)宅、大原恒徳(子規の叔父)宅を訪れた後、中の川から八軒家まで(「真宗の伽藍」は、中の川にある浄土真宗本願寺派の蓮福寺のこと)

 木槿咲く 塀や昔の 武家屋敷

 朝顔や 裏這ひまわる 八軒家

 大根の 二葉に秋の 日さしかな

 真宗の 伽藍いかめし 稲の花

 

〇中の川、八軒屋から汽車道(伊予鉄道横河原線)に沿って石手川の土手に向かうまで

 ●滝の観音(泉町の観音堂の十一面観音像で、現在は薬師寺に安置)

 線香の 煙に向ふ 蜻蛉哉

 汽車道を ありけば近し 稲の花

 

 ●浦屋先生村居の前を過ぎりて(「浦屋先生」は、漢学者の浦屋雲林(1840-1898)のことで、子規は門下生の一人)

 花木槿 雲林先生 恙なきや

 稲の花 今津の海の 光りけり

 

〇石手川の土手に出て、それに沿って西へ進み、火葬場付近から刑務所の裏に出て、泉町の薬師堂から再び八軒屋へ

 代るがわる 礫うちたる 木の実哉

 

●牛が群れて草を食っている傍で、曼珠沙花が一杯咲き出したのを見て(「卵塔場」は墓地のこと)

 ひよつと葉は 牛が食ふたか 曼珠沙花

 四本五本 はてはものうし 曼珠沙花

 草むらや 土手ある限り 曼珠沙花

 砂川や 浅瀬に魚の 肌寒し

 花痩せぬ 秋にわづらふ 野撫子

 馬士去て 鵙鳴て土手の 淋しさよ

 石塔の 沈めるも見えて 秋の水

 豊年や 稲の穂がくれ 雀鳴く

 秋風や 焼場のあとの 卵塔場

 庄屋殿の 棺行くなり 稲の中

 

●薬師二句(薬師寺は真言宗寺院で、このお寺も加藤嘉明が建立したと言われている。「ひよん」は、「イスノキ」のこと。「寺清水」は、かつて薬師寺にあった冷泉のこと)

 我見しより 久しきひよんの 木実哉

 寺清水 西瓜も見えず 秋老いぬ