芭蕉紀行文の中の俳句(5) | 俳句の里だより2

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笈の小文(1)

 

ここでは、芭蕉が晩年に旅に出て綴った紀行文(「野ざらし紀行」「鹿島紀行(鹿島詣)」「笈の小文」「更科紀行」「奥の細道」の中の俳句について紹介している。前回は、「鹿島紀行(鹿島詣)」の中の俳句(全部で16句、うち芭蕉の句は7句)及び和歌1首と連歌1首を紹介したが、今回は次の紀行文である「笈の小文」の中の俳句を紹介する。

 

「笈の小文」は、「鹿島紀行」の約2ヶ月後の貞享4年(1687年)10月25日、芭蕉44歳の時に一人で江戸を出立して東海道を上り尾張・熱田へ、そこで門人越人を伴い、伊良湖岬で杜国を見舞った。そして再び鳴海・熱田・名古屋で当地の俳人たちから歓迎を受けて句会を開き、年末に伊賀上野へ帰郷して年を越した。その後伊勢で杜国に会い、再度伊賀上野へ帰郷し、父の3回忌を営んだ。春に杜国と共に花の吉野へ向かった。和歌の浦、奈良、大阪、須磨などを訪れ、貞享5年(1688年)4月23日、芭蕉45歳の時に京都へ入った。この間約6ヶ月の旅で、俳句は全部で57句(内、芭蕉の句は53句)詠まれている。以下ではこれらの俳句を紹介することとする。まずは最初の15句を。

 

ところで、「笈の小文」の著者名は「風羅坊芭蕉」とあり、その前文(序文)は「奥の細道」のそれ(「月日は百代の過客にして、行かふ年も又旅人也。舟の上に生涯をうかべ馬の口とらえて老をむかふる物は、日々旅にして 、旅を栖とす。古人も多く旅に死せるあり。・・・」)とともによく知られている。次はその一部である。

「百骸九竅の中に物有。かりに名付て風羅坊といふ。誠にうすものの風に破れやすからん事をいふにやあらむ。かれ狂句を好むこと久し。終に生涯のはかりごととなす。・・・西行の和歌における、宗祇の連歌における、雪舟の絵における、利休が茶における、其貫道する物は一なり。・・・」

 

〇10月、芭蕉が伊賀上野への帰郷を思い立ち、その旅立ちに際して、其角亭で門人が餞別句会を開いた時に詠んだ句

 旅人と 我が名よばれん 初しぐれ

(この発句に対して、磐城の国小奈浜の井手長太郎(俳号は由之)が「又山茶花を 宿々にして」と脇句を詠んだ)

 

〇同じく、餞別句会で露沾(内藤義英:磐城藩平城主の内藤右京大夫の次男)が芭蕉に贈った餞別の句(句意は、今は冬の季節だが、やがて春になる頃には吉野の桜を愛でた歌が詠まれることでしょう)

 時は冬 よしのをこめん 旅のつと

 

〇名古屋の鳴海の門人知足宅に泊まって詠んだ句(鳴海は古来千鳥の名所で歌枕で、この夜は月が無いのが残念だと恐縮する知足を慰めるようと詠んだもの)

 星崎の 闇を見よとや 啼く千鳥

 

〇飛鳥井雅章が、京を離れて江戸へ下向する際に、鳴海で「けふも猶 都も遠く なるみがた はるけき海を 中にへだてて」と、京を懐かしんで詠んだが、それを踏まえて、逆方向に旅を続けている芭蕉が詠んだ句

 京までは まだ半空や 雪の雲

 

〇最愛の弟子で流罪中の門人杜国に会うため、杜国の後見役を果たしていた門人越人と共に名古屋から吉田(豊橋)に戻り、その夜、豊橋の宿で詠んだ句

 寒けれど 二人寝る夜ぞ 頼もしき

 

〇渥美湾に沿う天津付近の縄手道(天津縄手)は、海上から吹いてくる季節風が田面を通ってきて冬は極めて寒く、その寒さを強調して詠んだ句(句意は、馬に乗っている人がまるで凍った影法師のようだ)

 冬の日や 馬上に氷る 影法師

 

〇杜国の侘び住まいを訪問した翌日、芭蕉・越人・杜国は連れだって伊良子岬に馬で出かけた。そこで鷹一羽を見つけた喜びを、愛弟子杜国との再会を喜ぶことにかけて詠んだ句

 鷹一つ 見付て嬉し いらこ崎

 

〇雪の降ったある日、改修なった熱田神宮を参詣すると神鏡が真新しく輝いていたので詠んだ句

 磨直す 鏡も清し 雪の花

 

〇12月4日、蓬左(熱田神宮の西隣)の門人聴雪の邸宅に招かれて詠んだ句(半歌仙の発句)(句意は、名古屋は雪が降って寒いが、雪の箱根を苦労して越えている人もいるというのに、自分(芭蕉)は温かいもてなしを受けている)

 箱根越す 人も有るらし 今朝の雪

 

〇ある人の雪の宴に招かれた際に詠んだ2句(最初の句は主人への挨拶句で、句意は、雪の宴に招かれて旅の薄汚い紙子のせめて折り目だけでも正していこうというもの、2番目は、雪に足を取られて転ぶかもしれないけど、宴に行こう

というもの)

 ためつけて 雪見にまかる 紙衣哉

 いざ行む 雪見にころぶ 所まで

 

〇ある人(防川:富裕な商人)の主催した句会で詠んだ句(防川の富裕さを梅の香に託して誉めた挨拶句であり、句意は、どこからともなく梅の香りが匂ってくる。どこに梅ノ木があるのだろうと探していると、大きな蔵の軒端に視線が突き当たったというもの)

 香を探る 梅に蔵見る 軒端哉

 

〇12月10日過ぎに名古屋を出立して古里(伊賀上野)に入る時に詠んだ句(12月13日が「煤払い」の日)

 旅寝して みしやうき世の 煤はらひ

 

〇杖つき坂(四日市から鈴鹿にかけての坂道)で詠んだ句(句意は、歩いて上れば杖を突いて登る峠道を、なまじ骨惜しみなどして馬に乗って上ったばかりに落馬しちゃったというもの)

 歩行ならば 杖つき坂を 落馬哉

 

〇伊賀上野の家で、兄がすす払いをしている時見つけ出した弟(芭蕉)の臍の緒を、取り出して芭蕉に見せた時に詠んだ句(我が子の無事な人生を願って大切に保管していた母への思慕の情)

 旧里や 𦜝の緒に泣く としの暮