芭蕉紀行文の中の俳句(4) | 俳句の里だより2

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鹿島紀行(鹿島詣)

 

ここでは、芭蕉が晩年に旅に出て綴った紀行文(「野ざらし紀行」「鹿島紀行(鹿島詣)」「笈の小文」「更科紀行」「奥の細道」の中の俳句について紹介している。前回までは、最初の旅である「野ざらし紀行」の中の俳句(全部で45句)を紹介したが、ここでは次の紀行文である「鹿島紀行(鹿島詣)」の中の俳句を紹介する。

 

「鹿島紀行」は、「野ざらし紀行」の約2年4ヶ月後の芭蕉44歳の時(貞享4年[1687年])、鹿島の根本寺の住職だった仏頂和尚からの観月(筑波山の月見)の誘いと鹿島神宮参詣のため、鹿島・潮来方面へ出かけた旅である。8月14日に門人の曾良と宗波を伴い、芭蕉庵から舟で小名木川を通って行徳へ、そこからは陸路で八幡、鎌ヶ谷を通って布佐(我孫子)まで歩いた。布佐から利根川を舟で下り、佐原からは潮来を経て大船津で下船した。翌15日に月見をするが生憎雨で見えず、鹿島の根本寺に仏頂和尚を訪ね、鹿島神宮を参詣した。その間に仏頂和尚や門人らと句を詠み江戸へ戻った。この旅の中の俳句は全部で16句であり、芭蕉の句は7句、その他、連歌1首、和歌1首がある。以下ではこれらの俳句と連歌、和歌を紹介することとする。

 

〇京の安原貞室(松永貞徳門下)が、須磨の浦の月見をした時に詠んだ句(句意は、須磨の裏の白砂に、美しく松のかげを落とす月はと見上げれば、時あたかも十五夜の月であるよ。その昔、須磨に閑居した中納言の在原行平もこの月を眺めたのだろう)

 松かげや 月は三五夜 中納言 (貞室)

 

〇鹿島へ向う途中、鎌ヶ谷の原で筑波山を目にした時に、芭蕉が思い出した門人嵐雪の句(句意は、雪の筑波山も素晴らしいが、紫の筑波も素晴らしい)

 雪は申さず 先ず紫の 筑波かな (嵐雪)

 

〇鹿島根本寺の仏頂和尚を訪れた際に、仏頂和尚が詠んだ歌

 をりをりに かはらぬ空の 月かげも ちぢのながめは 雲のまにまに (仏頂和尚)

 

〇同じく、芭蕉(当時は桃青)や門人(曾良、宗波)が詠んだ4句

 月はやし 梢は雨を 持ながら (桃青)

 寺に寝て まこと顔なる 月見かな (桃青)

 雨に寝て 竹起きかへる 月見かな (曾良)

 月さびし 堂の軒端の 雨しづく (宗波)

 

〇鹿島神宮に参詣した時に詠んだ3句

 この松の 実生えせし代や 神の秋 (桃青)

 ぬぐはばや 石のおましの 苔の露 (宗波)

 膝折るや かしこまり鳴く 鹿の声 (曾良)

 

〇鹿島の秋の田園風景を詠んだ4句

 刈りかけし 田面の鶴や 里の秋 (桃青)

 夜田かりに 我やとはれん 里の月 (宗波)

 賤の子や 稲摺りかけて 月を見る (桃青)

 芋の葉や 月待つ里の 焼けばたけ (桃青)

 

〇鹿島の秋の野の風景を詠んだ3句

 ももひきや 一花すりの 萩ごろも (曾良)

 花の秋 草にくひあく 野馬かな (曾良)

 萩原や 一夜はやどせ 山の犬 (桃青)

 

〇鹿島からの帰路に、宿の主人と芭蕉及び門人の曾良で詠んだ連歌(連句)

(発句は挨拶句:わが家は折からの藁干す宿だが、わが友雀たちよ泊っていってくれよ)

 塒せよ わら干す宿の 友すずめ (主人)  [発句]

 秋をこめたる くねのさし杉 (客:芭蕉)  [脇句]

 月見んと 汐ひきのぼる 舟とめて (曾良)  [第三]