芭蕉紀行文の中の俳句(2) | 俳句の里だより2

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野ざらし紀行(2)

 

ここでは、芭蕉が晩年に旅に出て綴った紀行文(「野ざらし紀行」「鹿島紀行(鹿島詣)」「笈の小文」「更科紀行」「奥の細道」の中の俳句について紹介している。前回は、その1回目として最初の旅である「野ざらし紀行」の中の俳句(全部で45句)の内15句を紹介したが、ここでは、それに続いて16句を紹介する。

 

「野ざらし紀行」は、芭蕉が41歳の時(貞享元年[1684年]8月)に門人の千里を伴い江戸を出立して東海道を上り、伊勢や故郷の伊賀上野、奈良、京都、名古屋などを訪れ、帰りは中山道を通って、翌年の貞享2年[1685年]4月に江戸へ戻るまでの9ヶ月に及ぶ旅の記録である。前回も紹介したように、その最初(出立)の句は、有名な「野ざらしを 心に風の しむ身かな」であり、途中の大井川を渡る際には「道のべの 木槿は馬に くはれけり」と詠み、伊勢神宮近くの西行谷では「芋洗ふ女 西行ならば 歌よまん」と詠み、故郷の伊賀上野では亡き母を偲んで「手にとらば消えん 涙ぞあつき 秋の霜」と詠んだ。 

 

〇独りで吉野を訪れ、ある宿坊で一夜を借りた際に詠んだ句(砧を打つのは、布を柔らかくしたり、艶を出すため)

 砧打ちて 我に聞かせよや 坊が妻

 

〇吉野の奥の院近くにある西行の草庵跡で、西行が詠んだ「とくとくと 落つる岩間の 苔清水 くみほすほども なきすまひかな」の「とくとくの清水」が、今なお昔のままに「とくとくと雫が落ちている」のを見て詠んだ歌

 露とくとく こころみに浮世 すすがばや

 

〇吉野の如意輪寺の裏山にある、後醍醐天皇の御陵(塔尾陵)を拝み、詠んだ句 

 御廟年経て 忍は何を しのぶ草

 

〇美濃の今須・山中(不破の関;関ヶ原付近)に、かつて源義朝の妻の常盤御前の塚があり、荒木田守武が(「月見てや 常盤の里へ かへるらん」の前句に対して)「義朝殿に 似たる秋風」と付句したことを思い出し、詠んだ2句

 義朝の 心に似たり 秋の風

 秋風や 藪も畠も 不破の関

 

〇大垣の木因の家に泊まり、江戸を出立してからここまでの旅を思いながら詠んだ句

 死にもせぬ 旅寝の果てよ 秋の暮

 

〇桑名にある本統寺(本願寺別院)で詠んだ句

 冬牡丹 千鳥よ雪の ほととぎす

 

〇芭蕉を送るため同行した木因と夜明け前に桑名を立ち、熱田まで行く途中の浜の付近で詠んだ句

 明けぼのや しら魚白き こと一寸

 

〇熱田神宮に参詣した時に、蓬や荵が心のままに生えているのが心に留まり詠んだ句

 しのぶさへ 枯れて餅買ふ やどり哉

 

〇名古屋に入る道の辺りで詠んだ2句(竹斎は江戸初期の狂歌人でその恰好が乞食同然だったという)

 狂句木枯の 身は竹斎に 似たる哉

 草枕 犬も時雨るるか 夜の声 

 

〇名古屋に滞在中のある日、市中の雪見に出かけると色々の物を売っていたので、冗談まじりに詠んだ句

 市人よ この笠売らう 雪の傘

 

〇雪が降ったせいか馬が急にそわそわし始め、旅人がそれをなだめつつ馬上から雪を眺めている光景を詠んだ句

 馬をさへ ながむる雪の 朝かな

 

〇12月、熱田で海辺に日暮し、夕闇に舟を浮かべて詠んだ句

 海暮れて 鴨の声 ほのかに白し

 

〇年末に郷里の伊賀上野に帰郷、「ここに草鞋をとき、かしこに杖を捨て、旅寝ながらに年の暮ければ」と詠んだ句

 年暮れぬ 笠きて草鞋 はきながら

 

〇郷里の家で年を越して詠んだ句(伊賀上野では、年始に新妻の実家に羊歯を添えた鏡餅を贈る風習があり、丑年の春、牛の背中にその鏡餅を載せて、牛を追いたてて行く若い婿の姿が芭蕉には懐かしく思えた)

 誰が聟ぞ 歯朶に餅おふ うしの年