芭蕉紀行文の中の俳句(1) | 俳句の里だより2

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俳句の里に生まれ育った正岡子規と水野広徳を愛する私のひとりごと

野ざらし紀行(1)

 

芭蕉の後半生は、その大部分が「旅」の人生といってよく、全国を旅しながら多くの紀行文を残した。そして多くの俳句を詠み綴っている。中でも特に有名なのは、その最後の旅となった「奥の細道」(元禄2年[1689年]3月~9月:芭蕉46歳)であるが、その他に「野ざらし紀行」(貞享元年[1684年]8月~貞享2年[1685年]4月:芭蕉41歳~42歳)、「鹿島紀行(鹿島詣)」(貞享4年[1687年]8月、:芭蕉44歳)、「笈の小文」(貞享4年[1687年]10月~貞享5年[1688年]4月:芭蕉44歳~45歳)、「更科紀行」(貞享5年[1688年]8月、:芭蕉45歳)がある。

 

すなわち、最初の旅は「野ざらし紀行」であり、門人の千里を伴い江戸を出立して東海道を上り伊勢や故郷の伊賀上野、奈良、京都、名古屋などを訪れ、帰りは中山道を通って江戸へ戻った。その次の旅は「鹿島紀行」であり、門人の曾良と宗波を伴い、鹿島神宮や潮来方面を訪れた。その次の旅は「笈の小文」であり、一人で江戸を立って東海道を上り尾張、伊賀上野、伊勢、吉野、和歌の浦、奈良、須磨、京都などを訪れ、この間に門人の越人、杜国を伴った。この旅の3ヶ月余り後の旅が「更科紀行」であり、門人越人を伴い岐阜を立って木曽街道を通り、信州の更科(姨捨山)、善光寺を訪れ、碓氷峠を経て江戸へ戻った。そして、翌年(元禄2年)3月27日、門人曾良を伴い江戸を出立したのが最後の旅である「奥の細道」であり、奥州街道を通って白河、松島、平泉、立石寺、月山、そして日本海沿いに象潟、出雲崎、金沢から最後は大垣まで、約150日の旅である。

 

これらの紀行文で詠まれた俳句(発句)は、「野ざらし紀行」では45句(内、芭蕉の句は43句)、「鹿島紀行」では16句(内、芭蕉の句は7句)(その他、連歌1首、和歌1首あり)、「笈の小文」では57句(内、芭蕉の句は53句)、「更科紀行」では13句(内、芭蕉の句は11句)、「奥の細道」では62句(内、芭蕉の句は50句)である。以下では、これら紀行文中に詠まれた俳句(発句)について紹介することとした。まずは「野ざらし紀行」より。芭蕉の句は43句であり、残りの2句は門人の千里の句である。

 

〇貞享元年8月、深川の芭蕉庵を出立すると風が薄ら寒く感じられ、詠んだ2句

 野ざらしを 心に風の しむ身かな

 秋十とせ かへつて江戸を さす古郷

 

〇箱根の関を越える日は、雨が降っており、富士山をはじめ山はみな雲の中に隠れていたのを見て詠んだ句

 霧しぐれ 富士を見ぬ日ぞ 面白き

 

〇同じく、同伴する門人の千里が詠んだ句

 深川や 芭蕉を富士に 預け行く (千里)

 

〇富士川の畔を行くと、3歳くらいの捨て子が悲しげに泣いており、袂から食べ物を与えて通る際に詠んだ句

 猿を聞く人 捨子に秋の 風いかに

 

〇大井川を渡る日に、終日雨が降っていたので、千里が詠んだ句

 秋の日の雨 江戸に指折らん 大井川 (千里)

 

〇同じく、馬上から目の前の木槿を見て詠んだ句

 道のべの 木槿は馬に くはれけり

 

〇小夜の中山に至り、杜牧の「早行の詩」の残夢から目覚めて詠んだ句

 馬に寝て 残夢月遠し 茶の煙

 

〇伊勢の外宮に夕暮れ時に詣でた際に、峰の松風が身にしむばかりに深い心持がして詠んだ句

 三十日月なし 千とせの杉を 抱く嵐

 

〇伊勢神宮近くの西行谷の麓の川で、女らが芋を洗っているのを見て詠んだ句

 芋洗ふ女 西行ならば 歌よまん

 

〇西行谷からの帰りに、とある茶店に立ち寄ると、茶店の「てふ」という名の女性が白い絹の布を出して「私の名前が入った句を詠んで下さい」と頼んだので詠んだ句

 蘭の香や てふの翅に たき物す

 

〇俗世間を離れて生活している風流人の茅葺きの家を、芭蕉が訪ねた時に詠んだ句

 蔦植ゑて 竹四五本の あらし哉

 

〇九月初め故郷の伊賀上野に到着すると、兄が自分のお守り袋を開き「亡き母親の白髪を拝んでくれ、この袋はおまえ(芭蕉)にとって浦島の子の玉手箱のようなもの、おまえの眉もだいぶ老いて白く見える」と泣くので、詠んだ句

 手にとらば消えん 涙ぞあつき 秋の霜

 

〇同伴する千里の故郷でもある大和の葛城郡竹の内(当麻寺の寺社町)に到着し、ここで竹藪の奥にある庄屋油屋喜衛門宅に寄寓していた際に詠んだ喜衛門への挨拶句(綿弓は、弓なりの道具でこれで綿を打ち繊維を柔らかくして糸に加工しやすくする。その打つ音が琵琶の音に似ていたというもの)

 綿弓や 琵琶に慰む 竹のおく

 

〇当麻寺に詣でた際に、千年も経た大きな松があるのを見て詠んだ句(この松は仏縁あってここに植えられ、そのお陰で切られずにすんだ。たまたま仏縁に恵まれたこの老松からみれば、この寺の僧侶の命なぞ朝顔の花のような短さに違いないというもの)

 僧朝顔 幾死にかへる 法の松