蜻蛉日記の中の和歌(9) | 俳句の里だより2

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下巻(3)

 

ここでは、平安時代の代表的な日記文学である「蜻蛉日記」(上・中・下の全3巻、作者は藤原道綱母、成立は天延2年(974年)か)の中で詠まれた和歌(本編は260首(うち長歌3首、連歌2首))について(他に「巻末歌集」として50首あり)、本編の260首のうち長歌を除く257首について紹介してきたが、今回でもって終わりとなる。前回は下巻の天延元年道綱19歳から、天延2年道綱20歳まで(作者38~39歳頃)の32首を紹介したが、ここでは下巻の天延2年道綱20歳(作者39歳頃)の残りの22首を紹介する。


先に紹介したように、「蜻蛉日記」は、前回紹介した「更級日記」の作者菅原孝標女の叔母の藤原道綱母が書いた回想録的な日記であり、作者が19歳頃の天暦8年(954年)に摂関家の御曹司である藤原兼家と結婚し、39歳頃の天延2年(974年)に兼家と疎遠になるまでを回想したものである。「蜻蛉日記」で詠まれている歌は、主に作者(藤原道綱母)と夫(藤原兼家)との贈答歌が中心で、他には子供の道綱や夫兼家の妹(登子)、弟(遠度)など、作者を取り巻く人々の歌がある。

 

なお、全3巻のうち上巻では、兼家の熱心な求婚・結婚、道綱の出産、兼家の愛人通いによる不仲、父藤原倫寧との別離、母との死別、初瀬詣、兼家の妻としての喜びなどだが、全体としては妻の生活の苦しさ・儚さへの嘆きが描かれている。中巻の兼家との夫婦仲の最も険悪だった時期では、左大臣源高明の安和の変、石山詣、鳴滝の般若寺の参籠、初瀬詣などが記され、沈静した人生観照・自然観照が見られる。下巻では、日常身辺の出来事に対して冷静に見つめ、わが子道綱への愛情などが描かれている。

 

◎下巻(天延2年:974年、道綱20歳)

●道綱、疱瘡(天然痘)にかかる

●伊尹(兼家の兄)の子息、二人とも疱瘡により亡くなる

●兼家からのめずらしく細やかな文

●大和だつ人 ー「くるまの輪」ー

〇8月に天然痘にかかった道綱は9月はじめに治り、外出すると例の女性とばったり出会ったが、くるまが動かず、翌日道綱が女性に対し詠んだ歌

 年月の めぐりくるまの 輪になりて 思へばかかる 折もありけり

 

●兼通(兼家の兄)からの意外な恋文

〇10月20日過ぎの夕方、弟の長能が来て兼通(伊尹の死で太政大臣に)の手紙を持って来たが、そこに詠まれていた兼通の歌

 霜枯れの 草のゆかりぞ あはれなる こまがへりても なつけてしがな

〇それに対して道綱母が詠んだ歌

 ささ分けば あれこそまさめ 草枯れの 駒なつくべき 森の下かは

 

●臨時の祭。道綱、舞人に召される

 

●八橋の女 ー「大空の雲路」ー

〇結婚しない道綱に対して、言い寄って来る女性の一人、八橋に住む女に対して道綱が初めて詠んだ歌

 葛城や 神代のしるし 深からば ただひとことに うちもとけなむ

〇返事が無かったので、再び道綱が詠んだ歌

 かへるさの くもではいづこ 八橋の ふみ見てけむと 頼むかひなく

〇それに対して八橋の女が詠んだ歌

 通ふべき 道にもあらぬ 八橋を ふみ見てきとも 何頼むらむ

〇それに対して道綱が詠んだ歌

 何かその 通はむ道の かたからむ 文はじめたる あとを頼めば

〇それに対して八橋の女が詠んだ歌

 たづぬとも かひやなからむ 大空の 雲路は通ふ あとはかもあらじ

〇それに対して道綱が詠んだ歌

 大空も 雲のかけはし なくはこそ 通ふはかなき 嘆きをもせめ

〇それに対して八橋の女が詠んだ歌

 ふみ見れど 雲のかけはし あやふしと 思ひ知らずも 頼むなるかな

〇それに対して道綱が詠んだ歌

 なほをらむ 心頼もし 葦鶴の 雲路おりくる 翼やはなき

 

〇その後女からの返事は無かったが、12月になり、また道綱が八橋の女に対して詠んだ歌

 かたしきし 年は経れども 狭衣の 涙にしむる 時はなかりき

 

〇それに対して女から返事が無いので、翌日返事をもらいに使いを遣ると、女から「見ました」とだけ返事があったため、道綱が詠んだ歌

 わがなかは そばみぬるかと 思ふまで 見きとばかりも 気色ばむかな

〇それに対して八橋の女が詠んだ歌

 天雲の 山のはるけき 松なれば そばめる色は ときはなりけり

 

●八橋の女 ー「最後の一葉」ー

〇年内に節分をするので、道綱が八橋の女に「こちらに方違えをどうぞ」と使いに言い、詠んだ歌

 いとせめて 思ふ心を 年のうちに はるくることも 知らせてしがな

 

〇女から返事が無かったので、「ほんの短い時間なので、こちらで過ごしてください」と道綱が詠んだ歌

 かひなくて 年暮れはつる ものならば 春にもあはぬ 身ともこそなれ

 

〇またも女から返事が無いので「どうしたのだろうか」と思っていると、「あの女性には多くの言い寄る男がいる」との噂を聞いたので、道綱が詠んだ歌

 われならぬ 人待つならば まつと言はで いたくな越しそ 沖つ白波

〇それに対して八橋の女が詠んだ歌

 越しもせず 越さずもあらず 波寄せの 浜はかけつつ 年をこそ経れ

 

〇年が押し詰まって道綱が女に対して詠んだ歌

 さもこそは 波の心は つらからめ 年さへ越ゆる まつもありけり

〇それに対して八橋の女が詠んだ歌

 千歳経る 松もこそあれ ほどもなく 越えてはかへる ほどや遠かる

〇それに対して道綱が詠んだ歌

 吹く風に つけてもものを 思ふかな 大海の波の 静心なく

 

〇それに対して、女の侍女が一葉だけが残る枝に「手いっぱいで返事は出せません」と手紙を書いて送って来たので、道綱は「それはあまりにもみじめだ」と言って女に対し詠んだ歌

 わが思ふ 人は誰そとは 見なせども 嘆きの枝に やすまらぬかな

 

●大晦日

        (完)