蜻蛉日記の中の和歌(8) | 俳句の里だより2

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俳句の里に生まれ育った正岡子規と水野広徳を愛する私のひとりごと

下巻(2)

 

ここでは、平安時代の代表的な日記文学である「蜻蛉日記」(上・中・下の全3巻、作者は藤原道綱母、成立は天延2年(974年)か)の中で詠まれた和歌(本編は260首(うち長歌3首、連歌2首))について紹介しており(他に「巻末歌集」として50首あり)、19歳頃の天暦8年(954年)に藤原兼家と結婚し、39歳頃の天延2年(974年)に兼家と疎遠になるまでの約21年間の結婚生活の回想録の中で詠まれた作者(藤原道綱母)と夫(藤原兼家)の歌などである。

 

前回は下巻の天禄3年、道綱18歳(作者37歳頃)の26首を紹介したが、ここでは引き続き、下巻の天延元年道綱19歳から、天延2年道綱20歳まで(作者38~39歳頃)の32首を紹介する。

 

◎下巻(天延元年:973年、道綱19歳)

●兼家の頻繁な訪れ

●大和だつ人 ー「紅梅」の贈答

〇2月になり、紅梅が美しく咲き匂っていたので、道綱が紅梅を折って例の女性(大和だつ人)へ詠んで贈った歌

 かひなくて 年経にけりと ながむれば 袂も花の 色にこそしめ

〇それに応えて女性が詠んだ歌

 年を経て などかあやなく 空にしも 花のあたりを たちはそめけむ

 

●兼家の威風 ーにおう桜襲ー

●道綱の諸矢

●八幡の祭に兼家を見る

●大和だつ人 ー「真菰草」の贈答

〇3月になり、道綱は相変わらず例の女性と手紙のやり取りをしているが、不馴れなようなので道綱母が女性に対して結婚の意思があるかどうかを詠んで送った歌

 みがくれの ほどといふとも あやめ草 なほ下刈らむ 思ひあふやと

〇それに対する女性の歌

 下刈らむ ほどをも知らず 真菰草 よに生ひそはじ 人は刈るとも

 

●近火 ー衛士のたく火ー

●大和だつ人 ー「ほととぎす」と「あやめ草」の贈答

〇5月になり、道綱が例の女性に詠んで贈った歌

 うちとけて 今日だに聞かむ ほととぎす 忍びもあへぬ 時は来にけり

〇それに対して女性が詠んだ歌

 ほととぎす かくれなき音を 聞かせては かけ離れぬる 身とやなるらむ

 

〇5月5日の菖蒲の節句に道綱が女性に対して詠んだ歌

 もの思ふに 年経けりとも あやめ草 今日をたびたび 過ぐしてぞ知る

〇それに対して女性が詠んだ歌

 つもりける 年のあやめも 思ほえず 今日もすぎぬる 心見ゆれば

 

●兼家から和歌の代作依頼

〇5月下旬、兼家が遠くに旅立つ人に贈る歌をいくつか詠んだが、代わりにそちらでも詠んで上手な方を贈ろうと思う、と言って来たので、道綱母が詠んだ歌

 こちとのみ 風の心を 寄すめれば かへしは吹くも 劣るらむかし

 

●広幡中川に転居する

〇8月下旬、兼家には言わず広幡中川に転居し、9月のある朝、家の中や外を流れる川に霧が立ち込めるので、もの悲しい気持ちになり道綱母が詠んだ歌

 ながれての 床と頼みて 来しかども わが中川は あせにけらしも

 

●中川の生活と大和だつ人への歌

〇9月、家の周りの田では稲刈りが行われ、道綱は相変わらず例の女性に手紙を出しており、道綱が詠んだ歌

 狭衣の つまも結ばぬ 玉の緖の 絶えみ絶えずみ よをやつくさむ

 

〇女性からは返事がないが、しばらくしてまた道綱が詠んだ歌

 露深き 袖にひえつつ 明かすかな 誰長き夜の かたきなるらむ

 

●中川転居後、頻繁な縫物の依頼

 

◎下巻(天延2年:974年、道綱20歳)

●倫寧の所に出産祝いをおくる

〇前年の11月、父(倫寧)の所で出産のことがあったが、そのままになってしまい、今頃は50日目のお祝いと思うので、しきたりの通り、白ずくめで仕立てた籠を梅の枝に付けたものに、道綱母が詠んで届けた歌

 冬ごもり 雪にまどひし 折過ぎて 今日ぞ垣根の 梅を尋ぬる

〇それに対して、父(倫寧)の方から祝儀の薄紅の袿とともに贈られてきた歌

 枝わかみ 雪間に咲ける 初花は いかにととふに 匂ひますかな

 

●氷を食べる人

〇知人に誘われて参詣にでかけると、帰り道につらら氷を食べながら歩いている女性がいたので、何故食べるのか聞くと、「食べないと願い事が叶わないから」と答えたので、「縁起でもない」とつぶやいて道綱母が詠んだ歌

 わが袖の 氷ははるも 知らなくに 心とけても 人の行くかな

 

●涙の独詠歌

〇正月15日には地震があり、外の方を見ると月が美しく照り、山は一面霞に包まれていた。一方、兼家は昨年8月から姿を見せなくなり、空しく正月になってしまったので、涙がとどめなくこぼれ落ちて来て道綱母が詠んだ歌

 諸声に 鳴くべきものを 鶯は 正月ともまだ 知らずやあるらむ

 

●道綱、右馬助に就任

●奥山に物詣で

〇春になり、奥山のお寺にお忍びで行きお祈りをしていると、やがて夜が明けて雨が降り出し、前の谷から雲が立ちあがって来るのを見てひどく悲しい気持ちになり、道綱母が詠んだ歌

 思ひきや 天つ空なる あまぐもを 袖して分くる 山踏まむとは

 

●遠度、養女に求婚する

〇藤原遠度(右馬頭:兼家の弟)が道綱に託して、道綱母に養女(兼家と源兼忠女の娘)が欲しいとの手紙を書き、そこに詠まれていた遠度の歌

 春雨に 濡れたる花の 枝よりも 人知れぬ身の 袖ぞわりなき

 

●兼家の信じられない言葉

●突如、遠度来訪 ー絵のような美しさー

●遠度とはじめて対面

●しばしばやって来る遠度

〇4月になり、遠度は養女の求婚を催促しにしばしば訪れ、硯と紙を要求して道綱母へ4月中に何とかと詠んだ歌

 契りおきし うづきはいかに ほととぎす わが身の憂きに かけはなれつつ

〇それに対して道綱母が詠んだ歌

 なほしのべ 花橘の 枝やなき あふひすぎぬる うづきなれども

 

●御簾に手を掛ける遠度

〇約束の4月22日夜に遠度が訪れて、「せめて御簾の中に入れていただき、養女とお話できませんか」と道綱母にお願いするが、それも叶わず遠度は松明も持たず帰って行ったので、翌朝道綱母が詠んだ歌

 ほととぎす また問ふべくも 語らはで 帰る山路の 木暗かりけむ

〇それに対して遠度が詠んだ歌

 とふ声は いつとなけれど ほととぎす あけてくやしき ものをこそ思へ

 

●思いを訴え続ける遠度

●女絵に付けた和歌

〇遠度は頻繁に道綱を呼び寄せて放さず、道綱は遠度の家にあったきれいな女絵(釣殿に寄りかかりながら、中島の松をじっと見つめている女)を持ち帰ったので、その絵に道綱母が詠んで貼り付けた歌

 いかにせむ 池の水波 騒ぎては 心のうちの まつにかからば

〇同じく、一人暮らしをしている男が、手紙を途中まで書いたまま、頬杖をついて物思いに耽っている様が書いている所に、道綱母が詠んで貼り付けた歌

 ささがにの いづこともなく 吹く風は かくてあまたに なりぞすらしも

 

そして、この道綱母が詠んで歌を貼り付けた絵を、道綱は遠度の家に持って置いてきた。

 

●兼家の不思議な邪推

〇遠度から何度も「兼家様に催促してください」と言ってくるので、道綱母が兼家に「どうすればいいでしょうか」と相談すると、「ちやほやともてなしていると世間の人は噂しているようだ」など答えるので、道綱母が詠んだ歌

 今さらに いかなる駒か なつくべき すさめぬ草と のがれにし身を

 

●遠度とのやりとり ーほととぎすと馬槽ー

●結婚延期にがっかりする遠度

●稲荷に衣と和歌を奉納

〇5月になり、ある所に物詣でに出かけようとすると、侍女が「女神様には衣を縫って奉納するのがよい」と言うので、道綱母が縑(かとり)の衣で人形の小さな着物を3つ縫って、それぞれの衣の下前に詠んで書いた歌3首

 白妙の 衣は神に ゆづりてむ 隔てぬ仲に かへしなすべく

 唐衣 なれにしつまを うち返し わがしたがひに なすよしもがな

 夏衣 たつやとぞ見る ちはやぶる 神をひとへに 頼む身なれば

 

●端午の節句

●あせる遠度

●兼家の文を破って遠度に見せる

〇5月、遠度から道綱に呼び出しがあり、道綱が行こうとすると雨が激しく降り、夜になっても降りやまず行けないので、道綱が遠度に「お手紙だけでも」と言って詠んだ歌

 絶えずゆく わがなか川の 水まさり をちなる人ぞ 恋しかりける

〇それに対して遠度が詠んだ歌

 逢はぬせを 恋しと思はば 思ふどち へむなか川に われをすませよ

 

その後、雨が止んだので遠度が道綱母の所へやって来て結婚の話をした際に、道綱母は兼家に催促するのが難しいという理由を書いた兼家の手紙の一部を破り遠度に見せた。

 

●破り取った文をめぐって

〇遠度に見せた手紙の件で遠度から手紙が届いたので、返事を書くと遠度がそれに対して詠んだ歌

 嘆きつつ 明かし暮らせば ほととぎす みのうの花の かげになりつつ

〇それに対して、道綱母が「何でそんなにまで思い詰めるのですか」と不思議に思い詠んだ歌

 かげにしも などかなるらむ 卯の花の 枝にしのばぬ 心とぞ聞く

 

●「もとの妻」を盗む遠度 ー求婚の意外な結末ー