蜻蛉日記の中の和歌(7) | 俳句の里だより2

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俳句の里に生まれ育った正岡子規と水野広徳を愛する私のひとりごと

下巻(1)

 

ここでは、平安時代の代表的な日記文学である「蜻蛉日記」(上・中・下の全3巻、作者は藤原道綱母、成立は天延2年(974年)か)の中で詠まれた和歌(本編は260首(うち長歌3首、連歌2首))について紹介しており(他に「巻末歌集」として50首あり)、19歳頃の天暦8年(954年)に藤原兼家と結婚し、39歳頃の天延2年(974年)に兼家と疎遠になるまでの約21年間の結婚生活の回想録の中で詠まれた作者(藤原道綱母)と夫(藤原兼家)の歌などである。

 

前回は中巻の天禄2年、道綱17歳(作者36歳頃)の21首を紹介したが、ここでは引き続き、下巻の天禄3年、道綱18歳(作者37歳頃)の26首を紹介する。

 

◎下巻(天禄3年:972年、道綱18歳)

●年頭の決意

●従者と侍女の贈答歌

〇1月8日に兼家が訪れ、翌日帰る時に、従者が道綱母の侍女に詠んで送った歌

 下野や をけのふたらを あぢきなく 影も浮かばぬ 鏡とぞ見る

〇侍女がそれに応え、桶の蓋に酒と肴を入れて従者に対し詠んだ歌

 さし出でたる ふたらを見れば みを捨てて 頼むはたまの 来ぬと定めつ

 

●袍の仕立て直し

〇1月14日、兼家が古くなった袍を仕立て直して欲しいと言ってきたので、そのままにしていると、翌朝兼家が催促の使者を出して詠んだ歌

 久しとは おぼつかなしや 唐衣 うち着てなれむ さておくらせよ

〇道綱母が手紙を着けず仕立て直した物だけ送ると、兼家が手紙だけとは素直でないと言ったので、道綱母が詠んだ歌

 わびてまた とくと騷げど かひなくて ほどふるものは かくこそありけれ

 

●兼家、大納言になる

●兼家、突然来訪

●翌朝、りりしい兼家の姿

●父の家へ

●夢解きによる将来の暗示

●養女を迎える

〇子供も道綱だけでは心細いので、養女が欲しいと知人に相談すると、兼家と源兼忠女との間にかわいい12,3歳の娘がいるとのことで、養女に引き取ることとなった。その兼家と兼忠女がかつて歌を交わし合い、兼家が詠んだ歌

 関越えて 旅寝なりつる 草枕 かりそめにはた 思ほえぬかな

〇それに対して兼忠女が詠んだ歌

 おぼつかな われにもあらぬ 草枕 まだこそ知らね かかる旅寝は

 

〇それからしばらくして、兼家の返歌に対して兼忠女が詠んだ歌

 おきそふる 露に夜な夜な 濡れこしは 思ひの中に かわく袖かは

 

●兼家、養女の裳着を計画する

●近い所の火事

●賀茂へ詣でる

●兼家との贈答歌

〇閏2月16日、兼家が訪れてそのまま帰り、その後9日ほど連絡が無かったので、珍しく道綱母が兼家に詠んだ歌

 かたときに かへし夜数を かぞふれば 鴫の諸羽も たゆしとぞなく

〇それに対して兼家が詠んだ歌

 いかなれや 鴫の羽がき 数知らず 思ふかひなき 声になくらむ

 

●八幡の祭

●隣の火事

●憂き身と物忌の札

●伊尹を見て我が身をかえりみる

●大和だつ人 ー「三輪の山」の贈答

〇4月のある日、知足院へ道綱を連れて出かけた帰り、高貴な女車を見つけ、道綱がその後を追いかけて行き、三輪の山本にある家を尋ねて翌日に道綱がその女性(大和だつ人)に贈った歌

 思ひそめ ものをこそ思へ 今日よりは あふひはるかに なりやしぬらむ

 

〇女性は「何のことだかわかりません」と言ったが、それでも道綱が詠んで贈った歌

 わりなくも すぎ立ちにける 心かな 三輪の山もと 尋ねはじめて

〇それに対して女性が詠んだ歌

 三輪の山 待ち見ることの ゆゆしさに 杉立てりとも えこそ知らせね

 

●あやめ草の歌 ー詮子と大和だつ人ー

〇5月になり、道綱母が菖蒲を取り寄せて糸を通して薬玉を作り、時姫(兼家の正妻)の娘(詮子)に差し上げてと道綱に託し、道綱母が詠んだ歌

 隠れ沼に 生ひそめにけり あやめ草 知る人なしに 深き下根を

〇それに応えて時姫が詠んだ歌

 あやめ草 根にあらはるる 今日こそは いつかと待ちし かひもありけれ

 

〇道綱が今一つの薬玉を用意して、あの女性(大和だつ人)に対して詠んだ歌

 わが袖は 引くと濡らしつ あやめ草 人の袂に かけてかわかせ

〇それに応えて女性が詠んだ歌

 引きつらむ 袂は知らず あやめ草 あやなき袖に かけずもあらなむ

 

●石山の祈りと道綱の将来

●一人、ほととぎすに託して

〇5月になり、人々が聞くほととぎすの鳴き声を道綱母はまだ聞いていないので、恥ずかしく思い道綱母が詠んだ歌

 われぞげに とけて寝らめや ほととぎす もの思ひまさる 声となるらむ

 

●蝉の声

●大和だつ人 ー「そばの紅葉」の贈答ー

〇6月になり、道綱が例の女性(大和だつ人)へ、そばの紅葉が混じった枝に付けて詠んで贈った歌

 夏山の 木のしたつゆの 深ければ かつぞなげきの 色もえにける

〇それに応えて女性が詠んだ歌

 露にのみ 色もえぬれば 言の葉を いくしほとかは 知るべかるらむ

 

●盆の嘆き

●死のさとしと沈黙

●大和だつ人 ー白い紙の贈答ー

〇8月も過ぎ、道綱が例の女性(大和だつ人)の返事がすべて自筆のものには思えず、恨みつつ道綱が詠んで贈った歌

 夕されの ねやのつまづま ながむれば 手づからのみぞ 蜘蛛もかきける

〇それに対して女性が白い紙に書いて詠んだ歌

 蜘蛛のかく いとぞあやしき 風吹けば 空に乱るる ものと知る知る

〇それに対して道綱が詠んだ歌

 つゆにても 命かけたる 蜘蛛のいに 荒き風をば 誰れかふせがむ

 

〇女性からは「暗くなったので」と言って返事が無かったので、翌日、道綱が女性からの白い手紙を思い出し詠んだ歌

 たぢまのや くぐひの跡を 今日見れば 雪の白浜 白くては見じ

 

〇女性からは「外出中です」と言って返事はなく、翌日道綱が「返事を下さい」と言うと、女性は「古めかしい歌の気がしたので返事はしません」と言ったので、翌日道綱が詠んだ歌

 ことわりや 言はでなげきし 年月も ふるの社の 神さびにけむ

 

〇それに対して、女性は「今日、明日は物忌です」と言って返事はなく、物忌が明けたと思う朝早く道綱が詠んだ歌

 夢ばかり 見てしばかりに 惑ひつつ あくるぞ遅き あまの戸ざしは

 

〇さらに、女性があれこれ言い訳をして返事をくれないので、道綱が詠んだ歌

 さもこそは 葛城山に なれたらめ ただ一言や 限りなりける

 

●絵を描く心境

●太政大臣伊尹、薨去