蜻蛉日記の中の和歌(6) | 俳句の里だより2

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俳句の里に生まれ育った正岡子規と水野広徳を愛する私のひとりごと

中巻(2)

 

ここでは、平安時代の代表的な日記文学である「蜻蛉日記」(上・中・下の全3巻、作者は藤原道綱母、成立は天延2年(974年)か)の中で詠まれた和歌(本編は260首(うち長歌3首、連歌2首))について紹介しており(他に「巻末歌集」として50首あり)、19歳頃の天暦8年(954年)に藤原兼家と結婚し、39歳頃の天延2年(974年)に兼家と疎遠になるまでの約21年間の結婚生活の回想録の中で詠まれた作者(藤原道綱母)と夫(藤原兼家)の歌などである。

 

前回は中巻の安和2年、道綱15歳から翌天禄元年、道綱16歳まで(作者34~35歳頃)の33首を紹介したが、ここでは引き続き、中巻の天禄2年、道綱17歳(作者36歳頃)の21首を紹介する。また、今回をもって中巻の歌の紹介を終え、次回から下巻の歌を紹介する。

 

◎中巻(天禄2年:971年、道綱17歳)

●兼家、道綱母邸を素通り

●石木のように

●兼家、近江に通う

〇2月になっても兼家は相変わらず噂の女通いをしているが、3月の彼岸になり、上莚をきれいなござに替えようと塵払いをすると、塵がいっぱい積っているのをみて道綱母が詠んだ歌

 うち払ふ 塵のみ積もる さむしろも 嘆く数には しかじとぞ思ふ

 

●憂き世の末

〇出家しようと思いながらも、人からもらって植えた呉竹が、激しい風雨のため数本倒れかかったので、何とか元通りにしようと思いつつ道綱母が詠んだ歌

 なびくかな 思はぬ方に 呉竹の うきよの末は かくこそありけれ

 

●涙の雨

〇3月24日兼家から手紙が届くが返事はせず、25日にも雨は降り続き、思い乱れ悲しい気持ちで道綱母が詠んだ歌

 降る雨の 脚とも落つる 涙かな こまかにものを 思ひくだけば

 

●父の家へ

●長き精進

●夢のお告げ

●菖蒲のころ

〇5月になり、侍女が「菖蒲を葺かないと縁起が悪いのでは」と言ったので、「そんなことはない」と道綱母が詠んだ歌

 世の中に あるわが身かは わびぬれば さらにあやめも 知られざりけり

 

●兼家、再び道綱母邸を素通り

●怒りの文

●道綱母、ついに出奔

〇6月4日、兼家の物忌が終わらないうちに西山の寺へ出奔するため準備をしていると、上莚の下に兼家が朝飲む薬が畳紙の中に入っているのを侍女が見つけ、それを道綱母が受け取り詠んだ歌

 さむしろの した待つことも 絶えぬれば おかむ方だに なきぞ悲しき

 

〇道綱に「これから山寺に籠りきりになるため出立します」との手紙を託し、道綱には「母はとっくに出かけました。自分も後を追って行くつもり」と答えなさいと言って出奔、兼家が道綱母の手紙を見て「出かけるのを止めなさい」と言って詠んだ歌

 あさましや のどかにたのむ とこのうらを うちかへしける 波の心よ

 

●鳴滝籠り ー山寺に到着ー

●鳴滝籠り ー兼家、迎えに来るー

●鳴滝籠り ー兼家への文ー

●鳴滝籠り ー山寺の暮らしー

●鳴滝籠り ー山寺の哀愁ー

●鳴滝籠り ー妹の訪れー

●鳴滝籠り ー兼家の使者ー

●鳴滝籠り ー悲しい決意ー

●鳴滝籠り ー兼家の文ー

●鳴滝籠り ー次々に来る見舞いの文ー

〇いろいろな人々から見舞いの手紙が来て、翌日には返事をするが、「ずっと籠っていたいとは思わない」などいろいろと考えているうちに時が経ち、そんな心境を手紙をくれた人に対して道綱母が詠んだ歌

 かけてだに 思ひやはせし 山深く いりあひの鐘に ねをそへむとは

〇それに応えて、手紙をくれた人が詠んだ歌

 言ふよりも 聞くぞ悲しき 敷島の 世にふる里の 人や何なり

 

〇宿直の侍女たちのもとに、元宿直の人が「あなた方も辛い気持ちでご主人様をお世話しているでしょう。身分が高くても低くても浮き沈みがあるという歌もあります」などと言って詠んだ歌

 身を捨てて 憂きをも知らぬ 旅だにも 山路に深く 思ひこそ入れ

 

〇侍女からこの歌を聞いて、道綱母が「早く返事を出しなさい」と言われ、侍女が「ご主人様が涙をこらえている様子を見ると、私たちも辛い気持ちです」と言って詠んだ歌

 思ひ出づる 時ぞ悲しき 奥山の 木の下露の いとどしげきに

 

●鳴滝籠り ー兼家との文通ー

●鳴滝籠り ー親族の訪れー

〇親戚の人が見舞いに来て帰ったが、翌日、旅先で長く滞在するために必要な品々を届けてくれ、さらに「はるばる苦しい思いをして山寺へ来るのも大変だったでしょう」と言って親戚の人が詠んだ歌2首

 世の中の 世の中ならば 夏草の 繁き山辺も 尋ねざらまし

 世の中は 思ひのほかに なるたきの 深き山路を 誰知らせけむ

 

〇それに対して一生懸命に返事を書き、道綱母が詠んだ歌2首

 もの思ひの 深さくらべに 来て見れば 夏のしげりも ものならなくに

 身一つの かくなるたきを 尋ぬれば さらに帰らぬ 水もすみけり

 

●鳴滝籠り ー登子と修行者の文ー

〇登子(兼家の妹)と手紙のやり取りをした後、寺の修行者で、御嶽から熊野へ大峰越えをして行った人が道綱母に対して詠んだ歌

 外山だに かかりけるをと 白雲の 深き心は 知るも知らぬも

 

●鳴滝籠り ー道隆の訪れー

●鳴滝籠り ー倫寧の迎えー

●鳴滝籠り ー兼家の迎えにより下山ー

●下山した日

●変わらない兼家

●登子からの文

〇道綱母がまだ鳴滝の山寺に居ると思って、登子(兼家の妹)が詠んだ歌

 妹背川 昔ながらの 仲ならば 人のゆききの 影は見てまし

〇それに応えて道綱母が詠んだ歌

 よしや身の あせむ嘆きは 妹背山 なかゆく水の 名もかはりけり

 

●兼家、ようやく来訪

●初瀬の精進

●再び初瀬に詣でる

〇再び初瀬詣でに出かけるが、その途中の宇治で夜に多くの鵜舟が篝火を灯し、宇治川を上ったり下ったり行違うのを見ながら、道綱母が詠んだ歌

 うへしたと こがるることを 尋ぬれば 胸のほかには 鵜舟なりけり

 

●兼家来訪

●山寺だより

●時雨の日

〇9月末、時雨の日に侍女が「初瀬にお忍びで出かければ」というので、「春になったら出かけましょう。でも、それまでこのように辛い状態で命があるかしら」と答えて道綱母が詠んだ歌

 袖ひつる 時をだにこそ 嘆きしか 身さへ時雨の ふりもゆくかな

 

●霜の日の嘆き

●「あまがえる」というあだ名

〇12月16日頃、兼家が「今すぐにでも伺いたい」など言ってきたが、急に空が曇って激しい雨が降り出したので、昔とは違い今は来られないとのことで、使者を兼家に出して道綱母が詠んだ歌

 悲しくも 思ひ絶ゆるか 石上 障らぬものと ならひしものを

 

〇そんな雨の中、兼家がやって来たが、夜の間に雨が止んだので「それでは暮れにまた」と言って帰って行き、方塞がりだったので結局来なかった。それに対して、山籠もりの後に「あまがえる」というあだ名をつけられた道綱母が、兼家に対して詠んだ歌

 おほばこの 神の助けや なかりけむ 契りしことを 思ひかへるは

 

●嘆きを尽くす年の暮