大和物語の中の和歌(11) | 俳句の里だより2

俳句の里だより2

俳句の里に生まれ育った正岡子規と水野広徳を愛する私のひとりごと

第148段~第161段

 

このシリーズでは、「伊勢物語」に続き、平安時代中期(10世紀後半~11世紀初期)に成立した歌物語である「大和物語」(全173段、作者や成立年は不明)の中で詠まれた和歌(295首)について、第1段から順に紹介している。前回は、第141段~第147段までの25首を紹介したが、ここでは第148段~第161段までの24首を紹介する。ここには、前回の「生田川伝説」(147段)に続いて、「蘆刈説話」(148段)、「立田山説話」(149段)、「姥捨山伝説」(156段)など伝説の歌物語が含まれている。

 

●第148段「葦刈」

〇摂津国の難波周辺に夫婦が暮していたが、その後落ちぶれて生活が出来なくなったので、男は妻を京へ出て宮仕えするように勧め、自分は生活を立て直して必ずまた逢おうと言って女は京へ出たが、心細さに難波の夫を思い女が詠んだ歌

 ひとりして いかにせましと わびつれば そよとも前の 荻ぞ答ふる

 

〇上京した女は、その後貴族の妻となったが、前の夫のことが心配で難波へ行くと家も夫も見つからず、躊躇していると、女の車の前を葦を商う貧しい男が通った。女はそれが夫に似ていたため従者に「あの男を呼び、葦を買いたい」と言うと、夫だったので大金で葦を買おうとしたが従者が反対した。そのうち夫の方が妻に気づいて自らの境遇を恥じ、葦を捨てて家に逃げ込んでしまった。妻が従者に「男をつれてきなさい」と命令し、見つけて男を連れ出そうとした際に、男が彼女へ届けるようにと手紙で詠んだ歌

 君なくて あしかりけりと 思ふにも いとど難波の 浦ぞすみ憂き

 

〇男の手紙を読み女(前妻)は泣き、それから彼女が男へ贈り物に手紙を添えて詠んだ歌

 あしからじ とてこそ人の わかれけめ なにか難波の 浦もすみ憂き

 

●第149段「沖つ白浪」

〇大和国、葛城郡に男と女が住んでいたが、女が落ちぶれたので男は裕福な新しい妻を作った。男が龍田山を越えて新しい女のもとへ通っても、元の女は妬む素振りも見せないので男は感心していたが、心中は妬ましく思い耐え忍んでいた。男は元の女がほんとうは自分をどう思っているか知ろうと、新しい女のもとへ行くと見せかけ隠れて女の様子を見ていると、夜が更けるまで寝ないで月を眺めながら召使いに向かって詠んだ歌

 風吹けば 沖つしらなみ たつた山 夜半にや君が ひとり越ゆらむ

 

男は、女が自分の身を思って詠んだと思うと愛しさが込み上げてきた。そして女は金属製の器に水を入れて胸に付けると、水が熱湯になり沸騰すると、その熱湯を捨ててまた水を入れ、これを繰り返した。それを見て男は感激し、彼女を抱きしめて一夜を共にした後、ずっと彼女のもとに居ることとなった。すると、今度は新しい女が心配になり、出かけて覗き見すると、以前とは異なり見苦しい様子だったので帰ってしまい、それっきり行かなくなったという。

 

●第150段「猿沢の池」

〇奈良の天皇(平城天皇?)に仕えていた美しい宮女に貴族らが求婚したが、天皇を愛していたため決して靡かなかった。ある時、天皇が彼女をお召しになったが、それっきりだったので彼女は非常に悲しみ、寂しさと恋しさに思い悩まされていた。そして、ある夜ひそかに抜け出して猿沢の池に身を投げて亡くなった。天皇は人からこれを聞いて大変哀れに思い、猿沢の池の畔に行幸して人々に和歌を詠ませたが、その時に柿本人麻呂が詠んだ歌

 わぎもこが ねくたれ髪を 猿沢の 池の玉藻と 見るぞかなしき

〇それに対して天皇が詠んだ歌

 猿沢の 池もつらしな わぎもこが 玉藻かづかば 水ぞひなまし

 

その後、天皇は彼女の墓を作って帰ったとのこと。

 

●第151段「紅葉の錦」

〇(前段と同じ)奈良の天皇が竜田川の紅葉が見事なのを眺めている時、柿本人麻呂が詠んだ歌

 龍田川 もみぢ葉流る 神なびの みむろの山に しぐれ降るらし

〇それに対して天皇が詠んだ歌

 龍田川 もみぢ乱れて 流るめり わたらば錦 なかや絶えなむ

 

●第152段「いはで思ふ」

〇(前段と同じ)奈良の天皇は狩が好きだったので、東北の磐手から贈られた鷹を、狩用の手鷹として飼い慣して「いわて」と呼んでいた。これを鷹狩りの経験のある大納言に預けたところ鷹が逃げてしまったので、大納言は天皇にそのことを話すが、天皇からは何の返事も無かった。そのため、大納言は恐怖に震えながら天皇に「どうしたら良いかお話しください」と繰り返すと、天皇はただ下の句(7・7)のみを詠んだ歌

 いはで思ふぞ 言ふにまされる

 

天皇は下の句だけ詠んで他にはなにも答えなかったが、これは、天皇が非常に残念に思ったからで、世間の人々はこれにあれこれと上の句(5・7・5)を加えて和歌にした。

 

●第153段「藤袴」

〇奈良の天皇(平城天皇)が在位していた頃、弟の嵯峨天皇は皇太子だったが、あるとき平城天皇に対して詠んだ歌

 みな人の その香にめづる ふじばかま 君のみためと 手折りたる今日

〇それに応えて平城天皇が詠んだ歌

 折る人の 心にかよふ ふじばかま むべ色ことに にほひたりけり

 

●第154段「ゆふつけ鳥」

〇大和のに住んでいた美しい娘を、京から来た男が盗み出して馬に乗せて逃げた。日が暮れて竜田山近くの宿で男が無理やり抱いたので、女は恐怖に襲われ返事もしないで泣いているので、男が詠んだ歌

 たがみそぎ ゆふつけ鳥か からころも たつたの山に をりはへて泣く

〇それに対して女が詠んだ歌

 龍田川 岩根をさして ゆく水の ゆくへも知らぬ わがごとや泣く

 

その後、女は自殺、男は女を抱きかかえて泣いたという。

 

●第155段「安積山」

〇大納言の美しい娘を、内舎人の男が惚れて馬に乗せ抱きかかえて奪い去った。安積山まで逃げ延び、そこで二人は暮らしたがしたが女は身ごもってしまい、山の井戸に写った自分の醜い姿を見て、女が恥ずかしく思い詠んだ歌

 あさか山 影さへ見ゆる 山の井の 浅くは人を 思ふものかは

 

女は詠んだ後に亡くなったので、男は途方に暮れてこの歌の思いを胸に女のそばで死んだという。

 

●第156段「姥捨」

〇信濃国の更科に男が住んでいた。若い時に親が死んだので叔母が親のように面倒を見てくれていたが、彼の妻は年老いた叔母を快く思わず悪口を言うので、男も昔のようには叔母を慕わなくなっていた。妻が「叔母を深い山に捨ててよ」と責めるので、とうとう男も仕方ないと思い、ある月夜に叔母を「お寺で法会があるから見せましょう」と呼び出し、背負って山の高い峰のところに置いて逃げ帰った。叔母が呼び止めたが、男は返事もせずに家に帰ってくると、長年親のように育ててくれたので、非常に悲しみが湧いてきた。山の頂から月が限りなく赤々と照るのを眺めて、一晩中寝ることも出来ず、悲しみに耽って男が詠んだ歌

 わが心 なぐさめかねつ 更級や 姥捨山に 照る月を見て

 

男はこのように詠み、また山に出かけて叔母を連れ戻ってきたので、それ以来この山を姥捨山と言う。

 

●第157段「馬槽」(うまぶね)

〇下野国に男と女が住んでいたが、男は新しい女を作り、家にあったものをすべて新しい女のところへ持ち去ってしまった。唯一残った馬槽(馬の餌入れ)を男の従者(「まかじ」という名の童)が取りに来たので、元の女が「お前ももうここには来ないだろうね」と尋ねると、「主人がいなくてもきっと来ます」と答えるので、女が「主人に伝えて、手紙じゃ詠まないから、口で直に」と言って詠んだ歌

 舟もいぬ まかぢも見えじ 今日よりは うき世の中を いかでわたらむ

 

従者「まかぢ」が女のこの歌を男に伝えると、ほどなくして持ち去った物をそっくり運び返した。それ以来、男は他の女に浮気することも無く元の女と暮したという。

 

●第158段「鹿の声」

〇大和国に男と女が住んでいたが、男は新しい女を作り、家に連れて来て壁を隔てて隣に住まわせた。ある秋の夜長に、元の女が目を覚まして聞くと鹿が鳴いている。黙って聞いていると、壁の向こうから男が「聞いていますか、お隣さん」と言うので「何を?」と答えると、男が「鹿の鳴いているのを聞きましたか」と言うので「聞いてます」と答えた。さらに男が「どんな風に聞いているの」と言うので、女が詠んで答えた歌

 我もしか なきてぞ人に 恋ひられし 今こそよそに 声をのみ聞け

 

すると、男の情が戻り、新しい女を送り返して、元のように二人で暮したという。

 

●159段「雲鳥の紋」

〇染殿の内侍のところに源能有(文徳天皇の皇子、臣籍降下)が時々通い、衣服の仕立てを頼んだりしていた。ある時、模様の多くある絹織物を多く持って行くと、女が「雲と鶴の柄にしましょうか」と尋ねたが、男が答えないので「ちゃんと命じて下さい」と女が言ったので、それに答えて源能有が詠んだ歌

 雲鳥の あやの色をも おもほえず 人をあひ見で 年の経ぬれば

 

●第160段「秋萩」

〇染殿の内侍のもとへ在中将(在原業平)が通っていた時、内侍が中将に詠んで贈った歌

 秋萩を 色どる風の 吹きぬれば 人の心も うたがはれけり

〇それに応えて在中将が詠んだ歌

 秋の野を 色どる風は 吹きぬとも 心はかれじ 草葉ならねば

 

〇やがて通わなくなってから、在中将から着物が届けられ「洗ってくれる人すら居なくて困っているので、どうかお願いします」とあったので、染殿の内侍が「あなたの心によってそうなったのでは」と言って詠んだ歌

 大幣に なりぬ人の 悲しきは よるせともなく しかぞなくなる

〇それに対して在中将が詠んだ歌

 ながるとも なにとか見えむ 手にとりて 引きけむ人ぞ 幣と知るらむ

 

●第161段「小塩の山」

〇在中将(在原業平)が、二条の后宮(藤原高子)がまだ天皇に求婚している頃に「ひじき」という物を送り、詠んで添えた歌

 思ひあらば むぐらの宿に 寝もしなむ ひじき物には 袖をしつつも

 

〇二条の后宮が天皇の子を産み、「春宮の女御」と呼ばれて大原野神社にお参りに出かけたとき、多くの貴族たちが従った中に在中将(在原業平)がいて、后の乗る車の影の当たりに立っていた。神社で多くの人が后から贈り物をされた後で、車の後ろから自分が着ていた着物を在中将に与えたが、それを受け取り在中将が詠んだ歌

 大原や 小塩の山も 今日こそは 神代のことを おもひ出づらめ