第124段~第140段
このシリーズでは、「伊勢物語」に続き、平安時代中期(10世紀後半~11世紀初期)に成立した歌物語である「大和物語」(全173段、作者や成立年は不明)の中で詠まれた和歌(295首)について、第1段から順に紹介している。前回は、第110段~第123段までの25首を紹介したが、ここでは第124段~第140段までの25首を紹介する。なお、今回の第140段までが当時の貴族社会の歌物語を記した前半(第一部)であり、これ以降が過去の歌物語を記した後半(第二部)に相当する。
●第124段「さねかづら」
〇本院の北の方(藤原時平の妻)がまだ藤原国経の妻であった頃、平中(平定文)が詠んで贈った歌
春の野に みどりにはへる さねかづら わが君ざねと 頼むいかにぞ
〇その後、彼女が藤原時平の妻となって世間でもてはやされていた頃、また平定文から詠んで贈った歌
ゆくすゑの 宿世も知らず わがむかし 契りしことは おもほゆや君
●第125段「かささぎの橋」
〇泉の大将(藤原定国:右大臣藤原定方の兄)が酒に酔って夜更けに左大臣藤原時平の屋敷を訪れた時、時平が驚きながら戸を開けると、定国のお供の壬生忠岑がひざまずいて挨拶をしながら詠んだ歌
かささぎの わたせる橋の 霜の上を 夜半にふみわけ ことさらにこそ
〇時平は訪問を歓び、その夜酒宴を催して定国や壬生忠岑に褒美を与えたが、ある男がその忠岑の娘に、嫁に欲しいと言ってきたことに対して忠岑が詠んだ歌
わが宿の ひとむらすすき うら若み むすび時には まだしかりけり
●第126段「水汲む女」
〇藤原純友の乱の追討に任じられた小野好古が、筑紫の遊女「檜垣の御」に会いたいと思いそこを訪れると、白髪のお婆さんが水を汲み貧しい家に入る姿が見えたので、哀れに思い呼ぶが恥じて出て来ず、代わりに詠んで贈ってきた歌
むばたまの わが黒髪は 白川の みづはくむまで なりにけるかな
●第127段「くれなゐの声」
〇檜垣の御が太宰府の大弐の館で、秋の紅葉の和歌を詠めと言われた時に詠んだ歌
鹿の音は いくらばかりの くれなゐぞ ふりいづるからに 山の染むらむ
●第128段「さを鹿」
〇歌好き達が集まり、檜垣の御にわざと難しい上の句(5・7・5)を持ち出し、下の句(7・7)を詠ませようとした時に檜垣の御が詠んだ歌(下の句のみ)
わたつみの なかにぞ立てる さを鹿は 秋の山辺や そこに見ゆらむ
●第129段「契りし月」
〇筑紫にいた女(監の命婦?)が京の男に詠んで贈った歌
人を待つ 宿は暗くぞ なりにける 契りし月の うちに見えねば
●第130段「花すすき」
〇同じく、筑紫にいた女(監の命婦?)が詠んだ歌
秋風の 心やつらき 花すすき 吹きくるかたを まづそむくらむ
●第131段「鳴かぬうぐひす」
〇醍醐天皇の時代、4月1日にうぐいすが鳴かない理由を詠めと醍醐天皇が命じるので、源公忠が詠んだ歌
春はただ 昨日ばかりを うぐひすの かぎれるごとも 鳴かぬ今日かな
●第132段「弓張り月」
〇同じく醍醐天皇の時、醍醐天皇は凡河内躬恒を召して、月を弓張という理由を詠めと言われたので、躬恒が詠んだ歌
照る月を 弓張りとしも 言ふことは 山べをさして 入ればなりけり
〇歌の褒美に醍醐天皇から着物を貰い、その着物のことを躬恒が詠んだ歌
白雲の このかたにしも おりゐるは 天つ風こそ 吹きてきつらし
●第133段「泣くを見るこそ」
〇醍醐天皇とお供の源公忠が散歩をしていると、ある部屋から女が出てきてひどく泣き出したので、公忠がその理由を聞くと答えなかったため、公忠が詠んだ歌
思ふらむ 心のうちは 知らねども 泣くを見るこそ 悲しかりけれ
●第134段「あはぬ夜も」
〇醍醐天皇の時、宮中に可愛らしい少女がいたので、醍醐天皇が秘かに時々呼び出して詠んだ歌(後に、少女の主人の御息所の耳に入り、少女は追い出された)
あかでのみ 経ればなるべし あはぬ夜も あふ夜も人を あはれとぞ思ふ
●第135段「火取り」
〇三条の右大臣(藤原定方)の娘は、堤の中納言(藤原兼輔)が内蔵寮の助だった頃に逢い始めたが、その後二人は中々逢うことも出来ず、そのため娘から藤原兼輔へ詠んで贈った歌
焚き物の くゆる心は ありしかど ひとりはたえて 寝られざりけり
●第136段「つれづれ」
〇(前段に続き)男(藤原兼輔)が「中々逢いに行くことが出来ないので心配しているのでは」と伝えてきたので、女(藤原定方の娘)が詠んだ歌
さわぐなる うちにも物は 思ふなり 我がつれづれを なににたとへむ
●第137段「志賀山」
〇志賀の山越のところに、今は亡き兵部卿の宮(元良親王:陽成天皇の皇子)の別荘があったが、としこ(藤原千兼の妻)が志賀寺に参詣する途中にここへ立ち寄り、その想いを詠んだ歌
かりにのみ 来る君待つと ふりいでつつ なくしが山は 秋ぞ悲しき
●第138段「沼の下草」
〇「こやくしくそ」と呼ばれる男が、女のもとに通ってその後詠んで送った歌
かくれ沼の 底の下草 み隠れて 知られぬ恋は くるしかりけり
〇それに対して女が詠んで送った歌
み隠れに 隠るばかりの 下草は 長からじとも おもほゆるかな
●第139段「芥川」
〇醍醐天皇の時、承香殿に住む女御(源和子)に仕えた「中納言の君」に、今は亡き兵部卿の宮(元良親王)が若い頃に訪れて秘かに共寝をしていたが、その後宮が訪ねて来なくなったため、中納言の君が詠んで贈った歌
人をとく あくた川てふ 津の国の なにはたがはぬ 君にぞありける
〇宮(元良親王)が訪ねて来なくなったため、中納言の君は泣きながら恋い慕っていたが、ある時承香殿の前の松に雪が降り掛っているのを折り、中納言の君が宮に詠んで贈った歌
来ぬ人を まつの葉に降る 白雪の 消えこそかへれ あはぬ思ひに
●第140段「敷きかへず」
〇今は亡き兵部卿の宮(元良親王)が昇大納言(源昇)の娘のもとに通っていた頃、いつもの寝床ではなく廂の間に仮の寝床を設けて一夜を共にして帰った後、しばらく訪れず廂の間に敷いた寝床について尋ねたので、娘が詠んで応えた歌
敷きかへず ありしながらに 草枕 塵のみぞゐる 払ふ人なみ
〇それに対して宮(元良親王)が詠んだ歌
草枕 塵払ひには からころも 袂ゆたかに 裁つを待てかし
〇それに対して源昇の娘が詠んだ歌
からころも 裁つを待つ間の ほどこそは 我がしきたへの 塵も積らめ
〇元良親王は娘からの返事に再び娘のもとにやって来きたが、別の時に「宇治に狩りをしに行く」という親王への返事に対して娘が詠んだ歌
み狩する 栗駒山の 鹿よりも ひとり寝る身ぞ わびしかりける