第110段~第123段
このシリーズでは、「伊勢物語」に続き、平安時代中期(10世紀後半~11世紀初期)に成立した歌物語である「大和物語」(全173段、作者や成立年は不明)の中で詠まれた和歌(295首)について、第1段から順に紹介している。前回は、第100段~第109段までの25首を紹介したが、ここでは第110段~第123段までの25首を紹介する。
●第110段「ぬるる袖」
〇(前段に続き)南院の今君と呼ばれた源宗于の娘が、ある人に対して詠んだ歌
大空は 曇らずながら 神無月 年のふるにも 袖はぬれけり
●第111段「別れ路の川」
〇大膳職長官の橘公平の三女は、源信明の初めての恋だったが、やがて別れた後に源信明へ詠んで贈った歌
この世には かくてもやみぬ 別れ路の 淵瀬をたれに 問ひてわたらむ
●第112段「東の風」
〇橘公平の三女が兵衛尉の「もろただ」(藤原庶正)と恋仲になり、ある風雨の日に詠んで贈った歌
こち風は 今日ひぐらしに 吹くめれど 雨もよにはた よにもあらじな
●第113段「井手の山吹」
〇「もろただ」が橘公平の三女と疎遠になり、祭りに出かけるとそこで三女に出会ったが、帰宅後三女が「もろただ」に詠んで贈った歌
むかし着て なれしをすれる 衣手を あなめづらしと よそに見しかな
〇それに対して「もろただ」が山吹につけて三女に詠んで贈った歌
もろともに 井手の里こそ 恋しけれ ひとりをり憂き 山吹の花
〇まだ男(「もろただ」)が三女のところに通っていた頃、三女が「もろただ」に詠んで贈った歌2首
大空も ただならぬかな 神無月 われのみ下に しぐると思へば
あふことの なみの下草 みがくれて しづ心なく 音こそ泣かるれ
●第114段「たなばた」
〇桂の皇女(孚子内親王:宇多天皇の皇女)が、七夕の頃に人目を忍んで男と会い詠んで贈った歌
袖をしも 貸さざりしかど 七夕の あかぬわかれに ひちにけるかな
●第115段「秋の夜」
〇藤原師輔(藤原忠平の次男)が蔵人頭の時、少弐のめのと(少弐命婦)という女性に贈った歌
秋の夜を 待てと頼めし 言の葉に 今もかかれる 露のはかなさ
〇それに応えて少弐のめのとが詠んだ歌
秋もこず 露もおかねど 言の葉は わがためにこそ 色かはりけれ
●第116段「長き嘆き」
〇橘公平の娘(三女?)が死ぬ間際に詠んだ歌
長けくも 頼みけるかな 世の中を 袖に涙の かかる身をもて
●第117段「松虫の声」
〇桂の皇女(孚子内親王)が源嘉種に詠んで贈った歌
露しげみ 草のたもとを 枕にて 君まつむしの 音をのみぞなく
●第118段「浜の真砂」
〇閑院のおほいきみ(源宗于の娘?)が詠んだ歌
むかしより 思ふ心は ありそ海の 浜のまさごは 数も知られず
●第119段「死出の山」
〇今は亡き陸奥国の守の藤原真興の病が幾分回復した時に、閑院のおほいきみ(源宗于の娘?)へ詠んで贈った歌
からくして 惜しみとめたる 命もて 逢ふことをさへ やまむとやする
〇それに応えて閑院のおほいきみが詠んだ歌
もろともに いざとは言はで 死出の山 などかはひとり 越えむとはせし
〇ある夜、藤原真興が閑院のおほいきみのところを訪れたが逢えず、帰った翌朝、藤原真興が詠んで贈った歌
あかつきは 鳴くゆふつけの わび声に おとらぬ音をぞ なきてかへりし
〇それに応えて閑院のおほいきみが詠んだ歌
あかつきの 寝覚の耳に 聞きしかど 鳥よりほかの 声はせざりき
●第120段「梅の花」
〇藤原忠平(藤原基経の息子)は、実兄の藤原仲平より早く太政大臣となり、ようやく仲平が太政大臣になった祝賀に、忠平が梅を髪に挿して詠んだ歌
遅くとく つひに咲きける 梅の花 たが植ゑおきし 種にかあるらむ
〇藤原定方の娘の能子が、斎宮(柔子内親王:宇多天皇の皇女)にその日の様子を手紙で贈る際に、詠んで加えた歌
いかでかく 年きりもせぬ 種もがな 荒れゆく庭の 影と頼まむ
〇藤原定方の娘の能子と藤原実頼(藤原忠平の長男)が結ばれ一族が繁栄した時に、斎宮(柔子内親王)が詠んだ歌
花ざかり 春は見に来む 年きりも せずといふ種は 生ひぬとか聞く
●第121段「笛竹」
〇「さねとうの少弐」の娘のもとに通っていた男が詠んだ歌
笛竹の ひと夜も君と 寝ぬ時は ちぐさの声に 音こそ泣かるれ
〇それに対して娘が詠んだ歌
ちぢの音は 言葉の吹きか 笛竹の こちくの声も 聞こえこなくに
●第122段「かつがつの思ひ」
〇としこ(藤原千兼の妻)が志賀寺にお参りをした時、増喜君(増基法師?)と逢って一夜を共にし、いろいろと約束してとしこが帰ろうとした際に増喜君が詠んだ歌
あひ見ては 別るることの なかりせば かつがつものは 思はざらまし
〇それに応えてとしこが詠んだ歌
いかなれば かつがつものを 思ふらむ 名残もなくぞ われは悲しき
●第123段「草葉の露」
〇同じく増喜君が、誰か分からないが詠んで贈った歌
草の葉に かかれる露の 身なればや 心うごくに 涙おつらむ