平家物語の中の和歌(2) | 俳句の里だより2

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俳句の里に生まれ育った正岡子規と水野広徳を愛する私のひとりごと

巻第4

 

このシリーズでは、鎌倉時代初めに書かれた軍記物語「平家物語」(巻第1~巻第12と別巻(灌頂巻)で構成、作者は不詳)の中の和歌(100首)について、巻第1から順に紹介している。前回は、巻第1(7首)、巻第2(6首)、巻第3(2首)の計15首を紹介したが、ここでは巻第4の14首を紹介する。

 

◎巻第4(以下の16章より構成:厳島御幸、還御、源氏揃、鼬(いたち)之沙汰、信連、競、山門牒状、南都牒状、永僉議、大衆揃、橋合戦、宮御最期、若宮出家、通乗之沙汰、鵼(ぬえ)、三井寺炎上)

 

●2章「還御」より

〇高倉上皇一行は厳島へ到着し歓迎を受け、主催した三井寺の公兼僧正が詠んで厳島神社の拝殿の柱に書きつけた歌

 雲居より 落ちくる滝の 白糸に 契りを結ぶ 事ぞうれしき

 

〇高倉上皇が還御しようとしたが、風が激しいため有の浦に留まった際に、藤原隆房少将が上皇に命じられて詠んだ歌

 立ち帰る 名残もありの 浦なれば 神も恵を かくるしら波

 

〇風が静まり出発して備後の敷名の泊に着き酒宴を催した際に、藤原隆季大納言が上皇に命じられて詠んだ歌

 千年へむ 君が齢に 藤波の 松の枝にも かかりぬるかな

 

〇厳島の内侍(巫女)の一人が藤原邦綱(五条大納言)に想いを寄せて手紙を贈り、そこに書かれていた内侍の歌

 しらなみの 衣の袖を しぼりつつ きみゆゑにこそ たちも舞はれね

 

〇それを読んで応えた藤原邦綱の詠んだ歌

 思ひやれ 君がおもかげ たつなみの よせくるたびに ぬるるたもとを

 

●6章「競」より

〇平清盛の次男宗盛が源頼政(三位入道)の嫡子伊豆守仲綱の名馬「木の下」を権力づくで奪おうとした際に、仲綱が馬との別れを惜しみ詠んだ歌

 恋しくば 来ても見よかし 身にそふる かげをばいかが はなちやるべき

 

●8章「南都牒状」より

〇高倉宮(以仁王)が逃げ込んだ三井寺は平家との合戦のため比叡山に協力を要請、一方平清盛も比叡山を味方に付ける工作(米や織延絹などを配布)を行い、その様子を見て何者かが皮肉って落書した歌2首

 山法師 おりのべ衣 うすくして 恥をばえこそ かくさざりけれ

 おりのべを 一きれも得ぬ 我らさへ うす恥をかく 数に入るかな

 

●12章「宮御最期」より

〇三井寺軍(高倉宮、源頼政・仲綱親子ら)と平家軍(平知盛ら)は宇治橋周辺で合戦となり、その際、伊豆守仲綱が緋威の鎧を着た伊勢武者の宇治川での姿を見て詠んだ歌

 伊勢武者は みなひをどしの 鎧着て 宇治の網代に 懸かりぬるかな

 

〇宇治平等院に逃げ込んで戦った源頼政・仲綱親子らは敗れ、伊豆守仲綱は自害し、三位入道頼政が自害に先立ち詠んだ辞世の歌

 埋もれ木の 花さくことも なかりしに 身のなる果てぞ 悲しかりける

 

●15章「鵺」より

〇源三位入道頼政は、若い頃不遇の身で昇進も遅かったが、年齢を重ねた後にようやく昇殿が許され、その時詠んだ歌

 人知れず 大内山の 山守は 木隠れてのみ 月を見るかな

 

〇歌で昇殿を許された源頼政は、その後正四位下でしばらく過ごしたが、三位を心にかけつつ詠んだ歌(これで三位になり、すぐに出家して「源三位入道」に)
 のぼるべき たよりなき身は 木の本に しゐを拾ひて 世を渡るかな

 

〇源頼政が妖怪を弓で仕留めた時に、近衛天皇から剣を賜り、取り次いだ左大臣(藤原頼長)が頼政に与えようとした際ほととぎすが鳴いたので、頼長が最初の5・7・5を詠み、続けて頼政が7・7を付けた歌

 ほととぎす 名をも雲居に あぐるかな ゆみはり月の いるに任せて

 

〇同様、源頼政が闇夜に鵺を弓で仕留めた時に、近衛天皇から御衣を賜り、取り次いだ右大臣(藤原公能)が頼政に与えようとした際、雨の中に鵺を射たと感心して公能が最初の5・7・5を詠み、続けて頼政が7・7を付けた歌

 五月闇 名をあらはせる 今宵かな たそかれ時も 過ぎぬと思ふに