平家物語の中の和歌(1) | 俳句の里だより2

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俳句の里に生まれ育った正岡子規と水野広徳を愛する私のひとりごと

巻第1、巻第2、巻第3

 

先の「源氏物語」シリーズに続いて、このシリーズではあの有名な「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響あり。沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。おごれる人も久しからず、唯春の夜の夢のごとし。たけき者も遂にはほろびぬ、偏に風の前の塵に同じ・・・」で始まる「平家物語」の中の和歌について紹介する。

 

「平家物語」は、鎌倉時代初めに書かれた軍記物語であり、作者は一説には信濃前司行長と言われるが、成立年とともに不詳とされている。内容は、平清盛を中心とする平家一門の興亡を軸にとらえ、仏教的無常観を主題として叙事詩的に描かれており、語りものとして琵琶法師によって語られ、謡曲をはじめとして後世の文学に大きな影響を与えた。流布本では、本文が冒頭の「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響あり・・・」で始まる「巻第一」から「巻第十二」まであり、巻末に別巻として、平清盛の娘(建礼門院)が安徳天皇や滅んだ平家一門の亡魂を弔う「灌頂巻」がある。

 

巻第1~巻第12と別巻(灌頂巻)で構成されている「平家物語」には全部で和歌がちょうど100首(巻1;7首、巻2;6首、巻3;2首、巻4;14首、巻5;11首、巻6;8首、巻7;10首、巻8;8首、巻9;6首、巻10;12首、巻11;5首、巻12;3首、灌頂巻;8首)であり、ここでは順に平家物語で詠まれた和歌を紹介することとした。まずは巻1~巻3までの計15首を紹介する。

 

◎巻第1(以下の16章より構成:祇園精舎、殿上闇討、鱸(すずき)、禿髪、吾身栄花、祗王、二代后、額打論、清水炎上、東宮立、殿下乗合、鹿谷、俊寛沙汰、願立、御輿振、内裏炎上)

 

●3章「鱸」より

〇平清盛の父である忠盛が、ある時備前国より京都へ上った時、鳥羽院が「明石の浦はどうであったか」と尋ねた時に忠盛が応えて詠んだ歌

 有明の 月も明かしの 浦風に 浪ばかりこそ よると見えしか

 

〇ある時、忠盛が院の御所に居る最愛の女房(平忠度の母)の部屋に月の描かれた扇を忘れたのを周囲の女房が冷やかした際に、 最愛の女房が詠んで応えた歌

 雲居より ただもりきたる 月なれば おぼろげにては 言はじとぞ思ふ

 

●6章「祇王」より

〇平清盛に寵愛された白拍子の祇王が、3年後に現れた白拍子の仏御前にその座を奪われ、西八条邸を去る際に詠んだ歌

 萌え出づるも 枯るるも同じ 野辺の草 いづれか秋に あはではつべき 

 

●7章「二代后」より

〇近衛天皇の后だった藤原多子が、夫の死去後に前例のない二条天皇から強引に入内となり、その運命を悲しみ詠んだ歌

 うきふしに しずみもやらで 河竹の よにためしなき 名をや流さん

 

〇入内した後、清涼殿にあった故近衛院が幼い時のものと少しも変わらないのを見て、多子が昔を恋しく想い詠んだ歌

 思ひきや うき身ながらに めぐりきて おなじ雲居の 月を見んとは


●12章「鹿谷」より

〇大納言藤原成親が左大将への就任を強く望み、上賀茂神社へ七日間続けて参詣した夜、自宅で参詣の夢を見て詠んだ歌

 桜花 賀茂の川風 うらむなよ 散るをばえこそ とどめざりけれ

 

●15章「御輿振」より

〇比叡山の大衆が日吉神社の神輿を振り立てて都に乱入して来た際に、北の門を守っていた源頼政がかつて詠んだ歌

 深山木の その梢とも 見えざりし 桜は花に あらはれにけり

 

◎巻第2(以下の16章より構成:座主流、一行阿闍梨之沙汰、西光被斬、小教訓、少将乞請、教訓状、烽火之沙汰、大納言流罪、阿古屋之松、大納言死去、徳大寺之沙汰、山門滅亡-堂衆合戦、山門滅亡、善光寺炎上、康頼祝詞、卒塔婆流、蘇武)

 

●9章「阿古屋之松」より

〇鹿谷事件で配流された藤原成親・成経親子が近くに居ながら逢えず、成経(丹波少将成経)が思い出した、陸奥国に流された時に藤原実方の詠んだ歌

 みちのくの 阿古屋の松に 木がくれて いづべき月の 出でもやらぬか

 

●12章「山門滅亡」より

〇比叡山では大衆・学生らと堂衆らが合戦を繰り返して山門が衰退していき、その時に比叡山を去った僧が詠んだ歌

 祈り来し 我が立つ杣の 引きかへて 人なき峰と なりやはてなむ

 

●14章「康頼祝詞」より

〇鬼界ケ島に流された平康頼、丹波少将成経、俊寛の3人の内、康頼が流される際に出家(性照)しその思いを詠んだ歌

 つひにかく 背きはてける 世の中を とく捨てざりし ことぞ悔しき

 

●15章「卒塔婆流」より

〇鬼界が島に流された康頼入道と丹波少将成経が都へ帰ることを願い、三所権現に祈りつつ夢を見た時に、熊野三山の御神木、梛の葉に書かれていた歌

 ちはやぶる 神に祈りの しげければ などか都へ 帰らざるべき

 
〇康頼入道が、故郷の恋しさの余り千本の卒都婆をつくり、それに書きつけた歌2首 
 薩摩方 沖の小島に 我ありと 親には告げよ 八重の潮風 

 思ひやれ しばしと思ふ 旅だにも なほふるさとは 恋しきものを

 

◎巻第3(以下の17章より構成:赦文、足摺、御産、公卿揃、大塔建立、頼豪、少将都帰、有王、僧都死去、颷/辻風、医師問答、無文、灯炉之沙汰、金渡、法印問答、大臣流罪、行隆之沙汰、法皇被流、城南之離宮)

 

●7章「少将都帰」より

〇鬼界ヶ島に流されていた丹波少将成経と康頼入道は恩赦により都に戻る途中、成経は亡父・成親ゆかりの備前児島の配所や鳥羽の州浜殿を訪れた際に、その想いを託した古歌(後拾遺集)

 ふるさとの 花の物いふ 世なりせば いかに昔の 事をとはまし

 

〇都に戻った成経はその後宰相の中将に昇進、一方康頼入道は自分の山荘(東山双林寺)に戻ってその思いを詠んだ歌

 ふるさとの 軒の板間に 苔むして 思ひしほどは もらぬ月かな