源氏物語の中の和歌(11) | 俳句の里だより2

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俳句の里に生まれ育った正岡子規と水野広徳を愛する私のひとりごと

絵合、松風の巻

 

このシリーズでは、平安時代に紫式部が書いた「源氏物語」の中の和歌(795首)について、第1巻の「桐壺」から第54巻の「夢浮橋」まで、順に紹介している。前回は、第14巻の「澪標」の17首、第15巻の「蓬生」の6首及び第16巻の「関屋」の3首の計26首を紹介したが、ここでは第17巻の「絵合」の9首及び第18巻の「松風」の16首の計25首を紹介する。

 

●巻17「絵合」

〇朱雀院が前斎宮(六条御息所の姫君)の入内に際して贈り物をした時に、朱雀院が詠んだ歌

 別れ路に 添へし小櫛を かことにて 遥けき仲と 神やいさめし

〇それに応えて前斎宮が詠んだ歌

 別るとて 遥かに言ひし 一言も かへりてものは 今ぞ悲しき

 

〇光源氏が須磨明石の旅日記の箱(絵日記)を初めて紫の上に見せた時に、紫の上が詠んだ歌

 一人ゐて 嘆きしよりは 海人の住む かたをかくてぞ 見るべかりける
〇それに応えて光源氏が詠んだ歌
 憂きめ見し その折よりも 今日はまた 過ぎにしかたに かへる涙か

 

〇藤壺中宮の御前で左右(左:平典侍ら、右:大弐の典侍ら)に分かれて物語絵合せ(「伊勢物語」対「正三位」)を競った際に、平典侍が詠んだ歌

 伊勢の海の 深き心を たどらずて ふりにし跡と 波や消つべき

〇それに対して大弐の典侍が詠んだ歌

 雲の上に 思ひのぼれる 心には 千尋の底も はるかにぞ見る

〇それらに応えて藤壺中宮(あるいは前斎宮)が詠んだ歌

 みるめこそ うらふりぬらめ 年経にし 伊勢をの海人の 名をや沈めむ

 

〇冷泉帝の御前で光源氏と頭中将が絵合せを企画するに当たり、朱雀院が前斎宮(斎宮女御)を想い詠んだ歌

 身こそかく しめの外なれ そのかみの 心のうちを 忘れしもせず

〇それに応えて斎宮女御が詠んだ歌

 しめのうちは 昔にあらぬ 心地して 神代のことも 今ぞ恋しき

 

●巻18「松風」

〇光源氏の願いによりついに明石の上が上京することになり、別れの際に父の明石入道が詠んだ歌

 行く先を はるかに祈る 別れ路に 堪へぬは老いの 涙なりけり
〇同じく、明石の上と共に上京する母の明石尼君が詠んだ歌
 もろともに 都は出で来 このたびや ひとり野中の 道に惑はむ

〇それに応えて明石の上が詠んだ歌

 いきてまた あひ見むことを いつとてか 限りも知らぬ 世をば頼まむ

 

〇明石の上と共に明石尼君が京へ舟で出立する間際に、明石尼君が詠んだ歌

 かの岸に 心寄りにし 海人舟の 背きし方に 漕ぎ帰るかな
〇それに応えて明石の上が詠んだ歌

 いくかへり 行きかふ秋を 過ぐしつつ 浮木に乗りて われ帰るらむ

 

〇上京して大堰山荘で暮らし始めた明石の上と明石尼君、その心境を明石尼君が詠んだ歌

 身を変へて 一人帰れる 山里に 聞きしに似たる 松風ぞ吹く
〇同じく、明石の上が詠んだ歌
 故里に 見し世の友を 恋ひわびて さへづることを 誰れか分くらむ

 

〇光源氏が明石の上が住む大堰山荘を訪れた際に、明石尼君が詠んだ歌

 住み馴れし 人は帰りて たどれども 清水は宿の 主人顔なる
〇それに応えて明石尼君が詠んだ歌
 いさらゐは はやくのことも 忘れじを もとの主人や 面変はりせる

 

〇嵯峨野の御堂を訪れた後大堰山荘に戻った光源氏が、昔を思い琴を弾きながら詠んだ歌

 契りしに 変はらぬ琴の 調べにて 絶えぬ心の ほどは知りきや
〇それに応えて明石の上が詠んだ歌
 変はらじと 契りしことを 頼みにて 松の響きに 音を添へしかな

 

〇光源氏は大堰山荘から桂院に戻り、そこで饗宴の最中に冷泉帝が詠んだ歌

 月のすむ 川のをちなる 里なれば 桂の影は のどけかるらむ

〇それに応えて光源氏が詠んだ歌

 久方の 光に近き 名のみして 朝夕霧も 晴れぬ山里

〇饗宴の場で光源氏が詠んだ歌

 めぐり来て 手に取るばかり さやけきや 淡路の島の あはと見し月
〇同じく、頭中将が詠んだ歌
 浮雲に しばしまがひし 月影の すみはつる夜ぞ のどけかるべき

〇同じく、左大弁が詠んだ歌
 雲の上の すみかを捨てて 夜半の月 いづれの谷に かげ隠しけむ