源氏物語の中の和歌(12) | 俳句の里だより2

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薄雲、朝顔の巻

 

このシリーズでは、平安時代に紫式部が書いた「源氏物語」の中の和歌(795首)について、第1巻の「桐壺」から第54巻の「夢浮橋」まで、順に紹介している。前回は、第17巻の「絵合」の9首及び第18巻の「松風」の16首の計25首を紹介したが、ここでは第19巻の「薄雲」の10首及び第20巻の「朝顔」の13首の計23首を紹介する。

 

●巻19「薄雲」

〇明石の上の娘(姫君)を、母の尼君が光源氏の養女に出すことを勧めた際に、明石の上が姫君の乳母に対して詠んだ歌

 雪深み 深山の道は 晴れずとも なほ文かよへ 跡絶えずして

〇それに応えて乳母が詠んだ歌
 雪間なき 吉野の山を 訪ねても 心のかよふ 跡絶えめやは

 

〇明石の上が光源氏の養女となる娘(姫君)と別れる際に、明石の上が詠んだ歌

 末遠き 二葉の松に 引き別れ いつか木高き かげを見るべき
〇それに応えて光源氏が詠んだ歌
 生ひそめし 根も深ければ 武隈の 松に小松の 千代をならべむ

 

〇光源氏が大堰山荘へ明石の君を訪ねて行く際に、姫君とともに見送った紫の上が詠んだ歌

 舟とむる 遠方人の なくはこそ 明日帰り来む 夫と待ち見め
〇それに応えて光源氏が詠んだ歌
 行きて見て 明日もさね来む なかなかに 遠方人は 心置くとも

 

〇太政大臣に続き、出家した藤壺が亡くなり、光源氏が藤壺を哀悼して詠んだ歌

 入り日さす 峰にたなびく 薄雲は もの思ふ袖に 色やまがへる

 

〇秋になり二条院へ里帰りした前斎宮女御が久しぶりに光源氏と再会した時に、光源氏が詠んだ歌

 君もさは あはれを交はせ 人知れず わが身にしむる 秋の夕風

 

〇例により嵯峨の念仏勤行を口実に、光源氏が大堰山荘へ明石の君を訪ねた際に明石の上が詠んだ歌

 漁りせし 影忘られぬ 篝火は 身の浮舟や 慕ひ来にけむ
〇それに応えて光源氏が詠んだ歌

 浅からぬ したの思ひを 知らねばや なほ篝火の 影は騒げる

 

●巻20「朝顔」

〇9月、前斎院の朝顔(故桃園式部卿宮の娘;光源氏のいとこ)を訪れた際に、光源氏が詠んだ歌

 人知れず 神の許しを 待ちし間に ここらつれなき 世を過ぐすかな

〇それに応えて朝顔の君(前斎院)が詠んだ歌

 なべて世の あはればかりを 問ふからに 誓ひしことと 神やいさめむ

 

〇帰宅した翌朝、光源氏が朝顔の君に手紙を出した、それに書かれていた歌
 見し折の つゆ忘られぬ 朝顔の 花の盛りは 過ぎやしぬらむ

〇それに応えて朝顔の君が詠んだ歌

 秋果てて 霧の籬に むすぼほれ あるかなきかに 移る朝顔

 

〇雪の降る日、光源氏が再び朝顔の君を訪れたが門が錆びて中々開かず、その時に光源氏が詠んだ歌

 いつのまに 蓬がもとと むすぼほれ 雪降る里と 荒れし垣根ぞ

 

〇門が開いて中に入った光源氏は、そこで年配の源典侍と出逢い、昔話の最中に源典侍が詠んだ歌

 年経れど この契りこそ 忘られね 親の親とか 言ひし一言
〇それに応えて光源氏が詠んだ歌
 身を変へて 後も待ち見よ この世にて 親を忘るる ためしありやと

 

〇その後、光源氏は朝顔の君のところへ赴き、光源氏が朝顔の君に求愛して詠んだ歌

 つれなさを 昔に懲りぬ 心こそ 人のつらきに 添へてつらけれ
〇それに応えて朝顔の君が求愛を拒んで詠んだ歌
 あらためて 何かは見えむ 人のうへに かかりと聞きし 心変はりを

 

〇月が照る冬の夜、帰宅した光源氏が紫の上と女性の昔話など語る時に、紫の上が詠んだ歌

 氷閉ぢ 石間の水は 行きなやみ 空澄む月の 影ぞ流るる

〇それに応えて光源氏が詠んだ歌
 かきつめて 昔恋しき 雪もよに あはれを添ふる 鴛鴦の浮寝か

 

〇その後、亡き藤壺のことを思いながら寝入った光源氏が、夢うつつに詠んだ歌

 とけて寝ぬ 寝覚さびしき 冬の夜に むすぼほれつる 夢の短さ

 

〇朝早く目覚めた光源氏が、亡き藤壺の供養をしながら往生を願いつつ詠んだ歌

 亡き人を 慕ふ心に まかせても 影見ぬ三つの 瀬にや惑はむ