源氏物語の中の和歌(3) | 俳句の里だより2

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若紫の巻

 

このシリーズでは、平安時代に紫式部が書いた「源氏物語」の中の和歌(795首)について、第1巻の「桐壺」から第54巻の「夢浮橋」まで、順に紹介している。前回は、第3巻の「空蝉」の2首及び第4巻の「夕顔」の19首の計21首を紹介したが、ここでは、第5巻の「若紫」の25首を紹介する。

 

●巻5「若紫」

〇光源氏が北山の若紫(後の紫の上;兵部卿宮の娘)の家を訪れた際、家の中にいた尼君(若紫の祖母)が詠んだ歌

 生ひ立たむ ありかも知らぬ 若草を おくらす露ぞ 消えむそらなき

〇そのそばにいた侍女(少納言乳母)がそれに応えて詠んだ歌
 初草の 生ひ行く末も 知らぬまに いかでか露の 消えむとすらむ

 

〇光源氏が若紫を見て、尼君の女房に取次ぎ詠んだ歌
 初草の 若葉の上を 見つるより 旅寝の袖も 露ぞ乾かぬ

〇それに応えて尼君が詠んだ歌

 枕結ふ 今宵ばかりの 露けさを 深山の苔に 比べざらなむ

 

〇尼君が色よい返事をしないので、光源氏が僧都(尼君の兄)に対して詠んだ歌

 吹きまよふ 深山おろしに 夢さめて 涙もよほす 滝の音かな

〇それに応えて僧都が詠んだ歌
 さしぐみに 袖ぬらしける 山水に 澄める心は 騒ぎやはする

 

〇翌日、光源氏が帰京するに当たり、見送りに来た僧都に対して詠んだ歌

 宮人に 行きて語らむ 山桜 風よりさきに 来ても見るべく

〇それに応えて僧都が詠んだ歌
 優曇華の 花待ち得たる 心地して 深山桜に 目こそ移らね

〇そばにいた聖が詠んだ歌

 奥山の 松のとぼそを まれに開けて まだ見ぬ花の 顔を見るかな

〇僧都の使いの童子に託して、光源氏が詠んだ歌

 夕まぐれ ほのかに花の 色を見て 今朝は霞の 立ちぞわづらふ
〇それに応えた尼君の詠んだ歌
 まことにや 花のあたりは 立ち憂きと 霞むる空の 気色をも見む

 

〇翌日、光源氏が北山の尼君へ出した手紙に書かれていた歌

 面影は 身をも離れず 山桜 心の限り とめて来しかど

〇それに応えて尼君が詠んだ歌
 嵐吹く 尾の上の桜 散らぬ間を 心とめける ほどのはかなさ

〇光源氏が再び尼君へ出した手紙に書かれていた歌

 あさか山 浅くも人を 思はぬに など山の井の かけ離るらむ
〇それに応えて尼君が詠んだ歌
 汲み初めて くやしと聞きし 山の井の 浅きながらや 影を見るべき

 

〇病気になり内裏を辞した藤壺と密会した光源氏が詠んだ歌

 見てもまた 逢ふ夜まれなる 夢のうちに やがて紛るる 我が身ともがな

〇それに応えて藤壺が詠んだ歌
 世語りに 人や伝へむ たぐひなく 憂き身を覚めぬ 夢になしても

 

〇光源氏が危篤の尼君にお見舞いの手紙を書き、その手紙に書かれた歌

 いはけなき 鶴の一声 聞きしより 葦間になづむ 舟ぞえならぬ
 

〇光源氏が若紫を想い、詠んだ歌

 手に摘みて いつしかも見む 紫の 根にかよひける 野辺の若草

 

〇光源氏が、死去した尼君の侍女(少納言の乳母)に対して詠んだ歌
 あしわかの 浦にみるめは かたくとも こは立ちながら かへる波かは
〇それに応えた少納言の乳母の歌
 寄る波の 心も知らで わかの浦に 玉藻なびかむ ほどぞ浮きたる
 

〇嵐が吹き荒れた翌早朝、北山の若紫の家をお忍びで訪れた光源氏が詠んだ歌

 朝ぼらけ 霧立つ空の まよひにも 行き過ぎがたき 妹が門かな

〇それに応えた下女が詠んだ歌
 立ちとまり 霧のまがきの 過ぎうくは 草のとざしに さはりしもせじ

 

〇若紫を奪い取り自宅に連れて来た光源氏が、紫の紙に書いた歌

 ねは見ねど あはれとぞ思ふ 武蔵野の 露分けわぶる 草のゆかりを

〇光源氏に強引に勧められ、若紫が紙に書いた歌

 かこつべき ゆゑを知らねば おぼつかな いかなる草の ゆかりなるらむ