源氏物語の中の和歌(1) | 俳句の里だより2

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俳句の里に生まれ育った正岡子規と水野広徳を愛する私のひとりごと

桐壺、帚木の巻

 

平安時代に紫式部が書いた「源氏物語」には、約800首(795首)もの和歌が記載されている。これらはもちろんすべて紫式部自身が登場人物になり代わって詠んだものであり、主人公である「光源氏」が222首、以下「薫」が59首、「夕霧」38首、「浮舟」26首、「匂宮」24首、「紫の上」23首、「明石の君」22首、「玉鬘」21首などと続く。また、源氏物語54帖の中で最も多い巻は、「須磨(10巻)」の48首であり、以下「賢木(10巻)」が33首、「総角(47巻)」31首、「明石(13巻)」30首、「手習(53巻)」28首、「夕霧(39巻)」26首、「幻(41巻)」26首、「若紫(5巻)」25首などと続く。このシリーズでは、第1巻の「桐壺」から第54巻の「夢浮橋」まで、順に源氏物語で詠まれた和歌を紹介することとした。まずは「桐壺」の9首及び「帚木」の14首の計23首を紹介する。

 

●巻1「桐壺」

○光源氏が3歳の夏、桐壺更衣(光源氏の母)が危篤になり桐壺帝へ詠んだ歌

 限りとて 別るる道の 悲しきに いかまほしきは 命なりけり

 

○桐壺帝が靫負命婦に託して、死去した桐壺更衣の母へ弔問に送った手紙に書かれていた歌

 宮城野の 露吹きむすぶ 風の音に 小萩がもとを 思ひこそやれ

 

○月がかたぶき虫の声が聞こえる中、靫負命婦が桐壺更衣の母の家を去る時に詠んだ歌

 鈴虫の 声の限りを 尽くしても 長き夜あかず ふる涙かな
○それに応えて桐壺更衣の母が詠んだ歌
 いとどしく 虫の音しげき 浅茅生に 露置き添ふる 雲の上人

 

○桐壺更衣の母が靫負命婦に託して、桐壺帝へ返信した手紙に書かれていた歌

 荒き風 ふせぎし蔭の 枯れしより 小萩がうへぞ 静心なき

○桐壺更衣の母の手紙を読み、桐壺帝が詠んだ歌

 尋ねゆく 幻もがな つてにても 魂のありかを そこと知るべく

 

○桐壺帝が桐壺更衣の母を思いやって詠んだ歌

 雲の上も 涙にくるる 秋の月 いかですむらむ 浅茅生の宿

 

○光源氏(12歳)が元服の際、桐壺帝が詠んだ歌

 いときなき 初元結ひに 長き世を 契る心は 結びこめつや
○同じく、左大臣(葵の上の父)が詠んだ歌

 結びつる 心も深き 元結ひに 濃き紫の 色し褪せずは

 

●巻2「帚木」

〇「雨夜の品定め」(光源氏、頭中将、左馬頭、藤式部丞の4人の女性談義)の際に、左馬頭が「嫉妬深い女」について詠んだ歌

 手を折りて あひ見しことを 数ふれば これひとつやは 君が憂きふし
〇女(左馬頭の愛人)がこれに応えて詠んだ歌

 憂きふしを 心ひとつに 数へきて こや君が手を 別るべきをり

 

〇同女性談義の際に左馬頭が語った、ある殿上人が琴を演奏する女に対して詠んだ歌

 琴の音も 月もえならぬ 宿ながら つれなき人を ひきやとめける

〇女(左馬頭の別の愛人)がそれ(笛を吹く男の歌)に応えて詠んだ歌

 木枯に 吹きあはすめる 笛の音を ひきとどむべき 言の葉ぞなき

 

〇同女性談義の際に頭中将が語った、女(夕顔)が送ってきた手紙に書かれていた歌

 山がつの 垣ほ荒るとも 折々に あはれはかけよ 撫子の露

〇頭中将がそれに応えた歌

 咲きまじる 色はいづれと 分かねども なほ常夏に しくものぞなき

〇さらに女がそれに応えた歌

 うち払ふ 袖も露けき 常夏に あらし吹きそふ 秋も来にけり

 

〇同女性談義の際に藤式部丞が語った、「賢い女」(愛人)に対して藤式部丞が詠んだ歌

 ささがにの ふるまひしるき 夕暮れに ひるま過ぐせと いふがあやなさ

〇それに対して女が詠んだ歌

 逢ふことの 夜をし隔てぬ 仲ならば ひる間も何か まばゆからまし

 

〇光源氏が空蝉(伊予守の妻)の寝所へ忍び込んだ時に、明け方になり光源氏が詠んだ歌

 つれなきを 恨みも果てぬ しののめに とりあへぬまで おどろかすらむ

〇それに応えて空蝉が詠んだ歌

 身の憂さを 嘆くにあかで 明くる夜は とり重ねてぞ 音もなかれける

 

〇数日後、光源氏が空蝉に贈った手紙に書かれていた歌

 見し夢を 逢ふ夜ありやと 嘆くまに 目さへあはでぞ ころも経にける
 

〇さらに後に、光源氏が空蝉に対して詠んだ歌
 帚木の 心を知らで 園原の 道にあやなく 惑ひぬるかな
〇それに対して空蝉が応えた歌
 数ならぬ 伏屋に生ふる 名の憂さに あるにもあらず 消ゆる帚木