本日のMy 俳句[ 六畳にちゃぶ台ざぶとん向田忌 ] | 俳句でDiary ─ できるかな?

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私の俳句 萌え萌え日記

あの方の死が報道されたときのことは、今でもはっきりと覚えています。あの日、あの夏の日、私は

 

里帰り中で母と一緒に買い物から帰って来たら、奧からまだ子どもだった姪がドタバタと駆け寄り

 

大声で伝えました。「大変、大変!台湾で飛行機事故があって、小説家の何とかクニコさんっていう

 

人が死んじゃったんだって!」───え? 何とかクニコさんだって?

 

   

   
 

こんにちは、本日の季語は・・・季語は・・・えーと、「向田忌」(むこうだき)です、はい(冷汗)

本日、八月の二十二日、故向田邦子氏の忌日であり、季節は秋の季語になりますね。

 

 

おそらくは、いや多分ほとんど間違いなく(笑)歳時記には季語として載ってはおりません。

1981年8月22日、台湾上空で散華された我が敬愛の向田邦子氏を悼む意味で季語としました。

( ・・・「しました。」 って、別に誰かの許可を得たわけではないんですけどね )

 

   

 

 

以前に季語として詠んだ長谷川町子さんの「町子忌」と同じく、私自身が勝手に決めた季語

(と言えるだろうか?)にしたいとして、季語にしてしまった季語もどきであります。スミマセン!

 

 

「町子忌」もそうですが、自らが傾倒し、そしておそらくは他の多くの人々も賛同してくれる

であろう創作者・表現者の忌日を句にして詠んでみたいという欲求は抑えがたく、ここ数年ず

っと考え続けてきました。そのエッセイ作品が国語の教科書にも載るほどの方であれば、季語

として詠んでも問題ないんじゃないかなあ?などと考えてしまって・・・

 

 

有名な俳人のセンセイならいざ知らず、そこらの市井の単なる俳句好きである私が、このように


詠むのはおこがましいとは承知の上ですが、お許しを───

 

 

氏名を、姓をそのままの「向田忌」というのも能がないような気もしますが、他にコレといって

 

考えられなかったので・・・彼女のエッセイからとって「手袋忌」とでもしたかったのですが、これでは

 

チョット? 「手袋」そのものは冬の季語でもありますしネ。 なぜ「手袋」かというと・・・

   

 

このエッセイ集の中に収録されている「手袋をさがす」・・・彼女のベストエッセイのひとつだと

 

思います。今日はあえて触れませんが・・・

 

 

向田邦子氏のことなど・・・

 

 

これまでにも何度か向田氏のこと、作品のことなど記事にしようかと思ってきましたが、なかなか

そのタイミングがつかめないまま日がたってしまいました。記事にしようとすれば絶対に一回では

 

すまないし、というか、無理なんですよ。─── そんな氏のプロフィルは ↓

 

   
   ◆ 向田邦子(1929.11.28~1981.08.22)◆

  昭和四年東京生まれ。テレビドラマの売れっ子脚本家にして直木賞作家。

  実践女子専門学校(現実践女子大学)卒。映画雑誌編集者を経て、ラジオやテレビの制作、

  放送作家としてキャリアを積み、人気TV番組「寺内貫太郎一家」「阿修羅のごとく」など数多くの

  脚本を執筆。↓向田氏のシナリオの一部ですが、ご存知のタイトル、多いのではないかしら?

     
     【画像引用:向田邦子テレビドラマ全仕事 完全版】 

 

 


1980年『思い出トランプ』に収録の「花の名前」他2作で直木賞受賞

 

 

著書に『父の詫び状』『男どき女どき』など。
   

 

1981年8月22日、台湾旅行中、飛行機事故で死去───享年五十二歳。
 

 

 

売れっ子脚本家としての向田邦子氏

 

 

改めてこうして向田氏の作品群、キャリアをさかのぼるとやはりテレビドラマ、それも

ホームドラマの書き手、シナリオライターとしての年月は大きいと思います。

 

   
   【「時間ですよ」 全121本のシナリオのうち向田氏が約20本担当】

私が非常に残念に思うのは、子ども時代が昭和三十年代、四十年代のテレビ世代でありながら

リアルタイムで向田氏脚本のドラマを視たことが一度もないこと! 

 

 

 

ドラマのタイトルは結構有名だったし、高視聴率の人気番組だということも見聞きしていましたが

なぜか我が家では一度も視ることが無かったんだよね。

   
  【阿修羅のごとく シナリオの面白さに驚愕しました!】

   

 

↑こちらは氏の脚本そのままのものです。

 

他の方によるノベライズがこちら ↓

   

 

 

今よりも遥かにテレビが娯楽の主役であった時代でしたけれど、昭和の子どもには、テレビのチャンネル

 

権が無かったので、テレビ番組の選択は常に父親であったわけです。うちだけかもしれませんが、

 

民放のドラマって殆ど見たことはなかったし、それ以前にテレビそのものに夢中になるのは恥ずかしい

 

ことだ!というのが世の中の風潮だったのかなあ? 

 

   

   【隣の女 これも氏の死後に…リアルタイムで視たかったなあ。。。】

 

私が再放送やDVDで向田氏の脚本によるドラマを多少なりとも視られたのは、氏の死後でした。

 

うーん、返す返すも残念ですよね、リアルタイムで時代の空気の中で視たかったなあ。。。

 

   

  【 あ・うん 向田氏の父上をモデルにしたという昭和の父親が存在感を放っていたドラマでした

   家族の物語であり男同士の友情モノでもあり、密やかなる三角関係の物語でもある。。。】

  

   

 

 

売れっ子脚本家からエッセイそして小説に挑戦し直木賞を受賞!

 

 

テレビの脚本家として一家を成して、もうこれで上がり!ではなく、そこから更にエッセイや小説の道

に進んだのが凄いですよね。 きっかけは、乳癌との闘病だそうですが、癌のみならず輸血による

 

肝炎なども併発し、死と真正面に向き合ったことが、新たなる創作への道になったとご本人も語って

 

おられます。

 

   

 

─── ちょっと考えてみてください。

あなたが、過去どれほど楽しみにして好きだったテレビドラマ、 ドラマ自体は今でもDVD化されて

 

いたり再放送などで視られるものがあるかもしれないけれど、脚本・シナリオを読んでみたいと

 

思ったことありますか? 仮に、思ったとしても、そのシナリオを独立したものとして読める手立ては

 

あるでしょうか? 簡単に入手できる?

 

 

売れっ子の脚本家であっても、テレビドラマは脚本だけではなく、俳優さんや演出家のものでも

 

あるんですよね。そこが随筆家や作家とは異なるところです。

 

おまけに、文壇の作家センセイよりも低い位置にあると見なされている。。。

 

 

シナリオって、放映されたらそれで終り、というか使い捨て感覚で扱われることが多いはず…。

 

むしろ今、こうして向田邦子さんのシナリオが広く読まれているのが珍しいくらいなのね。

 

向田氏の脚本が、俳優の魅力に頼らず、文字情報だけで読ませる価値のある内容だという証左と

 

言えるのではないかしら?  そのセンスの良い・趣味の良い暮らしぶりとともに───

 

   

 

 

「向田邦子は、突然あらわれて、ほとんど名人である」 by 山本夏彦

 

  

   

私が向田氏の作品、映像ではなく文字情報の作品に初めて触れたのは週刊誌のエッセイだった

と思います。あれは週刊文春だったかな? ほぼ平行して初めて小説を読んだのが月刊の小説誌

 

である「小説新潮」だったと記憶しています。


テレビドラマは視られなかったけれど、エッセイや小説はほぼデビューからリアルタイムで

読んで来られたのが我ながら嬉しいですわ! だから何なんだ?と問われても困るケド(笑)

 

 

氏の名前は全然知りませんでしたよ。 著者紹介等に書かれているのはシナリオライターとしての

 

の作品名だったし、そもそも自分の視ていない番組なのでそこに興味はなかったのですが───

 

しかし、読んでみると面白かったんですよね。

   

 

 

いわゆる社会派ではないし、スケールの大きな作風でもない。

男女間の不倫や浮気沙汰が描かれてはいても、ドラマチックな作風ともいえない。



あくまでも日常の───小市民・庶民の日常生活の中での出来事を、

(まさしく、邦子さんが長く続けてきたテレビのホームドラマの出来事のように!)

さりげなくも深く、時には読み手をドキッとさせるような視点・観点で描き出した方でした。


その作品は小粒ながら、上手すぎて・・・。
そう、敢えて言ってしまえば、イヤミなほど上手すぎる。
後だしジャンケン風に言えば、不吉なほどに上手すぎた(涙)

 

 

ただ、正直言って、単行本にもならないまだ連載中の短編作品で直木賞、とは驚きました。

 

志茂田氏との同時受賞とはいえ、前代未聞の受賞だったのではないかしら? 

 

─── しかし、審査員の先生方の眼は確かだったと思います。

 

 

死後四十年たった今でも、作品は読まれシナリオはリメイクされて放映され続けている。

 

氏のエッセイや小説は読み返すごとに新しい発見があることにも驚くことがある。

 

 

───そうして、直木賞受賞後もシナリオにも積極的に取り組んでおられましたが、一年足らずの

 

間に取材旅行中の突然の死。 多くの人々に知られるようになってから、閃光のように駆け抜けた

 

作家人生を終えられた向田邦子さん。

 

 

作家って、どんなに売れている方であっても、亡くなってしまい新刊の著書が書店から消えると

 

もう忘れられていく方のほうが多いんですよね、どんなにベストセラー作家であってもネ。

 

私たちはもう新たな向田作品は読めないけれど、永遠に作品は読み継がれていくと思います。

 

   

 

 今はもう失われた懐かしい昭和のお茶の間光景そのままに、忘れないように大切に心の中に

 

しまっておきたい思い出のように───。

 

   

 

多磨霊園にて永遠の眠りについた向田邦子さん─── 永遠に─── 永遠に───

 

それでは今日はこれで・・・最後までお読み頂きありがとうございました。