1945年の夏、長崎で米軍の従軍カメラマンによって写された或る少年の写真があります。
場所は急拵えの露天火葬場で、直立不動で立ち痛い程に唇を噛み締めている少年が背負って
いる幼子は、一見すると ぐっすりと眠り込んでいると思いきや、実はこの子はもう───
【A Japanese boy standing at attention after having brought his dead younger brother to a cremation pyre, 1945】
10歳くらいに見えるひとりの少年がやって来た。背中に、赤ん坊を背負っている。
日本ではしばしば、子どもが背中に幼い弟や妹を背負って遊んでいるのを見かけるが
この少年は明らかにそうした子ども達とは違って見えた。彼はこの火葬場に何らかの
厳粛な目的を持ってやって来たように思えた。
裸足で、顔つきは険しかった。背中の赤ん坊はぐっすり眠り込んでいるように頭をがくりと
後ろに倒している。少年はそのまま5~10分くらい立っていた。
マスクをした火葬場の2人の男が、弟を背中からおろし、そっと炎の中に置いた。
眠っているように見えた赤ん坊はもう既に死んでいたのだ。
彼は黙って立ち続けていた。まるで、敬礼をしているかのように───。
炎が、彼の頬を赤く染めていた。彼は泣きもせず、ただ唇を噛みしめていた。
───そして何も言わず、立ち去っていった。唇には血がにじんでいた。
~~撮影者ジョー・オダネル氏の写真に寄せたコメント~~
※2017.08.09 長崎忌 →→→ マリア像ひとみ抉れたる長崎忌~被爆マリアを詠む
こんにちは、今日は八月の九日、日本にふたつめの原爆が長崎に投下された長崎忌です。
一枚の写真が訴えるものはどんな多くの言葉よりも大きい、というのはよくあることですが、まずは
TOPに掲げた長崎の少年の写真を御覧ください。「火葬場に立つ少年」というタイトルが付けられ
ています。或いは「焼き場に立つ少年」とも呼ばれているかな・・・。
そう、”火葬場”というよりも、昔ながらの”焼き場”と呼ぶ方がふさわしいかもしれません。
だって、まともな施設の整った火葬場なんて原爆で破壊され、近辺には存在しないんだから───。
【画像引用:長崎資料館 悲しき別れ - 荼毘(だび) 松添 博】
この絵に描かれている場所はまだましな方ではなかったでしょうか? 多くの人々は───
愛し子の屍を焼くと野に積みし
薪に火をつく音にも泣きつつ 益田美佐子
引用」『歌集 広島』1929(昭和24年)刊より
前回の記事でも引用した『歌集広島』からの歌ですが、長崎でも同じように、多くのご遺体は殆ど
野焼きに近い状態 で荼毘に付されたのではないかと。 そう、このようにして───
【原爆で亡くなった親の遺体を荼毘にふすhttp://www.y-asakawa.com/Message2018-1/18-message08.htm】
この少年の真剣な表情と真一文字に結んだ口元・・・目には一滴の涙すらない。
おそらくは泣きたいのをぐっとこらえているのでしょう。怜悧な面差しの中に強い意志さえも
感じられる少年の表情・・・少しでも気をゆるめたら泣き出してしまいそうな・・・
いや、泣いてはいけない。そう思って彼は唇をかみしめる。血が滲むほどにかみしめる───
直立不動で立つ姿勢の良さは、この脇に当てた手の表情でも分かるよね。
まっすぐに、身体の脇につけて指先にまで神経を行き届かせている。
そうして、身じろぎもせずに弟の火葬の順番を待っているんだよ───。
弟のために、まだ子どもである兄ちゃんひとりが立ち会う、たった一人の粗末な火葬式───
一輪の花すら手向けられない侘しい葬儀式。彼のお父さんは、おそらくは兵士として出征し、まだ
復員して来ないのか(或いは既に戦死している可能性もある)でも、お母さんは?
【破壊された浦上天主堂の”悲しみの聖母像”】
お母さんはどうしたのよ、ねえ? 他に誰かおとなの身内はいないの───?
8月9日に原爆が投下され、この写真が写されたのは翌月の9月なんだけど、もしかして───
───少年は身じろぎもせず、目も背けずに弟の火葬に立ち会う。たったひとりで。
幼い命に対する精一杯の思いと悲しみ或いは怒りなのか「敬礼をしているかのよう」な姿勢のままで、
目もそらさず炎の中から天に昇る弟を目に焼き付けていたのか。くちびるを噛み締めて───
私は、この少年の姿に底知れないほどの悲しみと、極限状態の中でも、泣いちゃダメだ!と
彼なりに誇り高く弟を送り出す直立不動の姿勢に人間としてのぎりぎりの尊厳を感じました。
よく映画や小説などの紹介文で「泣ける!」「涙が止りません」と賞賛される作品に対しては
殆ど無関心で「まあ、よくあるお話でしょ?」と嘯く私ですが、この少年の写真はダメだ・・・
写された背景と撮影者のコメントを読んだときには、恥かしながら、思わず机に突っ伏して
声を上げて泣いてしまったよ───。
ニュースでお聞きになられたかもしれませんが、2018年の年明けにローマ法王庁のフランシス法王
がこの「火葬場に立つ少年」の写真をカードにして自らサインをし”The fruit of war”というタイトルを
つけ、平和のカードとして参拝者に配布するように申し付けられました。↓実際はスペイン語ね
英語では”The fruit of war” 戦争の果実? ”果実”ってどういう意味を持つと思いますか?
このツィートに応えて、原口一博氏が以下のようにリツィートされています。
樹の生み出したものが”果実”だから、「戦争の果実」とは”戦争の生み出したもの”になるのね
あの少年の悲しみも、被爆者の苦しみもまさに”戦争の所産”なのだから───
なお、このカードは 日本語でも配布されているとか───
話が前後しましたが、↓新聞でも紹介されていたようですね。
【画像引用:https://s.webry.info/sp/38300902.at.webry.info/201801/article_6.html】
名前も分からない彼のその後の消息は途絶えたままです。
ただ一枚の写真の中で、永遠の悲しみに唇を噛み締め、止った時間の中で、今も私たちに
さまざまなことを訴えかけるばかり───
この写真を撮影した従軍カメラマンの故ジョー・オダネル氏(1922~2007)。 当時23歳でした。
【画像引用:https://nppa.org/news/1618】
次回の記事には(多分日曜日くらいに)このオダネル氏についての記事を書く予定です。
これといった予備知識もなく原爆投下後の長崎を訪れた彼は何を見て何を感じたのでしょう?
それでは、今日のところはこの辺で・・・最後までお読み頂きありがとうございました。