最初に断言しますが、にっぽんの夏はかなしみの季節です。私たちは、直接体験したことがなくとも
そのことを決して決して忘れてはいけないんだよね。年に一度であってもいい、心を新たにして考え
手を合せ祈りたいものです。そうしてお仏壇に水を。コップ一杯の水を───水を───
水求むる女学生の声やみて見返れば
眼を開きたるままかすかに痙攣しをり 板舛雪江
引用」『歌集 広島』1929(昭和24年)刊より
こんにちは、本日はカテゴリ的にはFavorite短歌になるのですが、敢えて”悲歌”としてみました。
過去記事のリブログも含め、再掲した部分もありますが、『歌集広島』の歌を軸としてお話しましょう。
(残念ながら、この歌集は絶版状態なので、関心の有る方は近隣の図書館等でお探しください)
記事タイトルに挙げた短歌は、昭和24年に刊行された『歌集広島』より引用させて頂きました。
広島で原爆投下の犠牲となった方々の体験した原爆投下後の苦しみが歌われ集大成された
歌集になります。 文字通りのナマの声、彼らがその目で見たものがそのまま描かれています。
【引用:広島平和記念資料館】
上手いとか下手とか、技巧の有る無しなどはさておき、体験した人でなければ詠めないような歌
ばかりですから、或いは、読んで気分が悪くなる!と仰る方もいらっしゃるかもしれません。
でも、これが被爆の実態であり、体験した方々が実際に見たものや実感なんだよね・・・。
もしも不快に思われましたら今日の記事はパスして下さいな。どうぞ宜しくお願い致します。
昭和二十年八月六日午前八時十五分。
人類史上初めて、都市とそこに生きる人々に向けて原子核爆弾が投下されました。
【米軍撮影による原爆投下直前に撮影された広島市内】
広島市上空約600メートルの地点で炸裂した原子爆弾のエネルギーの約35%が熱源と成り
地上を襲いました。爆心地付近では3,000~4,000℃に、1km付近では1,800℃にも───
なので、爆心地から半径500メートル以内では即死が約90%、11月までには98%もの方々が
死亡されています。半径1キロ以内でも即死率は約70%───
辛うじて命は取り留めたものの、想像を絶する熱源を浴びた人びとの苦しみを想像してみて…
と言われても、私たちの想像を超えた苦しみであっただろうとしか言えません。
全身に火傷を負うと、皮膚がだらとボロ布をまとったように垂れ下がってしまうんだ・・・
【引用:広島平和記念資料館 被災火傷を負った方を再現した人形】
おそらくは、声帯すらも焼け爛れてしまったのでしょう、まとも話も出来ず、ただ「あー」「あー」と
うわごとの様に呻きながら、手を前に出して幽鬼さながらにさまようばかり───
生ける身のままをやかれしその苦痛が
吾のからだに直につたはる 河野富江
引用」『歌集 広島』1929(昭和24年)刊より
─── ところで、どなたか頭の良い方、私に教えてください。
武器を持たない一般市民の頭上で原子核爆弾を炸裂させたのは、ジェノサイドではないのですか?
人間に対する、人類そのものに対する大いなる犯罪行為ではないのですか?
ユダヤの人々を虐殺したナチスは、収容所の看守レベルの人間に対してでさえ、人道に反する罪
として裁かれたよね? 原爆投下は人道に反する罪ではないのですか? 誰か裁かれたの?
原爆の責任裁判あって良し
戦勝国に罪無しとは人道にあらず 小森正美
引用」『歌集 広島』1929(昭和24年)刊より
人々は全身火傷をおい、「水を…」「水…」と悶え苦しみながら、なすすべも無く息を引き取った。
父は兵士として出征し、残されたのは母親と子どもたち、そんな親子にも原爆は容赦なく───
天満川浮ぶ死体は水ぶくれ
子供を背負ひし女もありて 吉田幸夫
引用」『歌集広島』1929(昭和24年)刊より
かろうじて設置された仮の救護所へ救いを求める方々も大勢いらっしゃったと思いますが・・・
焼けただれうみ噴く吾子の五体のせ
阿修羅の救護所に手押車引く 名柄敏子
引用」『歌集広島』1929(昭和24年)刊より
”阿修羅の救護所”! 餓鬼道、地獄道の阿修羅道ですか? 何の罪も犯していないのに!
焼け爛れた身体は、もう組織が死んでしまっているんだよね…夏のことでもあり化膿も早い。
治療? 何が出来るの? 何もかも物資も医薬品も不足している状態の中での惨劇です。
空襲はこれまでにも各地であったけれども、こんな威力のある爆弾は初めてであり、まともに
対応すら出来なかったのが実情だったのではないでしょうか?
火傷に対処できるのは油をぬるぐらいのことしか出来ない。それが精一杯の───
赤チンをぬりたる負傷者列なして
魚ならべし如く横たふ 森チヱ子
引用」『歌集広島』1929(昭和24年)刊より
いやいやいや・・・到底赤チンで対応できるような火傷ではなかったのですけれども。
焼けあとの仮救護所に蒸れてゐる
臭ひはげしき火傷膿汁 井上清幹
引用」『歌集広島』1929(昭和24年)刊より
戦時下の、ましてや仮の救護所でクーラーなどは有ろうはずもなく、腐敗臭のなかで苦しみながら
息を引き取った方々のことを思うと・・・まさに地上には死が満ちていたのです。
やけただれ丸太のごとくならびたる
人の死のむれ忘るる日なし 河野富江
引用」『歌集広島』1929(昭和24年)刊より
───群れをなす死! そこに人間としての尊厳はあるのでしょうか?
いや、尊厳ある死として扱ってもらえたのでしょうか? 単なる空襲ではない広範囲の原子核に
よる死の前に、ボロ雑巾のように丸太のように単に腐れ果てた有機物としてしか対応はできな
かったのかもしれません。 現在の災害による救出や死亡と同じようには考えないで───
大根を重ねる如くトラックに
若き学徒の屍を積む 平野美貴子
引用」『歌集広島』1929(昭和24年)刊より
ご遺体をトラックに積み込むシーンもよく歌に詠まれていました。
”大根を重ねるように”また”松の丸太”のように束にして積んでいったのでしょう───
さながらに松の丸太を積む如く
硬直せる死体トラックに積みぬ 名柄敏子
引用」『歌集広島』1929(昭和24年)刊より
想像してみてください。↓この束ねられた丸太の一本一本が、人間の失われた命であることを!
昭和20年8月6日の午前8時15分までは、あなたや私と同じく生きて生活していた人々の命を…
運ばれたご遺体は、空き地や広場でまとめて焼かれました。 他にどうしようもないでしょう?
第一、死者の数が多すぎて─── そうして、どんどん腐敗していくんだよ(泣)
路路に幾百の裸体むくろとなり
悪臭放つに息とめて歩く 西原三重子
引用」『歌集広島』1929(昭和24年)刊より
戦争中という非日常の中で、さらに原爆投下という非日常の中では ───
石油かけて人の山を焼く惨酷も
たたかひなれば省りみるなし 古川春子
引用」『歌集広島』1929(昭和24年)刊より
───ひとは生まれて来た以上は必ず死ななければなりません。
最底辺の庶民から王侯貴族に至るまでこの件に関しては全く同じなのですが、死に方にも様々な
死に方があります。老衰でロウソクの火が自然と消えるような死に方から、いのち半ばにして
病気・災害や事故によっても、他者からの暴力によっても、戦場での兵士の死も、自死も・・・。
しかしですね、原子爆弾の投下により即死あるいは大火傷を負って苦しみながら死ぬのは、
有史以来だれも味わったことの無い死に方だったのではないでしょうか。 その凄まじい苦しみ
も含めてね。単なる爆撃や空襲とは全く異なる、人類史上はじめての苦しみを───
また、辛うじて生き残ったところで、この焼け爛れた身体で火傷に苦しみ、或いは敗戦後の生活
の苦しみに、いっそ死んでしまえば良かったのに!と思う方々もいらっしゃったのでしょうね。
命のみ生きながらへて幸ならず
ある時は爆死を羨ともしみにけり 白島きよ
引用」『歌集広島』1929(昭和24年)刊より
─── また、一見すると自虐っぽいような?歌もありました。
一ヶ月も二ヶ月後も人間の束が積んでは焼かれ
お化けの束が積んでは焼かれ 増岡敏和
引用」『歌集広島』1929(昭和24年)刊より
これは・・・何とも凄まじいような自虐だ。
焼けただれ人間の姿とは思えぬようにまでに腐れ果てた同胞を「お化け」と呼び、それが薪を
束ねるようになっているのか、「お化けの束」と───
念のために付け加えておきますが、まあ確かに自虐っぽく歌っているけれど、嘲笑ではないよ。
決して嘲笑ではないんだよね。 この歌の底にあるものは───
怒りだ、凄まじい怒りだ! やり場の無い怒りだよ(号泣)
そうだよ、怒りだよ。こんな「お化け」のような姿にしたのは誰なんだ?! という怒り・・・
誰に向けて良いのか分からない怒り、顔の無い相手に向っての怒り───
─── 2016年8月6日の記事になります。お時間のゆとりがありましたらよろしく。
私は最初、被爆した方々が水を欲しがったのは、爆撃に依る火災や周囲の熱さで喉が渇いたので
水を欲しがったのか、と思っていたのですが、そんな単純な理由ではなかったのですね・・・。
被爆の際に想像も出来ない程の熱線が身体を突きぬけ、
体内の水分が全て一瞬の内に蒸発してしまったからだそうです。
想像できますか? そんな生理現象が・・・そんな現象は有史以来、誰も味わったことがないはず。
その結果として、想像を絶するほどの渇きが──
むろん、被爆した方々はそんなことは知る由もありません。ただただ、これまでに経験したことも無い
ような渇きに襲われ、うわごとのように「水を」「水…」「水をください…」としか───
しかも、このような状態の方に水を飲ませると、体内で急激な反応が起こり その場で即死してしまう
場合も多かったとか。 想像できる? 例えば、真っ赤に焼けた金属の上に水をたらすとジュッと
一瞬のうちに泡だって蒸発してしまいますよね。体の中でまた別の化学反応が起きるのでしょうか?
なので、生身の人間の身体は到底耐えられずに絶命してしまうのか───
広島原爆忌に長崎原爆忌、そして十五日の敗戦忌と日本人にとっては歴史の転換点ともなった
八月のこの時期です。 いま平和な時代(いつまで続くかわからないけれど!)に生きる私たちは
改めて、犠牲になった方々への祈りを捧げなければなりません。
──── そうして、せめてものお水を、犠牲になった方々の魂のために。
───今日はこれで終わりにいたしましょう。
次回の記事は9日、長崎へ原爆が投下された日ですから、やはり原爆関連の記事になる予定です。
永井記事を最後までお読み頂き、ありがとうございました。
【原爆投下は、「アメリカと日本を救った!」だと・・・? メディアの情報操作は日本もアメリカも同じなのでしょうか。
「アメリカは神に託されて慈悲深い行いをした」だと・・・?? そりゃあね、原爆の残虐性が広まるのはヤバイ!と考えた
からでしょうね。だからこその情報操作を行い問題を矮小化させ”人道に反する罪”から逃れようとしたんでしょうか?】