この度の梅雨前線による集中豪雨でお亡くなりになった方々を悼み、心よりの御冥福を
お祈り申し上げます。さらなる大雨も予測されますが、一日も早い復旧を望むばかりであります。
二次災害の恐れもありますので、該当地域の皆様はくれぐれもご注意下さいませ。
~灰色の猫~
さて、今日の句は───
「いのりおる こっかあんねい ほしこよい」と読んでね。 ちなみに「安寧」とは「社会の秩序が保たれ
平和であること」を意味します。今の私の願い事はこれだけです。(句としてはつまらないね)個人的な
望みや願い事は、まず土台となる国家の安寧あってこそだからね。なので、二の次でいいのさ!
こんにちは、本日の季語は「星今宵」(ほしこよい)・・・秋それも初秋の季語です。
「七夕」(たなばた)のサブ的な季語になりますが、秋と言われてピンと来ないでしょうか。
今日は七月七日で七夕の日ではありますが、本来は旧暦(約一ヶ月遅れ)で考えるのね。
俳句の季語も旧暦で季節を分けますから、七月・八月・九月が秋であると考えます。なので、七夕は
秋の季語になるわけですね。(但し、最近の歳時記では新暦で考えて夏の季語としているものもあり)
※2014・7・7 星祭 ( ^ー゜)σ オースティン読み終へ仰ぐ星祭
上に掲げた句に「オースティン」とあるのは英国の女流作家ジェーン・オースティンのことです。
これまでにも、記事の中で何度か彼女の作品に触れたことがありまして・・・
※2017・05・07 ラベンダー ( ^ー゜)σ ラベンダー摘めば少女の胸さわぎ
↑ 記事の後半の<おまけ>で『高慢と偏見』にふれています。 また、英国俳優アラン・リックマン氏の
追悼句として呼んだのが ↓ こちらですが、記事後半で氏の演じた『分別と多感』にふれています。
※2016・1・16 虎落笛 ( ^ー゜)σ 脇役に生きて徹して虎落笛~アラン・リックマン氏を悼む
さて、話を元に戻して「七夕」の関連した季語・子季語になると非常に多いんですよね
「棚機」と表記して「たなばた」、「棚機つ女」or「棚機津女」(たなばたつめ)、「七夕祭」「星祭」「星合」
(ほしあい)、「星迎」(ほしむかえ)、「二星」(にせい)「牽牛」(けんぎゅう)「織女」(しょくじょ)、「彦星」
「織姫」「七夕竹」「七夕流し」「願い糸」「五色の糸」「鵲の橋」(かささぎのはし)などなど多数・・・
ところで、この「願ひ糸」というのがちょっとピンとこないかもしれませんが・・・
これは、七夕の日に願いをこめて、竿の先に掲げて織女星に手向けた「五色の糸」のことです。
※2014・7・7 願ひ糸 ( ^ー゜)σ 願ひ糸たどれば浄土あるごとし
余り耳慣れない言葉ですが、青・黄・赤・白・黒の5種の色をした糸で、臨終のときに阿弥陀仏の像や
絵の手から、自分の手に掛け渡した糸のことで、この糸によって極楽浄土に導かれるとされていました。
一種の臨終作法・臨終行儀だったのです。
【これが願い糸です↑ 画像引用:https://hasunoha.jp/questions/2015】
つまり、この五色の糸が救済の象徴とされていたんですね。
そうして、この糸がやがて後世に なって、お願い事を書く短冊に変わっていったのです。
また、「鵲の橋」というのも??な季語ですが、これについても後述しますね。
七夕の季語は歳時記によって分類も多少異なっていますが、まあ一般的にはこんな感じ?かなと
捉えていただければOKです。俳句の季語の中では非常に物語性の強い季語のような気がします。
七夕は、旧暦七月七日の夜、またはその夜の行事を表します。
織姫と彦星が天の川を渡って年に一度合うことを許される夜、というのは御存知でしょう?
そうして、地上では七夕竹に願い事を書いた短冊を飾り、この夜を祝うのです。
七夕は「しちせき」とも読み、五節句のひとつにもなっています。
「節供」とも表記しますが、伝統的な年中行事を行う季節の節目(ふしめ)となる日ですね。
陰陽説では、奇数が陽で偶数を陰と考えられています。そのため、古来より奇数は縁起の 良い
数字とされ、奇数が重なる日はおめでたいとして節句になりました。
(さて、以下は2014年7月7日にアップした記事の殆ど再掲となります。興味のある方はどうぞ♪)
七夕の起源は古代中国の「乞巧奠(きっこうてん)」という星祭の行事で、これは技芸上達、
また、お裁縫が上手になりますようにと祈り、五色の糸や針をお供えする祭事でした。
日本には奈良時代の頃に伝わり、宮廷行事としてスタート。
祭壇を設けてお供え物をして機織りや裁縫、技芸の上達を祈りました。
この祭壇の傍らに立てたのが笹竹・・・織姫と彦星へのお供え物の目印の為でした。
笹竹を使ったのは、古来より日本では笹・竹が神聖なものと考えられてきたからでは?
天に向かって真っ直ぐに伸びる力強さは生命力に溢れ、祖霊や神様が宿る依代としてふさわしい
と考えられたのではないかしら?そうして、その笹竹に五色の織り糸を掛けたのが七夕飾りの始
まりになりました。これがほぼ室町時代・・・
その後は時代を下る毎に、古くからの日本の習俗と混ざり合い 現在のよう形式になったのが
江戸時代に五節句の一つと定められてからですね。
【豊原周延 七夕之図】
ちなみに、この”古くからの日本の習俗”というのは、季節が夏から秋に変わる頃に、
「棚機女(たなばたつめ)」と呼ばれる少女が、人里離れた水辺の棚の中で機(はた)を織りな
がら、水の上を渡って訪れる神様を待つという言伝えです。
なので、七夕(たなばた)の語源は「棚」と「機」で「たなばた」となったわけ。
現在の七夕祭は 中国の「乞巧奠」+日本の「棚機女」伝説がミックスされたものね。
さて、こうして全国的に普及してからは竹飾りも飾られるようになり、初めは五色の願いの糸を
垂らすだけだったのが、元禄頃から短冊をさげ、吹流しも付けるようになってきました。
【歌川広重 市中繁栄七夕祭】 【歌川国芳 七夕】
朝廷や将軍家ならば 立派な祭壇でお祭も出来ますが、普通の庶民にとっては 笹竹はお手軽だし
縁起もいいからと思われたからかなあ?
こうして天の川を挟んだ彦星と織姫が年に一度デートするのですが、この天の川をどうやって渡る
と思います? これはちょっとしたクイズですね。
川だから、舟か筏に乗るかと最初考えたかな? それともこの夜だけ橋が掛かるとか?
答えはネ・・・鳥に乗って行くんですよ♪ 但し、空を飛ぶのではありません。
その鳥は鵲(カササギ)で、日本の『古事記』によると この日には鵲が無数にやって来て、
天の川に橋を掛けます。その橋を彦星が渡って織姫に逢いに行くんですって。
なので「鵲の橋」という言葉も季語になっているんですよねー。
七夕に関しては歴史が古いだけあって、さまざまなエピソードがあるのですが、意外と勘違い
しやすいのは、この遠距離恋愛中の恋人たちのような織姫と彦星、実は夫婦なんですよ♪
では、何故離れ離れになってしまったかといえば・・・
【月岡芳年「月百姿 銀河月」】
独身時代、彦星も織姫もとても働き者でした。織姫はせっせと機を織り、彦星も勤勉な働き者。
なのに、結婚した途端にラブラブ状態でw 働くのをやめてしまったから。
お互いにもう夢中になってしまったのね (←オイオイ・・・/(^◇^;) そんな二人を見て
怒った天帝(織姫のパパ)が罰として二人を引き離し、天の川の向こう岸と此方の岸に。。。。
なので、逢えるのは年に一度だけになってしまったわけです。
ちなみに、この二人の星は織姫(織女星)が琴座のベガで、彦星(牽牛星)は鷲座のアルタイル
この星たちは旧暦七月七日に天の川を挟んで最も光り輝いているように見えるので、遥か古代の
中国の人々は、この日を年に一度のめぐりあいの日と考え、こうした伝説が生まれたのでしょう。
子ども時代、七夕の夜はお天気がとても気になりました。
だって、雨降りだったら織姫様と彦星様が逢えないのでは?と小さな胸を痛めたものですw
実は、この点については諸説あるのですが、七夕の日に雨が降ると、天の川の水かさが増して
渡る事が出来ず、逢えないというもの。
ところが、同じ七夕の雨でも、お隣の韓国では、これは二人が再会できて嬉しさの余りに涙を
流しているからだと考えられているの♪ なので、雨が降ったら韓流式で考えましょうか?
大丈夫だよ、ふたりはちゃんと会えたのだから、と考えて・・・
また、伝統的な七夕は今夜ではなく新暦では八月七日なので、今日はプレ七夕と考えて
来月の本番のお天気に期待をかけるという手もありますよね。
今日はアメブロさんの企画、「七夕のお願いは何?」に乗っかってみました。
記事の始めに書いたように、私の望みはただひたすらに”国家の安寧”、これであります。
だって、昨今の日本を取り巻く状況を考えてみれば、とうてい安寧とは言い難い現状ですから。
例えば朝鮮半島有事の際には日本も無傷ではいられません。それなのに・・・
また、日本にふりかかる可能性のある危機は朝鮮半島だけではないのも御存知でしょう?
現行では、相手が攻撃を仕掛け、こちらが被害を受けないと何も出来ないのです。
そのことは周辺諸国よーく分かっています。いくら挑発しても日本は何も出来ないって・・・
要はネ、馬鹿にされてるってこと! なめられてるんだよね。
まあ、馬鹿にされるのがお好きで、心優しく寛大な方もいらっしゃるかもしれないけれど・・・
しかし、それは御自身が直接的な被害をまだ受けていないから寛容である、とも言えるんだけどね。
それとも”話し合い”という綺麗ごとだけで相手を変えられると信じていらっしゃるのでしょうか?
しかし、まともに話し合いの出来る相手と出来ない相手がいる んだよね。
そもそも、まともな民主国家とはいえない国が何故か日本の側には多いしねえ?
戦後70年以上もの間、アメリカの核の傘の下で、私たちは”平和で当然、これが通常運転でーす”と
刷り込まれてしまったのでしょうか? 何もしなくとも現状のままでヘイワだからいいんじゃない?と・・・
厄介なことに、政治家ですらそう思う連中がいるし、また、わざと ・・・(以下省略)
私たちが、そんな風にのんびりしている内に、日本国内に於いて、おかしな輩どもがはびこるように
なってしまったよね。そうして、ひたすら日本を弱体化させようと画策している。
最近では、もうその正体を隠そうともしていない。それだけ、切羽詰まっているのでしょうが・・・
マスメディアの暴走ぶりを見ると、それは非常によく分かる。もう、何をしでかすか分からないね。
”日本”がとこしえに”日本”であるためには、私たちはどう意識すれば良いのでしょうか。
”神意”のままに在って欲しいのですが、おかしな”人意”がこの国を滅ぼそうとしている。
さて、例によって長くなり過ぎたのでもうお終いにしますけれど・・・
七夕の夜に、あなたは星に何を願うのでしょうか。
なんだか、まとまりのない記事になってしまいましたが、今日のところはこれで終わりにしましょうか。
それでは、この辺で・・・またね。