茅の輪の焼納
つまり、
ずっと雨予報でした、5日、6日の宇出津の祭りは、還幸(お神輿の入り宮)の7日の朝まで全く雨が降らなかったのは、奇跡に近く、
翌、月曜日は土砂降りの雨の中、井戸を埋める前のお祓い(埋井祭)をご奉仕いたしました。
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もう、袴も狩衣も、ドロドロです。
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齋館に干してあった狩衣は、今日たたんで仕舞おうとしましたが、まだ濡れていました。
それだけ、ものすごい雨なのですが、
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今しかないっ!
と、茅の輪を焼納いたしました。
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日曜日の明け方、宇出津から帰ったら、そのまま寝て、
夕方、女房と一緒に、枠組からは外していたのですが、その日は風が強くて燃やせず、
昨日、あらためて塩でお祓いし、点火いたしました。
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本来は、このご神火を松明に移して、羽黒神社の裏の田畑をまわり、夏の災禍と害虫を送る「虫送り神事」が、戦後まもなくまで行われていて、
つまり、水無月の祓~茅の輪くぐりに引き続き、この、茅の輪に火を灯すところまでが神事なのであります。
留守中に、復興祈願の夏御朱印が残り少なくなっておりましたので、追加墨書をしておりましたら、
ん?
復興の兆しであってほしい
正直申し上げまして、
社殿も神輿もつぶれてしまっている当社にとって、神幸祭(神輿渡御を伴う祭)は、当面、絶望的であります。
それよりも、何よりも、
祭に参加すべき氏子の大半が避難や移住で、地元にいません。
しかし、
それでも、この年に、宇出津の祭が開催されたことは、多くの方に希望を与えたことと存じます。
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午後10時からの還幸の渡御も、2~3軒少ないです。
被災中の祭りの記
能登町宇出津鎮座、八坂神社あばれ祭り奉仕の記でございますが、
前記事のとおり、帰宅したのは午前3時半。
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眠い目をこすって運転し、正院に着いたらまず羽黒神社にお参りし、
仮設住宅に着いたら、薄暗い明かりを点けて、とりあえず缶ビールを一本だけ空けて、お昼くらいまで爆睡しようと思っておりましたが、
そこは、自宅の寝室で寝てるのと違って、狭い部屋で雑魚寝状態ですから、当然、朝になったらみんな起きてきて、テレビは点いてるわ、嫁姑の会話はうるさいわで、とても寝れた状態ではなく、
夕方、女房と一緒に茅の輪の片付けをしたんですこどね、
それ以外の時間は寝るでもなく起きるでもなく、結局、一日使い物になりませんでした。
その宇出津祭りですが、
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被災地ゆえ、無茶は承知のうえで、
当然、開催までは賛否両論だったそうですが、
これも、復興祈願!
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つまり、宇出津だけのためではなく、いまだ震災の傷が大きいままの、奥能登全体の復興のためであります!
八坂神社の例祭は午前7時半からで、
そうしますと、車で片道40分の私は6時には家を出なくてはならず、朝は5時に起床しまして、
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宇出津に入る手前の道路は数十メートル下に激しく陥没していて、いまだ片側通行の道を通り、
キリコ(切籠=お神輿の夜渡御のお明かし)を出さない(出せない)町内や、町会ごとお祭りに参加しない町内も複数ありました。
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それでも、
すでに住むことは叶わず、解体を待つお宅でも、わざわざ屋内を片付けて、避難場所から自宅に戻り、八坂大神を自宅に招き入れるお宅も複数ございました。
とにかく暑いっ!!
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雨が降らなかったのが救いです。
初日は午後6時ころまで、神職が祝詞兼笛と太鼓で二人づつ交代で奉仕。
初日の渡御終了後に、旧役場前では、松明のもと、先祓いのキリコの乱舞がありますが、
我々はヘトヘトで社務所に引っ込んでおります。
後半へ続きます。