被災中の祭りの記
能登町宇出津鎮座、八坂神社あばれ祭り奉仕の記でございますが、
前記事のとおり、帰宅したのは午前3時半。
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眠い目をこすって運転し、正院に着いたらまず羽黒神社にお参りし、
仮設住宅に着いたら、薄暗い明かりを点けて、とりあえず缶ビールを一本だけ空けて、お昼くらいまで爆睡しようと思っておりましたが、
そこは、自宅の寝室で寝てるのと違って、狭い部屋で雑魚寝状態ですから、当然、朝になったらみんな起きてきて、テレビは点いてるわ、嫁姑の会話はうるさいわで、とても寝れた状態ではなく、
夕方、女房と一緒に茅の輪の片付けをしたんですこどね、
それ以外の時間は寝るでもなく起きるでもなく、結局、一日使い物になりませんでした。
その宇出津祭りですが、
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20240707/23/hagurotetsu/6d/06/j/o0810108015460585276.jpg?caw=800)
被災地ゆえ、無茶は承知のうえで、
当然、開催までは賛否両論だったそうですが、
これも、復興祈願!
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つまり、宇出津だけのためではなく、いまだ震災の傷が大きいままの、奥能登全体の復興のためであります!
八坂神社の例祭は午前7時半からで、
そうしますと、車で片道40分の私は6時には家を出なくてはならず、朝は5時に起床しまして、
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宇出津に入る手前の道路は数十メートル下に激しく陥没していて、いまだ片側通行の道を通り、
キリコ(切籠=お神輿の夜渡御のお明かし)を出さない(出せない)町内や、町会ごとお祭りに参加しない町内も複数ありました。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20240707/23/hagurotetsu/48/96/j/o1080081015460585294.jpg?caw=800)
それでも、
すでに住むことは叶わず、解体を待つお宅でも、わざわざ屋内を片付けて、避難場所から自宅に戻り、八坂大神を自宅に招き入れるお宅も複数ございました。
とにかく暑いっ!!
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20240707/23/hagurotetsu/16/73/j/o1080081015460587897.jpg?caw=800)
雨が降らなかったのが救いです。
初日は午後6時ころまで、神職が祝詞兼笛と太鼓で二人づつ交代で奉仕。
初日の渡御終了後に、旧役場前では、松明のもと、先祓いのキリコの乱舞がありますが、
我々はヘトヘトで社務所に引っ込んでおります。
後半へ続きます。