被災中の祭りの記 | 羽黒神社宮司のブログ

被災中の祭りの記

能登町宇出津鎮座、八坂神社あばれ祭り奉仕の記でございますが、

前記事のとおり、帰宅したのは午前3時半。


眠い目をこすって運転し、正院に着いたらまず羽黒神社にお参りし、

仮設住宅に着いたら、薄暗い明かりを点けて、とりあえず缶ビールを一本だけ空けて、お昼くらいまで爆睡しようと思っておりましたが、

そこは、自宅の寝室で寝てるのと違って、狭い部屋で雑魚寝状態ですから、当然、朝になったらみんな起きてきて、テレビは点いてるわ、嫁姑の会話はうるさいわで、とても寝れた状態ではなく、

夕方、女房と一緒に茅の輪の片付けをしたんですこどね、
それ以外の時間は寝るでもなく起きるでもなく、結局、一日使い物になりませんでした。

その宇出津祭りですが、
被災地ゆえ、無茶は承知のうえで、
当然、開催までは賛否両論だったそうですが、
これも、復興祈願!
つまり、宇出津だけのためではなく、いまだ震災の傷が大きいままの、奥能登全体の復興のためであります!

八坂神社の例祭は午前7時半からで、
そうしますと、車で片道40分の私は6時には家を出なくてはならず、朝は5時に起床しまして、
宇出津に入る手前の道路は数十メートル下に激しく陥没していて、いまだ片側通行の道を通り、

白山神社宮司が兼務する八坂神社へ。

宮司が体調不良のため、私は助勤奉仕というより、宮司代理です。

宇出津あばれ祭りは、2社の氏神、白山、酒垂両社の氏子がそれぞれお神輿を奉じ、それぞれ八坂の神の御霊を奉齋して、互いの氏子を渡御する特異なお祭りで、
例祭を奉仕し、御霊遷しの後、渡御(神幸祭)。


お神輿を一軒一軒お宅前に着けて、神職は座敷に上がって神事を奉仕いたします。

地震被害の度合いは、珠洲正院から見れば、格段に低いとはいいつつ、それでも深刻な状態がいくつもあります。

お神輿をご招待するお宅も、例年よりはかなり少なく、
キリコ(切籠=お神輿の夜渡御のお明かし)を出さない(出せない)町内や、町会ごとお祭りに参加しない町内も複数ありました。

それでも、
すでに住むことは叶わず、解体を待つお宅でも、わざわざ屋内を片付けて、避難場所から自宅に戻り、八坂大神を自宅に招き入れるお宅も複数ございました。

人々の、復興への願いが、そこかしこに見てとれるお祭りでございました。


それにしても、

とにかく暑いっ!!


日差しは緩やかなものの、湿度が80~90%
雨が降らなかったのが救いです。

初日は午後6時ころまで、神職が祝詞兼笛と太鼓で二人づつ交代で奉仕。

初日の渡御終了後に、旧役場前では、松明のもと、先祓いのキリコの乱舞がありますが、
我々はヘトヘトで社務所に引っ込んでおります。

後半へ続きます。