羽黒神社宮司のブログ -1487ページ目

だらぼちのムジナ

だらぼち(だらぶち)=
珠洲のことばで「ばかもの」とか「おろかもの」とかいう意味です。

羽黒神社宮司のブログ

ある日、村のはずれの松の木に一匹のムジナが首に縄かけてブラさがっとってんと。
村のもんな集まってきて、ムジナは「見とらんとはよ助けてくだいま」って泣いて頼むもんやさかい、木から降ろいて
「なしてこんなことになったがや」って聞いたら…こんながや。

村の与一とおいとがねんごろになってもて、ほのうちおいとはお腹でこなってもたがや。
与一は「とうとやかあかに知れたらただですまん。一緒に死なんか」
ていうて、夜さり(夜中)松の木で落ち合って、枝に縄かけて二人いっしょに飛んだがや。
ところがおいとは枝がしなって足が地面についてもて死なれなんだ。
与一を見たらムジナになってジタバタしとるもんで、おいとはびっくりして逃げてんと。

どうも与一は死ぬがおとろしいなって逃げたらしいげけど、ほれ見とったムジナはおもしがって(面白がって)与一に化けとったがや。

村のもんなあきれて
「これに懲りてほっで(これで)人ばかすなや」って言うて逃がしてやったて話や。


珠洲のむかしばなし⑥ですが…

この後日談が伝わっておりません。
本物の与一は見つかったのか? おいとが身籠った子供は??

せっかく授かったわが子を虐待したり、死なせたりするとんでもない親が連日ニュースで報道されております。
へその緒がついたままの子を捨てた親もいるみたいですね。

この話のその後ですが、希望としては、
与一が見つかってみんなからこっぴどく怒られる→結婚して子供が産まれる→せっかく助かった命だから大切に育てる
…だといいんですが。
流れ的にそうなっても、与一は逃げたことで一生おいとに頭が上がらず尻に敷かれてそうですな…

雅楽会 練習再開しました

例年2月中は積雪があると境内に駐車することも儘ならず、ひと月だけ練習をお休みしていますが、3月に入ってようやく再開いたしました。
$羽黒神社宮司のブログ-鞨鼓


雪らしい雪が降らない昨今ですが、よく降りましたね~今年は…

4日の木曜日は大人が私を含めて3名、子供が3名の6名が参加。
当家の長女を含め受験生組はもうしばらくお休みです。

久しぶりなので、まずは基本の平調(ひょうじょう)から、五常楽急(ごしょうらくのきゅう)と陪臚(ばいろ)。

なかなか上手いので、調子に乗って(けっこうむつかしい)盤渉調(ばんしきちょう)の千秋楽(せんしゅうらく)、つづいて壱越調(いちこつちょう)の武徳楽(ぶとくらく)。

羽黒神社宮司のブログ-正院町雅楽会

うううん、なかなかのもんです。
(中3組がいないとみんなマジメだったりして…)

一番年下の子らも4月から6年生ですからね~
なんやかんやいって落ち着いてきました。

しかし「学校が忙しすぎる」とかで、今一つ集中というか思いっきり練習出来ない、って感があるようです。
小学生でも最年長学年は忙しいみたいです。

練習の合間に中学生のIちゃんと話していたんですが、なんでも不登校の子が何人かいるようで「おかげで3時間分その話ですよ!どう思います?」だって…
いじめとかはないみたいなんですが、どうしたもんですかね。

今月19日は羽黒神社の祈年祭奉仕。来月19日は春季の例祭で浦安の舞もあります。春休みに入ったら舞の練習もあります。

頑張っていただきたいものです

古塚の婆さま

普段はジオログ で書いておりますが試しに転載いたします。




羽黒神社宮司のブログ-古塚の婆さま


飯塚村から小路、正院まで流れとる飯川(ままがわ)の上流に古塚(こづか)ていう山があるがや。
山ていうても丈は3~4間(6~7m)の椀をひっくり返したみたいなちょんこい(ちいさな)山や。

ここに山の婆さまてが住んどってな。
おるてがわかっとんげけど(居るのはわかっているが)、だれも姿見たことなかったがや。

山の婆さまは飯塚の村のもんのいうことなら何でも聞いてくだす(聞いて下さる)がで、
たとえばものごと(法事などの宴席)ある時に「婆さま、膳と椀3人前貸してくだし」ていうと、次の朝古塚の前に3人前ちゃんと置いてある。
また食う米ないときゃ、「婆さま、米1斗貸してくだし」ていえば、やっぱり次の朝ちゃんと1斗置いてある。

ただ、膳や椀はものごとが終わったら、米は新米採れたらちゃんと古塚の前に返すげったと。

ある時在所のもんな椀と米借りて、いつまでたっても返さなんだがや。
ほしたら婆さま怒ってもて、あいそつかして佐渡の方へ行ってもたげと。

明くる年の元日に川に古塚の方からしゃもじひとつ、椀ひとつ、飯(まま)一握りが流れて来たもんで、ほれからこの川のこと「飯川(ままがわ)てよぶようになったがや。



珠洲のむかしばなし⑤でございます。

飯川は羽黒神社の東100メートルほどで、北から南へ流れる小さな川です。
6月30日の夏越大祓式(なごしのおおはらえしき)では、茅の輪くぐりの後、氏子各々の罪穢れを託した人形(ひとがた)を流して祓(はらえ)の神事を行う川であり、昭和の初年までは「虫送り神事」で夜半、田んぼの害虫をおびき寄せた藁松明を投げ込む川でありました。

羽黒神社宮司のブログ-tinowa 羽黒神社の茅の輪くぐり


虫送り神事(古麻志比古神社)羽黒神社宮司のブログ-虫送り神事



羽黒神社宮司のブログ-河原の祓い

            田んぼの災いを移した松明を川に投げ込む


このお話は全国にある、いわゆる「椀貸し伝説」ですね。
だいたい、ある時椀を返さなかった不心得者がいて、それ以来椀を貸してくれなくなったというのが多いようです。

しかし、怒って佐渡へ行ってしまった…というのは面白いですね。

ちなみに羽黒神社は本宮の出羽三山から海路で佐渡を経て当地へ勧請されたと伝えられています。
佐渡にも羽黒神社が鎮座していて、出羽から佐渡へ来る途中船に穴があき、そこに鮑(アワビ)が貼りついて穴をふさいで助かったため、お礼の意をこめて氏子は鮑を食べないそうです。

当羽黒神社にはそのような伝承はないのですが、当家の食卓にアワビのような高級食材が並ぶことはまずあり得ませんので…どっちでもいいか…