古塚の婆さま
普段はジオログ で書いておりますが試しに転載いたします。
飯塚村から小路、正院まで流れとる飯川(ままがわ)の上流に古塚(こづか)ていう山があるがや。
山ていうても丈は3~4間(6~7m)の椀をひっくり返したみたいなちょんこい(ちいさな)山や。
ここに山の婆さまてが住んどってな。
おるてがわかっとんげけど(居るのはわかっているが)、だれも姿見たことなかったがや。
山の婆さまは飯塚の村のもんのいうことなら何でも聞いてくだす(聞いて下さる)がで、
たとえばものごと(法事などの宴席)ある時に「婆さま、膳と椀3人前貸してくだし」ていうと、次の朝古塚の前に3人前ちゃんと置いてある。
また食う米ないときゃ、「婆さま、米1斗貸してくだし」ていえば、やっぱり次の朝ちゃんと1斗置いてある。
ただ、膳や椀はものごとが終わったら、米は新米採れたらちゃんと古塚の前に返すげったと。
ある時在所のもんな椀と米借りて、いつまでたっても返さなんだがや。
ほしたら婆さま怒ってもて、あいそつかして佐渡の方へ行ってもたげと。
明くる年の元日に川に古塚の方からしゃもじひとつ、椀ひとつ、飯(まま)一握りが流れて来たもんで、ほれからこの川のこと「飯川(ままがわ)てよぶようになったがや。
珠洲のむかしばなし⑤でございます。
飯川は羽黒神社の東100メートルほどで、北から南へ流れる小さな川です。
6月30日の夏越大祓式(なごしのおおはらえしき)では、茅の輪くぐりの後、氏子各々の罪穢れを託した人形(ひとがた)を流して祓(はらえ)の神事を行う川であり、昭和の初年までは「虫送り神事」で夜半、田んぼの害虫をおびき寄せた藁松明を投げ込む川でありました。
田んぼの災いを移した松明を川に投げ込む
このお話は全国にある、いわゆる「椀貸し伝説」ですね。
だいたい、ある時椀を返さなかった不心得者がいて、それ以来椀を貸してくれなくなったというのが多いようです。
しかし、怒って佐渡へ行ってしまった…というのは面白いですね。
ちなみに羽黒神社は本宮の出羽三山から海路で佐渡を経て当地へ勧請されたと伝えられています。
佐渡にも羽黒神社が鎮座していて、出羽から佐渡へ来る途中船に穴があき、そこに鮑(アワビ)が貼りついて穴をふさいで助かったため、お礼の意をこめて氏子は鮑を食べないそうです。
当羽黒神社にはそのような伝承はないのですが、当家の食卓にアワビのような高級食材が並ぶことはまずあり得ませんので…どっちでもいいか…