ポルトガル旅行記2016(13)発見のモニュメント到着 | たびぶくろツアー☆

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とあるオッサンの手慰み



2015年

12月30日


ポルトガル

リスボン



 フィゲイラ広場で15番の市電に乗りこむ。
乗客のほとんどが観光客で、始発から満員状態。

 外は小雨が降ったり止んだり…
電車の中は湿度が高くて蒸し風呂状態…
内側の窓ガラスが、びっちり水滴で覆われ
時折テレ~と流れ落ちていく。
がっつり冬服のおれ汗だく。

 乗り込んで約30分
ジェロニモス修道院前で降りて
発見のモニュメントのあるテージョ川沿いに向かって歩いていく。

 風が強くビュービュー吹いて
木の枝がざわついている。
カモメが斜めになりながら、おもちゃのようにすっ飛んでいく…

 さっきまで蒸し風呂状態だったので
この風がちょうキモチイイ。

 ジェロニモス修道院に並ぶ観光客の長蛇の列を横目に
「ここを観光したい奴は早目に来ないとダメだな」
とイベリコと話ながら歩いていると見えて来た発見のモニュメント。
 






目の前には横断歩道のない道路が横切っていて
車がバンバン走っているが
近くに地下通路があるので、そこを通って発見のモニュメントへ。




 ハトかと思ったらカモメだった…
この辺はカモメだらけ。









モニュメントの足元には世界地図が拡がっていて
各国の観光客が写真を撮っていた。
どこの国出身かよくわかる風景に出会える。
発見のモニュメントの展望台(入場料4€ 約520円)から見下ろすと
全体がよく見渡せるらしい。
おれたちはケチって地上からの見学のみ。


ジパング発見の年は1541年になっている。
種子島に漂流したのは1543年
その前(1541年)にどうやら豊後へ下見に来てるらしい。
だから種子島に漂流して鉄砲を伝えたってのも
偶然ではなく、初めから鉄砲を売るのが目的だった。
最近では中国の商人「王直」といっしょに乗ってきた説が有力。















鉄砲もアジアで製造したものだったらしいし
なかなかしたたかだな、ポルトガル。


 キリスト教宣教師が尖兵となり日本を占領する意志があると
当時、対日貿易のライバル国であったオランダの密告により
ポルトガルは出島のみで日本国内の入国を禁じられる。
 オランダは貿易のみで宗教(キリスト教宣教師)は入れないことで貿易を許された。
1639年ポルトガルと日本は断交、1953年両国の国交は回復したが
今もなお、日本にとってポルトガルっていろんな意味で遠い国だな…







いつのまにか
カモメを引き連れて、カモメ散歩イベリコ。