人に歴史あり その3 | 萩原大介のShortStory

萩原大介のShortStory

シンガーソングライター ハギワラダイスケ オフィシャルブログ

ベーシスト藤原君から電話があって。

当時、桜新町という駅の近くに住んでいたんだけどその駅前のミスタードーナツで初めて会った。
その当時作った最新の曲2曲を入れたテープを渡した。

すぐに「一緒にやりたい」って言ってくれて
顔見知りだったドラマーを誘い3ピースで
cublic-setts(キューブリックセッツ)
というバンドをスタートさせる。

だが…ライブを始めるも
下北沢のライブハウスのオーディションをうけまくり、落ちまくる。
(今思うと当時のオーディションは敷居が高すぎた…いや俺たちが下手すぎたのかも)
思い出すとこの頃、激しい曲が多かった。

そして半年くらいで初代ドラマー早くも脱退。


知り合いの縁で新ドラマー榎原氏すぐに加入。

その後オーディションを受けた
渋谷Lamamaで当時の店長に絶賛され無事にライブ活動開始。
ここからかなりの曲数を作り、レコード会社の関係者がよく見に来るようになる。
が…
「君は聴いてて気持ちの良い声をしてるね。あ、でも期待しないでね。」なんて言われてあっさり終わる。


最初の頃に落ちまくった下北沢のライブハウスにも無事出演を開始。
ハイラインレコーズという、インディーズバンドの音源を販売してたレコード屋でデモ音源が100本くらい売れる。


その後、これまた縁があってギタリスト冨田君が加入し4人組のバンドとなる。

ライブ活動のさなか、ドラマー榎原氏脱退。

メンバー募集の末にドラマー井上君加入。

この後、初めてちゃんとしたレコーディングを経験。
初の全国ツアーを行う。


メンバー出費の多さにボロボロになりながらも
初の主催イベント開催。
初めてのアンコールを経験し図に乗る。

この頃のホームとしてお世話になっていたのは
下北沢club251と下北沢GARAGE
本当にお世話なった。

ツアーの頃、他の地方より圧倒的にリアクションが良かった新潟県にもよく行くようになる。


とあるオーディションに合格し、
ディレクターと少しケンカしながらもESPのレーベルからシングル「ストロボ/ユーフォリア」を全国リリースする。
初のMV撮影も経験。
(YouTubeでcublic-settsを検索してもらうと見れます)

この頃、初のテレビ出演なんかも経験。


更に過酷な全国ツアーに出る。
6日間連続ライブの中日で機材車故障。
車で出かけて電車で東京に帰る。


後にドラマー井上君脱退。
(このバンドはドラマーが結構変わっていた)

解散までのメンバーとなる
ドラマー谷君加入。

変わらずお世話になっていた
下北沢club251、下北沢GARAGE、
下北沢SHELTER、
それと渋谷クレストあたりでライブ活動。

色々あって…2007年12月に解散。



個人的にこの頃、音楽自体辞めて機材類も全て売ってしまおうと思った。
けど、
やっぱり音楽がないと、歌を歌っていないと
自分が自分でなくなるような、そんな気がして1人で続けてみようと動き始める。


バンド解散当時、大ファンだったZEPPET STOREの五味さんや
下北沢GARAGE店長だった出口さんにも励まされる。

…その4に続く。