ユニコーン好き、奥田民生好きが高じて
レスポールというエレキギターのコピーモデルを購入。
ただ単純にレスポールが欲しかっただけでギタリストになりたいとか、歌を歌いたい、とかも全くなかった。
このギターは今でも部屋にありますが
手に入れた時はメチャクチャ嬉しかったのをよく覚えています。
で、
ギター買ったからにはやっぱ弾けるようにならないとなぁ…って思って、とりあえず闇雲に毎日弾き続けていた。
そのうちギターコードに興味を持って、新しい響きを発見するのが楽しくて仕方なかった。
ディミニッシュコードってこんな響きなんだなぁ。なんて、感動してる
そんな高校生。
で、今度は色んな曲のコード進行に興味を持って弾いて鼻歌をふんふん歌いながら練習して。
自分の曲を作ってみよう。
となったわけですね。
関西の高校を卒業し、18歳~36歳まで18年間東京で暮らしておりまして。
その18年間、バンド活動を中心に音楽のことばかりを考えていた。
曲を作ったり、歌を歌ってる時だけ生きてることを実感できたような、そんな気がしてました。
(自分の曲で「ダイアリー」という曲があるんだけど、この曲の歌詞はなんとなくこの頃のイメージで書いた。君、ってイメージは架空だけど。)
最初は本当に何もない状態だったので
曲作りし、練習し、メンバー募集をひたすら続ける。
という毎日をバイトの傍ら続けました。
その中で見かけたオーディションに応募したり。
ソニーからは曲を聴いた感想が返事で届いたっけ。(今思うとなかなかないことだと思う)
当時は今より、シュールで意味の分からない歌詞を書いていたので
「歌詞は面白いねぇ」
なんて、とある音楽事務所の人に言われたこともあった。
まぁでも結局何にも繋がらず
「とりあえず曲をたくさん作って、できたらまた送ってね。」で終わる。
そんな感じ。
この頃、ドリカムが所属してた事務所の人にも曲を聴いてもらったっけ。
それからもしばらく同じようなことをずっと繰り返す。
アマチュアバンドのボーカルオーディションにもよく行った。
(早い話、ボーカル以外は揃っててオリジナル曲もある状態のバンドね)
正直あまりうまくいかなくて
「声はいいんだけどねぇ…」とか言われて終わってた。
まぁ…B'zの稲葉さんみたいなボーカル探してるバンドとかもいたし、そりゃあハマるわけがないけど。
その中で一つだけ、曲を褒めてくれて
「スタジオで合わせてみたいから来てくれ」
って言われたバンドがいた。
あの時は本当に嬉しかった。
「やっと認めてくれる人が現れた!」って。
何かが起こりそうな気がした。
…何も起こらなかったけども。
ギター、ベース、ドラムの3人で曲は確か5曲くらいあって。
「歌詞つけてきて」
って言われたので書いてギターも練習してテレキャスターを持ってスタジオへ行った。
この3人、平均年齢は30歳くらいだったのだけど
当時まだ19歳だった俺からしたら演奏がめちゃくちゃ上手かった。曲も良かった。
その頃俺はまだ相変わらずシュールな歌詞を書いていたので…歌詞の評価がめっちゃ低くて結局そのバンドには入れなかった。
そのバンドは俺の後に合わせたボーカルを採用してdaidaiというバンド名でライブ活動をスタートする。
後に彼らはBUMP OF CHICKENと対バンしてたし、なんとか入りたかったなぁ。
でもあまり続かずにいつの間にかdaidaiは解散してた。
そのすぐ後くらいに、相変わらずのメンバー探しに戻りリハーサルスタジオに募集のチラシを貼りに行く。
なぜかベーシストから3人くらい電話があり、その中の1人が後に8年近くも一緒に演奏をすることになるベーシスト藤原君だった。
…その3に続く。