ゴンザレスのブログ -15ページ目

ゴンザレスのブログ

ブログの説明を入力します。

今回は歩行者専用の小さい橋です。
今は埋め立てられた油堀川支川に架かる「八幡橋」。深川の富岡八幡宮の隣にあるから「はちまんばし」と読みます。
こんな小さい橋ですが、昭和52年に国の重要文化財に指定されました。
もとは中央区の楓川(これも埋め立てられ、高速道路になっています)に架かっていた「弾正橋」で、震災後、帝都復興事業で廃橋になったのをここに持ってきた、と言うことです。
明治11年11月
(31年7月説も)に当時の工部省赤羽工場で作られた、都内最古の鉄の橋です。

ゴンザレスのブログ
下は遊歩道になっています。
形式的にはボーストリング・トラス橋で1989年(平成元年)に、歴史的建造物に贈られるアメリカ土木学会の「栄誉賞」を受賞しています。

ゴンザレスのブログ
結合部分のピンに菊のご紋章があります。

ゴンザレスのブログ
弾正橋のとき幅員は9メートルありましたが、今の橋のそれは2メートルです。

ゴンザレスのブログ
橋の向こう側はすぐ富岡八幡宮の境内です。

ゴンザレスのブログ
正月の準備に忙しい富岡八幡宮、橋は境内右手奥に行くとあります。左隣には深川不動尊。このあたりはお寺も多く、ゆっくり時間をかけて下町気分を味わいたい街です。

アクセスは東京メトロ東西線「門前仲町」

深川の清澄と日本橋の中州を結ぶから、「清洲橋」。
隅田川河口から6番目の橋です。
ドイツのケルン市にあったつり橋をモデルにしたと言われていますが、ドイツのは先の大戦で消失してしまいました。震災後の帝都復興事業で架けられ、勝鬨橋、永代橋とともに国の重要文化財に指定されています。

ゴンザレスのブログ
中洲から清澄を見た画像。中洲は江戸時代の一時期歓楽街として栄えましたが、今はマンションが立ち並んで、昔を偲ぶものはありません。

ゴンザレスのブログ
関東大震災で瓦礫の原となった東京に、復興局の手で幾つもの橋が架けられました。永代橋、蔵前橋、駒形橋、言問橋、この清洲橋など戦災にも耐え、今も美しい姿を見せてくれています。これらの橋を見るにつけ、帝都復興にかけた当時の人々の熱い思いが伝わってきます。
それにしても、最近できた「隅田川大橋」の醜悪さはどうしたものでしょうか。

ゴンザレスのブログ
重厚なフォルム、もう造れないのでしょうか。橋灯も凝っています。

中洲の対岸の清澄は震災、戦災とその都度に壊滅的な被害を受けてきた地域です。地下鉄が通るまで陸の孤島のようにひっそりと、下町らしい家並みが続く町でした。

ゴンザレスのブログ
橋の近くにある清澄公園の雪の朝。隣は、紀伊国屋文左衛門、岩崎弥太郎、東京市と所有者が変わった「清澄庭園」。東京都庭園指定第一号の名園です。

アクセスは東京メトロ半蔵門線、大江戸線の「清澄白河」、半蔵門線「水天宮前」





日本橋川の河口から二番目の橋、湊橋。通称湊橋通りが箱崎とこんにゃく島(霊岸島、現在の新川地区)を結びます。初めて架けられたのは意外に古く、延宝7年(1679年)と言われています。何回か掛け替えられ震災後の帝都復興のひとつとして改架されましたが、平成元年に改修されました。

ゴンザレスのブログ
全体がタイルで覆われておしゃれな感じです。向こう側は新川。すぐ永代通りにぶつかり、渡ったところに川村瑞賢屋敷跡の碑があります。

今でこそオフィスビルやホテルが立ち並ぶビジネス街ですが、江戸時代は水運で栄えた地域です。
上方から酢・油・醤油等の日用品は檜垣廻船で、新酒は樽廻船で運ばれ、このあたりで陸揚げされました。今でも酒や酢に関係した企業名をつけた建物がたくさん見られます。

ゴンザレスのブログ
これは箱崎方面を見た画像。まっすぐ行くと東京シティエアーターミナルにぶつかります。

ゴンザレスのブログ
東京シティエアーターミナルのエントランス。水運で栄えた町が箱崎ジャンクションという交通の要所となり、さらに空の玄関と直結した街になっています。

ゴンザレスのブログ
橋灯と広い空。なぜこの写真かと言えば、日本橋川はこれから上流は高速道路が上を覆い、空が見えなくなります。
ゴンザレスのブログ
こんな感じで川も橋も可哀そう。(ひとつ上流の茅場橋近く)

アクセス 東京メトロ東西線「茅場町」 半蔵門線「水天宮前」