偏愛・アボリジナルアート【後編】 | ハゲとめがねのランデヴー!!

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続・続・偏愛アボリジナルアート

 

 

 

 

この一連の記事に対してわたしはなみなみならぬ情熱を持って取り組んでいるのだが、はたして読む人にとっては興味のある話題なのであろうか。

たいてい閲覧数とこちらの思い入れは反比例している。

 

しかしそんなこと知ったことか。

わたしにとっては6年越しの推し活の総括であるので、アボリジナルアートの話をもうちょっと続ける。

 

アボリジナルアートは「告発」である

 

今回メルボルンで『TENSE PAST』という本を見つけた。

 

これはオーストラリア南東部、タスマニアのアーティストJulie Goughの同名の展示をまとめたものだが、わたしはワーホリ中その展覧会に行き強く強く印象に残っていた。

 

暗い展示室の中にインスタレーションがあり、その中でも吊るされた椅子の背もたれに光を当て、先住民と入植者の姿をうつし出した作品が忘れられない。

 

 

 

タスマニアではかつて入植者とアボリジナルの間で戦いが続き、結果この島のアボリジナルは「絶滅」した。

ジェノサイドと考える人もいるし、わたしもそうなのではないかと思う。

 

この展示を見た人は「タスマニアで何が起きたのか」と考えさせられ、そして今の美しいヨーロピアンな街並みは、その虐殺の上にあるのだということを無視できなくなる。

この展示は「告発」であるとわたしは受け取った。

 

そしてアボリジナルアートは「証拠」でもある。

 

キャンバスの上で視覚化された情報は、彼らがその土地と結びついていることを示している。

同じ地域の画家の絵が集まれば、彼らの「ドリーミング」や地理的な所有範囲がある程度立証されるのではないか。

 

アボリジナルの先祖代々の土地を取り戻す試みは続いているが、土地権の回復は容易ではない。

アートがただちに裁判での証拠にはならなくとも、アボリジナルアートには彼らと土地とのつながりを訴える力があるとわたしは思う。

 

 

(Tony Albert作、NGV(ビクトリア国立美術館)の展示。

「歴史は繰り返す」。

過去ではなく現在進行形の問題である)

 

アボリジナルアートは、やっぱり「アート」だ

 

と、いうわけでアボリジナルアートは「情報」であり「地図」であり「告発」の手段だとわたしは考えているが、それ以上に、そして単純に彼らのアートは美しい。

 

わたしがアボリジナルアートから受ける印象は「癒し」と「パワー」である。

そのどちらも一枚の絵から同時に受ける。

それがポップな現代風の作品であっても、Papunyaの初期のものであっても同じだ。

 

その「癒し」と「パワー」を一番強く感じたのは、Emily Kam Kngwarrayという画家の作品群を首都キャンベラの国立美術館で見たときかもしれない。

 

エミリーの大作は大地をそのままキャンバスに写しとったかのようだった。

ちなみに彼女が絵を描き始めたのは70歳を過ぎてからだったが、残した作品の数は膨大である。

 

 

アボリジナルアートがオーストラリアの文化の一部として存在感を高めてきた一方、産業、ビジネス、観光資源、つまり「金になる」存在になったことで問題も多々出てきている。

 

現在では画家自身が各地のアートセンターの運営に携わる機会が増えているようなので、状況は改善されていると思うが、以前は著作権が軽んじられたり画家への搾取もあったようだ。

 

そしてアボリジナルアートというのは、概して安価で売買されていると思う。

 

もちろん彼らのアートが全てすばらしいわけではなく、完成度にはばらつきがある。

しかしこれまでオークションに出たアボリジナルアートの金額や、アートセンターやギャラリーで売買されている絵の金額をのぞくと、完成度と比べて「だいぶ安めだな」と感じる。

 

ここまで言い切っていいのかどうか、でも思ってるので言っちゃうと、アートの世界にもまだまだ西洋至上主義が残っているのではないか、アボリジナルアートを安く見積もりすぎではないかと思う。

 

それはわたしの偏愛によるひいき目なのかもしれないが、これまで世界中で見たどの時代のどの地域の作品よりも、わたしはアボリジナルアートを美しいと思う。

 

そこに込められた歴史、物語、思想、やるせなさ、全てひっくるめて美しいと思うのである。

 

 

(アボリジナルアートを学校教育の場でどのように紹介するか、という本。

インスタレーション(展示空間自体をアートにする手法)や現代アートも多く紹介されている。

 

子どもたちは学校でどんなふうにアボリジナルアートを知るのだろう。

教師はアートを通してどのように作品の背景を伝えるのだろう。

帰国してから読むのが楽しみ)

 

(Lola Greenoによる貝のネックレスが、同書で紹介されている。

 

ワーホリ中、メルボルン郊外の美術館でこの人の展示を見た。

貝殻、鳥の羽、ハリモグラのトゲなどを使ったアクセサリーが、それはそれは美しかった)

 

(西オーストラリアの画家の作品集。

キンバリーという地域のアートはベタ塗りであることが多く、この画家も平面的に塗りつぶす手法が多く見られるが、ペンを使っていることと、ポップな色遣いが珍しい)

 

(作品には日本製のペン「コピック」も使っているとのこと。

まだまだ知らないアボリジナルアートがあると思うと、またオーストラリア周遊したくなり非常に困る。

 

ワーホリの年齢制限撤廃を強く望む。

学びに年齢は関係ない、でしょ)

 

*オーストラリア編はこれで終わり*

 

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