偏愛・アボリジナルアート【前編】 | ハゲとめがねのランデヴー!!

ハゲとめがねのランデヴー!!

『深夜特急』にあこがれる妻(めがね)と、「肉食べたい」が口ぐせの夫(ハゲ)。
バックパックをかついで歩く、節約世界旅行の日常の記録。

 

偏愛・アボリジナルアート

 

普段政治とか経済とか負の歴史とか、そういう気が重いものはなるべく直視せず美しいものだけ見たいというわたしであるが、先述のようにオーストラリアの先住民アボリジナルの人々について本を読み漁っていたのは、アボリジナルアートを理解するためであった。

 

アボリジナルアートはわたしが一番好きなアートである。

それをワーホリ時代、オーストラリア各州の博物館や美術館、アートセンターで見続け、ますますどっぷり好きになった。

そしてそのアートを理解するには、彼らの文化や歴史を知ることが必須だったのである。

 

アボリジナルアートとは何なのか。

 

考え続けてきたこの問いへのわたしの答えを、偏りと不足を承知のうえでまとめたい。

ついでに今回メルボルンで買った本の自慢もしたいものである。

 

 

 

アボリジナルアートの始まり

 

そもそもの話であるが、「アボリジナルアート」というと点々で同心円を描いたものがイメージされやすいが、実は描き方もモチーフも多様で地域性もある。

 

ドット(点々)やクロスハッチング(斜めの線の交差)だけでなくベタ塗りの様式も存在するし、素材もアクリルだけでなく水彩もある。 

色のバリエーションも豊富だ。

 

今や「アボリジナルアートとはこういうもの」という説明自体がナンセンスになってきている。

 

しかしさかのぼるとそのアートジャンルとしての「始まり」は、1970年代に中央オーストラリアにやってきた白人の教師が、アボリジナルの人々に絵を描かせたことにある。

 

彼はまだ若く30代前半だった。

その教師は人々にアクリル絵の具を与え、彼らが儀式や砂絵で受け継いできたパターンをアートという形に置き換えようとしたのである。

 

当時このPapunyaという土地はアボリジナルの人々の保護区であり、保護区と名のつくところにありがちであるが、人々は政府の管理下に置かれていた。

すさんだ暮らしのなか、彼らのアートは紆余曲折ありつつも評価され、次第にジャンルとして確立していったのである。

 

 

アボリジナルアートは「情報」である

 

こうしてアボリジナルアートがアクリル絵の具の絵画として成立したのは数十年前だが、それ以前にアボリジナルには何万年もの歴史があり、受け継いできた膨大な情報があるからこそ、爆発するかのような表現がいっきに噴出した。

 

アボリジナルアートには同心円やU字型、波線など記号的なモチーフがよく見られる。

描かれる文脈によって意味は一様でないものの、例えば座っている人や水の流れ、動物の足跡だったりする。

 

儀式の様子、そしてその道具やボディペインティングが、独自の模様とともに描かれていることもある。

こうしたものは異なる部族には見せない場合もあるため、初期の作品ではあまりに秘密を赤裸々に描いているとして、展覧会に抗議がきたこともあったのだとか(……と以前本で読んだと思うが、正直言うと英語で読んだものは出典を確認できずやや自信がない)。

 

Papunyaの初期の絵はアデレードにある南オーストラリア州立美術館にまとまって飾られており、アボリジナルアートファンの聖地と言ってもよいのではないか。

オーストラリアの全ての州都の州立博物館・美術館(当時閉館していたところを除く)を訪れたわたしとしては、強く強くすすめたい場所である。

 

もちろん中央オーストラリアのアリス・スプリングスにはさまざまなグループのアート・センターが集まっており、より聖地と言えるであろう。

Papunyaのギャラリーもあって、それはそれはレベルが高かった。

 

レベルの高さの指標というのはわたしの好みでありうまく言えないが、見た瞬間まず暖色のあたたかみに包まれ、その後高いデザイン性に脱帽し、

 

もう、もう、もう、もう〜〜〜っっ

 

と一人でワタワタするはめになった。


 

アボリジナルアートはこのように情報の発露であるが、男性と女性では描く内容が異なる。

それはたとえば男性のみが受け継ぐ秘儀があるなど、男女で管轄が異なるためである。

 

そうした性別役割分業から生まれた絵画のモチーフの差については、普段「料理は女がするもの」「ケアは女が担うもの」などの不愉快なプレッシャーに抗おうとしているわたしとしては手放しで面白がれない部分があるが、そんなこと言ってたらアボリジナルアートを見られないので議論は棚上げしておく。

都合の悪い論点はいったんおいておくのがよい。

 

わたしは男性のアーティストが描く力強い儀式の様子を

 

「これは女であるわたしが見てもいいやつ? もしかしてダメなやつ?」

 

などと、公共の場に飾られているのだからいいに決まっているのだろうが、秘密をのぞくような感覚で見るのも好きだし、疲れているときには癒しを求めて、女性アーティストの描くハーブなど植物の絵を見に行くこともある。

男性アーティストによるヤムイモや蜜アリの絵も癒しを感じる。

 

彼らの伝統、慣習、日々の生活に関する情報が、ドット(点々)の下にわんさか隠されているのである。

 

 

と、いうわけで興味のある人は限られるのかもしれないが、アボリジナルアートについて語りたいことはまだまだたくさんあるわけで、わたしはわたしのために書く。

 

気合いを入れて中編に続く。

 

 

(ついに、ついに買ってしまった、大型本『PAPUNYA』)

 

(アボリジナルアートの運動のきっかけを作った白人教師 Geoffrey Bardonによる、それぞれの絵画のモチーフのメモつきの画集という垂涎ものの一冊。

このページの絵にはドット(点々)で埋め尽くすという手法は見られず、ストレートな表現だ。

 

ああ…… 初期の傑作がこんなにたくさん、しかもBardonの解説も充実、もう、始まりのすべてがここにある……!

 

ということを夫と共有したいのに全く興味を示してくれず、これは性格の不一致というやつだろうか。

結婚生活の維持が危ぶまれる)

 


にほんブログ村 旅行ブログへ

 

にほんブログ村