オリンピックの馬術団体で
日本の「初老ジャパン」チームが銅メダルとりましたね
テレビで見る
馬術競技のカッコよさ
惚れ惚れしました
まさに人馬一体の妙技
鞍上人無く鞍下馬無し(あんじょうひとなくあんかうまなし)
このオリンピックの馬術競技
今から92年前
ロサンジェルスオリンピックで金メダルをとった人がいます
バロン西こと西竹一中尉
パリ五輪の馬術は29日、総合馬術最終種目の障害飛越が行われ、団体の日本は115・80点で銅メダルを獲得した。馬術の日本勢のメダルは、1932年ロサンゼルス大会で金メダルに輝いた「バロン西」こと西竹一以来、92年ぶりの快挙。
当時30歳だった西 竹一 は旧華族の男爵で、陸軍中尉だった西は「バロン(男爵)西」の愛称で国際的にも知られた。
イタリアで購入した愛馬「ウラヌス号」(当時13歳)とともに臨んだロサンゼルス大会最終日では、メインスタジアムで行われた大賞典障害飛越に登場。地元の米国選手を破って金メダルに輝いた。
西はその後、太平洋戦争のさなかの1945年3月、硫黄島で戦死した。42歳だった。ウラヌスも同年に逝った。西はいつも、ウラヌスのたてがみを身につけていたとされる。(読売新聞デジタル版)
西中尉と愛馬ウラヌス
西中尉とそのご家族
1945年 硫黄島での戦い
「『バロン西』の名を知るアメリカ兵が、彼の命を惜しみ、『投降』を呼びかけたものの、応じなかった」というのは、いまに伝わる有名なエピソードです。ただし、それが事実か否かは不明です。
スピーカーなどを使って投降を呼びかけていれば、アメリカ側に必ず記録があると思われますが、公式な記録はないそうです。
硫黄島は終始、激戦が続けられ、日米双方の多くの将兵が死傷しています。日本軍に投降を呼びかけるほどの余裕がアメリカ軍にあったとは必ずしも思えません。「投降」の真相は残念ながらよくわかっていません。
戦後、硫黄島は長くアメリカの統治下にありました。日本にようやく返還されたのは、1968(昭和43)年6月26日です。